四方山見物37

  



宇奈月駅を出発したトロッコ電車が最初に渡る真紅の鉄橋。列車の音が山彦となって温泉街に響くことから、この名がつきました。車窓にひろがる四季折々の峡谷美が、これから始まるスリリングな旅を予感させます。すぐ近くにかかっている旧山彦橋は現在遊歩道となっておりトロッコ電車通過の際にはお互いに手を振りあう光景が見られます。

 

美しい黒部峡谷の中にかかる赤い橋、駆け抜けるトロッコ電車を一度に見られる絶好のスポットです。黒部峡谷鉄道宇奈月駅をスタートに宇奈月ダムを経由してとちの湯まで続く、約2.5kmの「やまびこ遊歩道」。鉄橋やトンネル、旧軌道敷など変化に富んだ楽しい散策道です。黒部峡谷の素晴らしい景色の中を歩いていくと、並んでかかる2本の赤いアーチ、トロッコ電車が走る現在の「新山彦橋」とかつての鉄道峡「旧山彦橋」が見えてきます。今は整備され遊歩道となっている旧山彦橋から見る新山彦橋は、峡谷美をバックにとても美しく、そして新山彦橋を渡るトロッコ電車の姿も! 絶景の中を走るトロッコ電車と撮ろうと、電車の時間に合わせたくさんの人がカメラを構える人気の撮影スポットです。「山彦橋」とは、列車の音がやまびことなって温泉街に響くことから名前が付けられたそう。

 

黒部峡谷と新山彦橋、トロッコ電車を一度に見られるビュースポット。かつての鉄道峡「山彦橋」は遊歩道となり、歩きながら黒部峡谷の魅力を存分に味わえます。トロッコ電車が通るのを待って写真撮影してみましょう。宇奈月駅を出発してすぐ、最初に渡る真紅の鉄橋。渓流からの高さは約40mあり、電車から下を覗き込むと思わず歓声が出るほど!列車が鉄橋を渡る音がやまびこのように温泉街に聞こえることからこの名がつきました。



 

黒部峡谷鉄道で宇奈月温泉駅から欅平に向かって上ると、黒薙駅の手前に橋がありますが、ここが後曳橋です。歩いていて後ずさりするほど、急峻なので後曳橋と名付けられたようです。宇奈月温泉から乗ると、最初は進行方向右側に峡谷が見えますが、後曳橋を渡ると左側に峡谷が見えるようになります。列車はスピードを特に落とさずに通過するので、見逃さないよう、よく気を付けてください。

 

黒薙駅にある後曳橋は、峡谷の中で一番峻険な谷、黒部峡谷の支流黒薙川に架かる青い橋は、高さ60m、長さ64m。 谷を見下ろすと、その深さに驚き思わず後ずさりをするということからこの名がつきました。 黒薙駅から徒歩約20分の場所には、宇奈月温泉の源泉・黒薙温泉があります。

 

黒薙駅に降り立つと見えるのが黒薙川に架かる沿線で最も険しい谷に架かる鉄橋で、美しい紅葉の中その橋を渡るトロッコ電車は、富山県の景勝地として観光ポスターでもお馴染みとなっております。名前の由来は、かつて山に入る者があまりの谷の深さに後ろに引き下がったことから「後曳」と呼ばれるようになったと伝えられています。

 

猫又から新柳河原発電所まで水を送る為の送水用の橋です。階段を登って眺めるクラシカルな橋をぜひご覧ください。黒部川支流の黒薙川に架かるコンクリート製の水路橋で、新柳河原発電所に送水されています。隣にある跡曳橋は、谷を見下ろした際に、思わず後ずさりする事からこの名が付いたとされ、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車が走っています。

 



 

立山連邦と後立山連邦との間に、標高差3000メートルを流れる黒部川の浸食によって切り込まれた日本一深いV字峡谷があります。黒部峡谷トロッコ電車は、この峡谷に沿うような形で期間限定で運行している秘境の列車です。車窓からは切り立った崖や急流、ダムなど見どころがいっぱいです。川沿いを走る列車ならではの“橋”に注目して見ると。新緑に映える赤い橋、急流に架かる橋、なんとおサル専用の橋までもあります。



 

黒部峡谷は電源開発にあたり、多少なりとももともとあった自然環境を変えてしまっています。うなづき湖上には高さ15メートルの所に野生の猿専用の橋が架けられており、ダム貯水後も猿が対岸へ渡れるようにとの配慮がなされています。「人間、優しい^^」と、おサルが思っているかどうかはわかりませんが、運良くおサルが橋を渡っているところを見られたらほのぼのすることでしょう。場所は柳橋駅のすぐ近くです。この駅では乗降はできませんので車窓からの見学となります。ビューポイントが近づいてきたら車内アナウンスがありますので聞き逃しのないように。





 

黒部峡谷トロッコ電車の猫又駅から少し下流の対岸にそそり立っています。高さ200mの花崗岩でできている岩壁で、ネコに追われてきたネズミも登れずに引き返したことから、こうよばれるようになったと云います。また、そのネズミを追ってきたネコも、岩壁を登れず引き返したことから、この地を猫又というようになったとも云われています。黒部峡谷鉄道沿線内、車窓展望のみです(事前に車内放送で案内あり)。



 

トロッコ電車の車内放送で、黒部峡谷の見所を富山県出身の女優・室井滋さんが楽しく案内していた。話を要約すると「猫に追われたねずみも登れないほど切り立っているので、この名が付いた」そうです。場所は「出平駅」と「猫又駅」の間にあり、猫又駅近くです。かつて私はロッククライマーであった。数々の岩壁登攀に挑んで来た。高さ200mの威圧的な大岩壁「ねずみ返しの岩壁」がまた血を騒がせました。



黒部峡谷の中で最も視野がひらけた黒部川本流と猫又谷合流点に位置しています。出力は7万2000kW。昭和6年(1931)に軌道が猫又から小屋平まで延長されたことに伴い、昭和11年(1936)に竣工しました。建物は建築家・山口文象氏の設計によるものです。「富山の建築百選」に選定されるなど黒部渓谷の自然景観に融和したモダン建築として今日でも高く評価されています。猫又駅対岸に、車窓から外観が見えます。

 



 

出平駅の少し手前にある出し平ダムの奥に見える「出し六峰」は、1つの大きな山の山頂部が6つの峰に分かれてそそり立っています。峡谷の凛とした空気のなか、湖に向かって尾根が切り込む姿はまるで水墨画のようです。切り立った峰々が、出し平ダムの湖畔に切り立つ岩山。季節を問わずに素晴らしい景観を演じてくれます。黒部峡谷鉄道沿線内、車窓展望のみです(事前に車内放送で案内あり)。



「出し六峰」は、頂が6つに分かれた峰を持つ、特徴的な山並みです。湖面に向かって競うようにそそり立つ姿は、晴天に映えるだけでなく、曇天や雨天のなかでも独特な風情を感じられるでしょう。「黒薙駅」を過ぎ「出平駅」の手前付近、出し平ダムの奥に見えてきます。「出平駅」は、一般の乗客は乗り降りできない業務用の駅です。

 

車窓からの風景を堪能したらトロッコ電車から降りてみましょう!鐘釣駅から終点の欅平駅周辺には大自然を感じるスポットや秘湯、秘境散策など魅力が満載です。往復乗車券での途中下車はできないので、途中駅のスポットに行きたい場合は最初に下車する駅までの片道乗車券を購入しましょう。



 

黒部峡谷トロッコ電車「鐘釣駅」の程近くにある展望台で、「万年雪」を間近に見ることができます。「万年雪」は、百貫山に降り積もった雪が雪崩等により谷へと落下し、何層にも重なって雪の塊となったもので、夏場でも解けずに残り続けています。展望台にはベンチが設置されており、散策中の休憩にも最適です。百貫山に降った雪が雪崩によって谷に堆積し、雪の魂となって残ります。ゴールデンウィーク過ぎまでは雪の量も多く迫力満点、新緑との美しいコントラストが楽しめます。鐘釣駅にある万年雪展望台からはその姿を間近に見ることができます。



 

富山県黒部市宇奈月町、黒部峡谷鉄道鐘釣駅から徒歩3分の場所にあるのが万年雪展望台は、白馬岳から派生する尾根上のピーク、百貫山(1969.9m)に降った雪が雪崩によって百貫谷に堆積し、すべてが融ける前に冬を迎えるというものです。展望台正面に万年雪を眺望しますが、さすがに真夏には小さくなるので初夏のうちがおすすめです。百貫山に降った雪が雪崩によって谷に積み上がり、雪の塊となったものがすべて解ける前に冬を迎えることもあるため、「万年雪」となります。対岸の展望台から雪渓を間近で見られます。5月頃から初夏がおすすめです。



 

鐘釣駅が近付いてくると右手に見える山は、サンナビキ山で、標高1949mで、周囲の山より早く冠雪することから「さきがけ山」ともよばれています。また、秋には山頂は雪の白、山腹上部は落葉した紫、山腹下部は紅葉、裾野は緑、そして清流の色を加えた「黒部峡谷の五段染め」の風景も楽しめます。写真は奥鐘橋から写したサンナビキ山です。トロッコ電車に乗っていると鐘釣駅が近づくと右手に見えてきます。



魚津市と宇奈月うなづき町の境、立山山脈北部の僧ヶ岳・駒ヶ岳山塊と毛勝山塊の間、山脈が最も低くなっている地点にそびえる三角形状の山です。国土地理院の地図にはサンナビキ山と記されています。標高約2000mです。文政2年(1819)に黒部峡谷の西鐘釣温泉(現宇奈月町)が開かれたときは片貝谷から三名引山を越えて黒部側へ下ったといい、明治32年(1899)登山家吉沢庄作がこの道を通ったときは木呂を横たえて2本の杭で打留めた何百段とかの階段路で、登り詰めた地点をサンナビキと教えられたと云います。

 

黒部の大規模な開発工事、その一つには新黒部第三発電所建設工事があります。既設の黒部第四発電所で使われた水をトンネルで導き5600kwの電力を再び生み出そうとする導水路建設工事です。しかし、その髄道は火山帯の温泉脈に当り、170℃を越える内部での作業は常識では考えられぬものがありました。土木技術の粋を集めての髄道工事が貫通するまでの困難な工程を記録しています。

 

仙人谷ダムから取水する新黒部川第3発電所の導水路の建設工事は高熱地帯を通ることから「高熱隧道工事」といわれ、岩盤からの滴で火傷してしまうほどの過酷な環境下で掘削が行われました。放水しながらの坑内作業や高熱によるダイナマイトの自然爆発など、常に死と隣り合わせの作業環境でした。宿舎では冬場に爆風を伴う大雪崩の危険にもさらされていました。

 



断崖絶壁の黒部峡谷では、駅の両側に勾配があって狭く、電車がすれ違うスペースが確保できなかったため、「スイッチバック」という方法で、上りと下りの列車交換を行っています。本線から引き込み線に入って一度停車。発車する際に一旦バックして本線に入り、出発します。国内では数少ないスイッチバックは鉄道ファンのみならずとも必見です。

 



猫又を出て鐘釣橋を渡り、再び黒部川左岸に出ると鐘釣です。鐘釣は行き違いが可能で、相対式のホームを持ち旅客扱いを行いますが、貨物ヤード等は持たっていません。黒鉄の中では比較的単純な配線かつ設備的には小規模な駅であすが、スイッチバックという強烈な特徴を持っています。このスイッチバックは、駅前後の急勾配からくる構内の平坦区間不足が原因で、上下本線のさらに先に平坦な引上線を持っており、ホームも引上線まで続いています。この引上線への進路に対しては第2場内信号機が設けられており、多くの長編成旅客列車は駅到着時、この引上線先端まで走行して停車します。

 

客扱いの後出発となりますが、まず入換標識の現示と駅員・車掌の誘導により本線にはみ出すかたちで出発信号機外方まで後退し、出発信号機の現示により出発します。駅から鐘釣温泉方面へと向かう歩道上から、このスイッチバックの様子が観察でき、観光客に対しても良いアトラクションとなっているかのようです。この鐘釣駅と次の小屋平駅の区間は、本線で最長の駅間であり、最急勾配の50%も存在します。その上このスイッチバックであり、運転時分が最長の区間となるため、ダイヤ設定上の要ともいえます。ここには鐘釣温泉もあり、小さいながらも観光客で賑わう駅です。従来、黒鉄を利用する観光客は宇奈月から欅平を単純往復する行程がほとんどでしたが、最近は団体客を中心に、乗車時間短縮を目的として、鐘釣往復の行程が増えているということです。

 



富山県黒部市宇奈月町、黒部峡谷鉄道沿線の黒部川本流に築かれたダムが出し平ダムです。昭和60年の完成は、関西電力が手がけた黒部の電源開発では最新のダム。下流へ土砂を流すことで海岸線の後退を防ぐことを目的に、ダム湖の堆砂を排出する「排砂ゲート」を備えた日本最初のダムです。

 

当ダムはダム湖の堆砂を排出する「排砂ゲート」を備えた日本最初のダムです。黒部川は日本でも有数の土砂排出量が多い河川のため、貯水池の容量を維持、および下流へ土砂を流すことで海岸線の後退を防ぐことを目的に、当ダムの3つある洪水吐ゲートの両側に排砂ゲートが装備されました。当ダムが貯水を開始して6年目にあたる1991年(平成3年)12月、第1回の排砂放流が行われました。本格的な排砂ゲートを装備したダムとしては当ダムが初めてであり、運用ノウハウがなかったために「生物の活動が少なくなる冬に排砂するのが良い」と考えられました。

 

しかし排砂放流を行ってみると、6年間湖底に積もった土砂の中に含まれている落ち葉や木片などの有機物が湖底の嫌気性環境で腐敗・変質しており、ヘドロ様の土砂が排出されることになりました。そして冬は渇水期のため、土砂を薄める河川水も乏しい状態で、ヘドロが海まで流れて長時間滞留し、漁業被害を起こしました。そのため関電と地元漁業協同組合との間で公害訴訟が起きました。一審の富山地方裁判所は公害の原因究明を公害等調整委員会に嘱託し審理を行い、関電に対し原告の漁協に約2700万円を支払うよう命じました。原告と関電の双方が控訴したが、2011年4月5日に名古屋高等裁判所において原告・被告双方の間で和解が成立しました



小屋平ダム(こやだいらダム)は、富山県黒部市、一級河川・黒部川水系黒部川に建設されたダムです。高さ54.5メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力の発電用ダムです。同社の水力発電所・黒部川第二発電所に送水し、最大7万2000キロワットの電力を発生します。

 

1919年(大正8年)、黒部川の豊富な水資源を活用した水力発電によりアルミニウムを生産するため東洋アルミナムが設立されました。同社は1920年に黒部川の水利権を獲得し、1921年に子会社・黒部鉄道を設立。開発の足がかりとして国鉄北陸本線三日市駅(現・あいの風とやま鉄道黒部駅)から黒部川に沿って鉄道路線を敷設していき、1922年には下立駅まで伸ばされました。同年、東洋アルミナムは五大電力の一角・日本電力の傘下に収められ、それ以降黒部川の開発は日本電力の主体のもと行われていきます。その第一弾として柳河原発電所の建設工事が1924年に着手され、1927年(昭和2年)に完成。これと並行して下立駅から桃原駅(のちの宇奈月駅、現:宇奈月温泉駅)およびそれ以南の工事専用鉄道路線(現:黒部峡谷鉄道本線)が敷設されました。なお、東洋アルミナムは1928年に日本電力に合併しています。