四方山見物10

 

酒田市は、山形県の北西部、庄内地方の北部に位置する人口約10万人の都市です。北に出羽富士「鳥海山」、南に古からの信仰の山「出羽三山」を望み、山形県の母なる川「最上川」が肥沃な「庄内平野」を育み、西の「日本海」に注いでいます。豊かな土壌と日本海の海の幸に恵まれた日本有数の米どころで、庄内米や地酒も全国的に知られています。2005年(平成17年)11月1日、港湾都市として発展してきた酒田市、鳥海山の自然に富んだ八幡町、出羽松山藩の城下町の歴史と文化が薫る松山町、緑と水にあふれ里山の姿を残す平田町の1市3町が合併し、「酒田市」が誕生しました。



酒田大獅子の「山王」「日和」「松」「桜」はこのときに生まれ、酒田大火からの復興と防災のシンボルとして、現在も市民に愛されています。 その後、平成10(1998年)年、平成11(1999年)年とそれぞれの夫婦に仔獅子が生まれ、「みなと」「まい」「海(かい)」「小波(こなみ)」と名付けられました。

 





冬の庄内の風物詩!寒鱈まつりの季節がやってきましたこれから旬を迎える「寒鱈」を余すところなく使用した寒鱈汁は、庄内の寒い冬だからこそ味わえる美味しさです。「寒鱈フェスタ」「酒田のラーメン出店」「酒田・遊佐 新春酒まつり」など冬の酒田の美味しいものがたくさんあります。この冬は、酒田日本海寒鱈まつりで心も体も温まりましょう!!真冬に水揚げされる脂ののった寒鱈を丸ごと使った寒鱈汁を堪能する寒鱈まつり。寒鱈とは真鱈のことで、味噌仕立てにした大鍋に、身も骨も内蔵も余すことなく入れ豪快に煮たあつあつの郷土料理です。雪のちらつく屋外で食べる寒鱈汁は格別です。

 





 

日枝神社は、日和山公園の近くにあり、祭神は大己貴神(おおなむちのみこと)、大山咋神(おおやまくいのみこと)、胸肩仲津姫神(むなかたなかつひめのみこと)の三神。現社殿は、天明4年(1784年)に本間光丘によって建立されました。5月19日から21日の例祭「山王祭」(酒田まつり)は大いに賑わいをみせます。現在の随神門は、本間光丘の寄進したものが明治27年(1894年)の震災で倒壊したため、明治40年(1907年)に本間光輝が再建しました。門の下でかしわ手を打つと日光の鳴龍にもおとらない響きがします。「至誠通神」の額は東郷平八郎の揮亳によるものです。また、日和山口の鳥居には西郷隆盛による「日枝大神社」の額が掲げられています。11月中旬には、門を守るように立つ両側2本のイチョウの葉が黄色に色付き、落葉後は黄色い絨毯のような景色を楽しむことができます。

 

 



 

日本海に沈む夕陽が旅情をかきたてる日和山公園は、桜の名所でもあり、毎年4月中旬には酒田日和山桜まつりが開催され、ソメイヨシノなど約400本の桜が咲き誇り、夜はボンボリでのライトアップも行われます。園内には、日本最古級の木造六角灯台や方角石、往時活躍した千石船(1/2で再現)などがあり、港町の風情を醸し出しています。また、園内の全長1.2kmにわたる散歩道には、29基の文学碑が建てられ、江戸時代から昭和にかけて酒田を訪れた文人墨客を紹介しています。六角灯台越しには酒田港や最上川河口を一望でき、日本海に沈む夕陽を観ることができます。



明治28年(1895年)宮野浦に初めて洋式木造六角灯台が建てられました。高さ12.8メートル、一辺の長さ約3メートル、光源は最初が石油ランプ、大正8年(1919年)アセチレンガス灯、そして、大正12年(1923年)大浜に移転後2年にして電化点灯式となりました。 昭和33年、近代式灯台が完成し不用となり、現在地に保存されています。日本最初の洋式灯台は、明治2年(1869年)神奈川県観音崎灯台ですが、木造灯台として残っているのはこの灯台が最古のものと言われています。





「暑き日を 海に入れたり 最上川」
この句は6月13日に鶴岡から酒田に入った時の情景で、最上川を舟で下り、酒田には夕時に着いている事から、芭蕉も実際に最上川越しに日本海に沈む夕陽を眺めていたのかも知れません。句の意味は。暑かった一日も、最上川によって日本海に流され終わろうとしている。といった意味でしょうか。初句は寺島彦助邸で詠まれた挨拶吟で「涼しさや 海に入りたる 最上川」、その後、「奥の細道」を編集する際に「涼しさや」⇒「暑き日を」と改変され「暑き日を 海に入れたり 最上川」の句になりました。


 

 

 



1609(慶長14)年に創始したとされる上・下日枝神社の例大祭「山王祭」は、1976(昭和51)年の酒田大火からの復興と防災の願いを込め、1979(昭和54)年以降は「酒田まつり」として毎年5月19日~21日に開催しています。19日の宵祭りでは、2008(平成20)年から復活した高さ22.36mの立て山鉾に日没とともに明かりを灯し、中心街を巡行します。20日の本祭りでは、神事である式台の儀が旧鐙屋の前で執り行われ、上・下日枝神社の神輿を中心とした渡御行列や傘鉾など約50台の山車行列、酒田大火の後に新たに加わった大獅子と仔獅子、立て山鉾の巡行などが中心市街地で繰り広げられます。



 



 

酒田市大町を流れる用水路の側に、大町アヤメ愛好会の皆さんが育てているアヤメが見ごろになっています。アヤメと言えば県内で有名なのは長井市のアヤメ公園です。酒田市大町のアヤメ通りは特に公園があるわけでもなく、水路の側にアヤメがあるだけのアヤメ通りです。5月には水車が設置され、6月にはアヤメ祭と称して提灯が飾られます。たったそれだけの話ですが、私は思い出しては何度か見学に行った記憶があります。

 



世界的写真家として知られる土門拳氏は、明治42年(1909年)酒田町(現酒田市)に生まれました。昭和49年(1974年)酒田市名誉市民第1号となられた時、同氏より全作品約7万点が市に寄贈され、それを受けて個人の写真展示館としては、世界最初の同館が昭和58年(1983年)10月にオープンしました。記念館では土門氏の全作品を収蔵するとともに、年数回の展示替えをして順次紹介しています。また、建物は土門氏と交友があった谷口吉郎氏の長男谷口吉生氏が設計を、中庭の彫刻がイサム・ノグチ氏、銘板・年譜が亀倉雄策氏、造園設計・オブジェが勅使河原宏氏と、各々の分野で我国を代表する人々の手によって建造されています。

 

 

 

 



米どころ庄内のシンボル山居倉庫。1893(明治26)年に建てられた米保管倉庫です。米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現役の農業倉庫でした。2022(令和4)年9月に129年の米倉庫としての役割を終えています。敷地内には酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設され観光客で賑わっています。樹齢150年以上のケヤキ35本の連なるケヤキ並木の色合いは、季節とともに変わり見る人を魅了します。2021(令和3)年3月26日、国指定史跡に認定されました。

 



 

飛島は山形県酒田市の北西方向に39kmの日本海上に位置する山形県唯一の有人離島です。島全域が国定公園(鳥海国定公園)になっており、島ならではのウォーキングやバードウォッチング、釣りや海水浴が楽しめます。豊かな自然が育まれた島内には天然記念物が10ヶ所存在します。港に降り立つと、島独特の空気感があなたを包みます。コンビニやスーパー、信号機はありませんが、ここに魅力を感じて毎年訪れるリピーターも多数おります



島へは酒田港(酒田市定期航路事業所)から「定期船とびしま」が運航されています。所要時間は約1時間15分です。1航海の出航時刻は午前9時30分で庄内空港からのアクセスもばっちりです。また1航海での滞在時間は2時間半あり、港から館岩、賽の川原などゆっくり楽しむことができますよ。



 



日本海の北にある島なのに年平均気温は12℃以上とあたたかく、さまざまな花が咲き、バードウオッチャー憧れの渡り鳥もたくさん訪れます! 穴場ビーチに釣りスポット、ミステリアスな洞窟など、遊び方はいっぱいですので宿泊での滞在をおすすめします!春にはキクザキイチゲ、オオミスミソウ、5月にはハマナス、6月にはトビシマカンゾウ、夏にはクルマユリなど春から夏にかけて、飛島ではさまざまな野花を楽しめます。特に5~6月が最盛期で、野花を眺めながらウォーキングするにはぴったり。一番の見どころは初夏に開花するトビシマカンゾウ。鮮やかな黄色が特徴の花で自生するのは飛島と酒田市の一部、佐渡島に限られています。

 

飛島はもちろん、タクシー・バスなどはありません。徒歩・レンタル自転車での散策となるため、とびしまコンシェルジュに島内ガイドをお願いするのもおススメです!飛島遊漁船業協議会(旅館おばこ)では、飛島を訪れる観光客用に様々な釣り体験が楽しめるコースを用意しています。飛島をぐるりと一周する漁船タイプの遊覧船から、磯渡し、沖釣り船、その他イカ釣り体験なども。飛島にある「旅館おばこ」は網元直営の漁師が経営する旅館なので、釣り船の相談はもちろん地場の新鮮な海の幸も楽しめるので泊まって釣り三昧はここで決定!



 

飛島で唯一遊泳可能な「飛島海水浴場」は自然の入り江で囲まれた波も穏やかな天然ビーチ。湾になっているのでほとんど波もなく、透明な海で魚と一緒に泳ぐことができます。まるで南国の無人島にいるかのような青く透明に透き通った海は、島旅の醍醐味を味わうことができます。海開き期間は約一ヶ月ですが、平日は訪れる人が少ないのでプライベートビーチ気分で楽しめます。飛島は鳥海国定公園のため、キャンプをすることができません。またキャンプファイヤー等火を使うことも禁止されています。



 

こぶしほどの大きさの丸石が大量に打ち上がった「賽の河原」。島民からは古くから死者の魂が集まる処と信じられ、この賽の河原に積まれた石は崩してもいつの間にか元に戻るとか?ここの石は持ち出すと良くないことが起こるといわれているため、決して石を持ち帰ってはダメ!



 

他にも屋島、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武者たちが海上に活路を求め船で北上し飛島に漂着。追っ手から逃れるため落ちのびる船中で最後を遂げた武者たちを葬り、漁具に持ち替えた刀剣、甲冑を埋めた場所と伝えられている「源氏盛・平氏盛」。古くから神聖なところとされ、平安時代の人骨や土器が多数出土した謎の洞窟「テキ穴」。海賊の砦だったとも言われている舘岩にある古代の絵文字が刻まれているとされる謎の「刻線刻画石」。西方沖に浮かぶ烏帽子群島には、かつて飛島を訪れた弘法大師が、離れ島の不便を哀れんで島と本土の間につくった橋が崩れ、その橋桁が流れ集まったものだという伝説が残る「材木岩」など、たくさんの不思議スポットが点在しています。