四方山見物9

 

 



およそ1,200年前、弘法大師が神のお告げにより発見し、命名したとされる山形県随一の高さ63m、幅5mの直瀑です。かつては山岳宗教の修験場であり、滝の前には「御嶽神社」が祀られています。駐車場からは遊歩道も整備されており、徒歩約10分で滝に着きます。また、周辺には、杉の大木があり、マイナスイオンがあふれていることからパワースポットとしても人気です。

 

1999(平成11)年からはゴールデンウィークとお盆の時期にはライトアップも実施され、日中とは違う幽玄な世界を見ることができます。1月中旬から2月上旬の寒さが厳しい季節には、氷瀑を見ることもできます。

 







駐車場のある鳥海山南テラスまでの道路は、冬期間の除雪は土、日、祝日に行います。平日にお越しの場合は車が通れないこともありますのでご注意ください。また、玉簾の滝までの遊歩道並びに参道は原則除雪されませんので、雪の状況によってはかんじきが必要です。

 

 

 



 

黒川地区の御瀧神社の背後に位置する落差約20mの不動の滝は、切り立った崖の上から水が流れ落ち、流量も豊富で一年中流れが絶えることがありません。不動の滝の周辺の地層は約60万年前の鳥海火山のステージ1のころの火山灰や火山礫などの火山噴出物が堆積した天狗森火砕岩と呼ばれていて、主に火山灰を主体とし火山岩塊や火山礫を含む凝灰角礫岩や火山角礫岩からできています。滝の水はせり出した岩肌を分岐しながら落ちていき、三方に拡がる末広がりの流れになっていて、地元では開運出世の滝として親しまれています。受験シーズンにはたくさんの受験生や保護者の方が訪れています。

 



 

 



眺海の森は、県民の森として親しまれ、スキー場、キャンプ場、ピクニックランドなどのアウトドア施設や、森林学習展示館、天体観測館「コスモス童夢」などの学習施設があります。また、夕陽のスポットとしても有名な地域です。遊歩道を利用しての紅葉トレッキングや「森の案内人」による動植物の解説を聞きながらのトレッキングもおすすめです。

 



「遊歩百選」にも選ばれた遊歩道の散策コースを有する眺海の森。「森の案内人」による動植物の解説を聞きながらのトレッキングなどが楽しめます。また、高地から眺める景色が美しく、庄内平野、最上川、日本海を一望できるビュースポットとして有名です。中でも、最上川の向こうに沈みゆく夕陽は絶景!日が暮れた後は星空が広がり、天体観測も楽しめます。平成13年にオープンした宿泊施設「眺海の森さんさん」があり、ウッドデッキ、客室、展望風呂からの景色も最高で、宿泊だけでなく日帰り入浴も行なっています。周辺にはキャンプ場やスキー場、ピクニックランドなどのアウトドア施設が豊富で、朝から晩まで自然を満喫できる空間となっています。

 



 

 





 

總光寺は、1384年に月庵良圓禅師が開山し、伊勢守佐藤正信公が創建した曹洞宗の禅寺です。祖先にあたる佐藤継信は、屋島の戦いの際、矢を源義経の身代わりとなって受けて討死したとされています。(平家物語)樹齢400年の『きのこ杉』や1811年に建立された『總光寺山門』はじめ、国指定名勝庭園『蓬莱園』など、見どころいっぱいです。季節の御朱印や写経・總光寺オリジナル写仏体験はじめ、こころを見つめる坐禅体験などが人気です。

 

山門に向かって伸びる長さ100メートルほどの参道には、きのこのような形をした土湯杉が120本ほど植えられ、1956(昭和31)年に県の史跡名勝天然記念物にも指定されています。江戸時代の初め、1615〜1623(元和年間)に植樹されたといわれ、歴代の住職の手により美しいきのこ形の景観をつくり出してきたものです。

 



1982(昭和57)年5月に開園、松山藩としての歴史を持つ松山地区の歴史と文化を継承し、創造する交流拠点で、山形県指定文化財「松山城大手門」をはじめ、茶室「翠松庵」や郷土文化保存伝承施設「松山文化伝承館」などがあります。このほかにも、勤王の志士川俣茂七郎の顕彰碑のほか、篤志家齋藤元経「愛山頌徳碑」、そして幕末・明治と松山の礎を築いた松森胤保の胸像もあります。また、園内では、4月下旬に桜、5月上旬にはツツジ、そして6月下旬にはスイレンが咲き、季節の花も見どころの一つです。

 



荻野流砲術は、松山藩士の山本丈右衛門が1808(文化5)年に免許皆伝を受け、藩内や周辺に広めました。明治期以降も武者行列の中で演武していましたが、戦後間もなく火薬使用の規制強化で一時、中断されました。1990年に旧松山町民の間で復活の話が盛り上がり、有志が庄内藩荻野流砲術伝承保存会(土方大美会長)を結成。伝統の作法など研究し97年、松山藩350年祭で試験発砲。98年の松山まつりで演武を披露しました。2003年に旧松山町無形文化財に指定されました。

 



 

庄内空港は、山形県庄内地方の酒田市と鶴岡市にまたがり立地する地方管理空港です。空港ターミナルビルは酒田市浜中に所在しています。愛称は「おいしい庄内空港」です。庄内米の柔らかい曲線をモチーフにデザインされたターミナルビルは、庄内地方の空の玄関口として、全国各地との高速ネットワーク発展の一翼を担う施設で、観光物産情報コーナーや休憩所(Tre Plads)を始め、お土産店、レストラン、キャッシュコーナーがあり、地場産業、経済、文化の振興にお役に立てる地域のコミュニティプラザとして、皆様のニーズと期待に応えられるよう努めております。

 

黒森歌舞伎は、酒田市黒森地区において、江戸時代中期の享保年間から280年以上もの間継承されてきた農民歌舞伎で、昭和51年8月9日、山形県無形民俗文化財の指定を受けました。地元住民で組織される「妻堂連中」という一座を中心に地域で受け継がれ、2月15・17日に鎮守日枝神社で正月公演として上演されています。2月の正月公演まで、1年を通じて黒森地域の祭礼と結びついた様々な行事が行われ、厳冬の季節である2月に屋外で上演し、見物席には屋根もないという方法が変わることなく今日まで続いてきたのは、地元の人々の熱心な信仰心に支えられてきたからに他なりません。「雪中芝居」としての伝統と魅力を、地域一体となって守り、伝えていきます。





 

古より新庄藩と庄内藩や酒田港とを結ぶ街道でした。江戸時代、最上地方と庄内地方のメインルートは最上川の舟運であり、年貢米や松尾芭蕉などの旅行者も舟で移動するのが一般的でしたが、最上川沿いには急峻な「最上峡」が横たわり、道の開削ができませんでした。そのため、徒歩や荷駄で庄内に向かうには、青沢越を使うのが一般的でした。青沢越へのルート沿いには、安楽城の子守唄や平枝番楽といった芸能が伝承されており、青沢越が物流や文化の交流路であった歴史を今に伝えています。明治時代に、最上川沿いに「磐根街道」が開削されると、難所であった青沢越は衰退を始め、陸羽西線が開通すると没落していきました。近年まで、未舗装の狭く危険な峠道であり、車で走るには難渋し、一年の半分以上は冬季閉鎖でしたが、近年、分水嶺にある青沢トンネルを始めとするトンネル群が完成し、大型トラックの走行が可能な全線2車線の道路拡幅が完了したことにより、通年通行が可能になり、最上地方と庄内地方を結ぶ第2のルートとなりました。金山町や真室川町から庄内に向かう最短ルートですが、峠部分は、急勾配・急カーブが続き、土砂崩れや雪崩が頻発しています。