金剛杵の独鈷(とっこ・両端のとがった金属製の仏具)と似ていることから独鈷沼といわれるようになったと伝えられています。周囲約350m、平均水深2m、沼底から湧き出る水は枯れることはありません。山形市の水瓶ともいうべき源泉でもあり、沼畔にひっそりとたたずむ「水神様」は水と竜神の伝説とあいまって、先人達の水に感謝する思いを彷彿とさせています。透き通ったエメラルドグリーンのドッコ沼は、なぜこの色になっているのかはわかっていません。標高約1,400mの蔵王中央高原にある神秘的な「ドッコ沼」は、日差しによって水面が青色やエメラルドに変化する絶景スポットです。鳥兜駅で夏山リフトに乗り継げば、体力に自信がない方も安心です。鳥兜駅から鳥兜山展望台経由で20分弱のトレッキングコースで向かうのもおすすめかもしれません。
天候の激変する高い山頂にありながら今もなお堂々と佇む地蔵です。尊像の左右には観音と不動明王が鎮座しています。蔵王ロープウェイ 地蔵山頂駅より100mほどのところにある蔵王地蔵尊。標高約1,660mに鎮座し、高さ2.34mの大きなお地蔵様です。1775年に造立され、不思議なことに建立後に遭難者が少なくなりました。今も、祈願すればあらゆる願いが叶い、特に不慮の災難を逃れられると伝えられています。
かつて深い山岳信仰を集めた蔵王。 今も蔵王の山々には、災難よけ、諸願成就の『蔵王地蔵尊』、家内安全・商売繁盛の『蔵王大黒天』、不老長寿・水の神の『蔵王大権現』の三神が祀られています。蔵王地蔵尊は、安永4年(1775年)、蔵王ロープウェイ地蔵山頂駅東約100メートルに、 諸願成就・災難よけとして宝沢の庄屋によって、37年もの長い歳月をかけ建立されました。高さ2.34メートル、肩幅1.2メートル、膝幅1.8メートル、台座の高さ0.34メートルの坐像で、安山岩でできたお地蔵さまです。大祭は毎年5月24日(春季)と9月24日(秋季)です。
複式火山の蔵王連峰にあって、その中心をなす蔵王火山に位置し、地蔵山と向かい合っています。蔵王は信仰の山、修験の山、霊山として知られ、その中心(大峰)が最高峰の熊野岳である。そこから最も離れた所に見られる神が三宝荒神であり、火の神、かまどの神などとして知られ、その基礎をなしたものは「荒神」とされています。南側の緩斜面は、ハイマツをはじめとする低木林で覆われており、自然植物園として整備され、散策路が設けられています。これに反して北斜面は、ザンゲ坂にかけて急崖、急斜面をなしています。その成因は、地蔵溶岩流の末端部とも断層崖ともいわれています。その中腹に夫婦岩(ロウソク岩)がそそり立ち、荒々しさを引き立てています。
宮城と山形の県境にある蔵王山は日本百名山の一つです。蔵王の御釜は「刈田岳」「熊野岳」「五色岳」と周囲を3つの山に囲まれた火口湖で、樹氷と並ぶ蔵王のシンボルです。お釜のような形からその名がつけられ、深緑やブルーなど太陽の光によって色を変えることから「五色沼」とも呼ばれています。見る方向によっても様々な表情を見せ、人々を魅了します。周囲は約1km、直径は約325m、水深は最も深いところで27.6mとされ、強酸性の水のため生物は生息していません。
釜状なので「御釜」という名前がつきました。湖面はエメラルドグリーンの水をたたえ、荒々しい火口壁と対比して神秘的な雰囲気です。冬の樹氷と共に蔵王の象徴となっています。今まで 26回の噴火を繰返し、最近では明治 28年 2月 15日に噴火しました。昭和 14年に測深した当時は深さが 63mありましたが、五色岳断崖の崩壊により年々埋まり、昭和 43年の測深時には最大深度 27.6m、平均深度 17.8m、周囲 1,080m、東西径 325m、南北径 325 mでした。湖水は強酸性のため生物は生息できません。水温は表面から 10数mの深度で摂氏 2度まで下がり、それより深度を増すと温度が高くなる特殊双温水層で、世界でも例がない湖です。太陽光線の当たり方で様々に色を変えるため、「五色湖」とも呼ばれています。南西から流れ出て濁川となり、賽の磧の北側を迂回して太平洋側へ流れ出ています。
蔵王連峰を東西に走る「蔵王エコーライン」から「蔵王ハイライン」へと入りその終着点から歩いて展望台に行けます。途中には、絶景が望めるレストランや売店が入る「蔵王山頂レストハウス」も。蔵王エコーライン・ハイラインのオンシーズンは4月下旬~11月上旬で、冬期は通行止めとなるのでご注意が必要です。比較的楽に登れる刈田岳山頂(1758m)には蔵王権現が祀られる「刈田嶺神社 奥宮(かったみねじんじゃ おくのみや)」があります。お釜~刈田岳は徒歩10分です。熊野岳山頂へと続く登山道「馬の背」から見る御釜もおすすめですが、1時間ほどのトレッキングコースとなるので、服装や靴などしっかりと準備をして行きましょう。火口周辺規制がされることもあります。噴火に関する情報は気象庁webサイトをご確認ください。
スノーモンスターとも言われる蔵王ならではの繊細で雄大な樹氷に出会えます。樹氷は限られた地域にしか見られない、全国的にも珍しいもの。霧状になった氷点下の水滴(過冷却水滴)を含んだ季節風が木々にぶつかり瞬間的に凍り付くことで大きく成長していきます。定番の観賞方法は「蔵王ロープウェイ」です。山麓線と山頂線の2線を乗り継いで樹氷がですとができます。「ナイトクルーザー号」に乗って観賞する「樹氷幻想回廊ツアー」もあります。「蔵王温泉スキー場」には「樹氷原コース」があり、樹氷を眺めながらスキーやスノーボードで爽快に滑ることもできます。
蔵王連峰の亜高山帯(1300m~1700m)には、オオシラビソ(アオモリトドマツ)の群生林が広がっています。山形県内で蔵王連峰よりも雪が多い山岳(飯豊山地、朝日山地、月山、鳥海山など)では群生林は見られず、蔵王連峰における特徴的な植生を示しています。また冬期間には、スノーモンスター(樹氷:アイスモンスター)と呼ばれる特異な自然現象を見ることができ、蔵王連峰は樹氷発現の特殊条件を満たす貴重なエリアです。同じ亜高山帯のエリア内(1400m~1600m)には、樹齢300年を越すキタゴヨウマツが群生する景勝地「観松平」があり、「羽衣の松」「王将の松」などの名前が付いたものが14本とそれらを巡る1周約1.2kmの遊歩道が整備されているほか、大小数十個の沼(池塘)が点在する貧養湿原「いろは沼」は、高層湿原植物の宝庫となっており、木製歩道や休憩所が整備され、初心者向けのトレッキングコースとして親しまれています。
さらに歌人斎藤茂吉は、父なる蔵王山、母なる最上川としてふるさと山形の自然を讃えこよなく愛したことで知られ、特に蔵王は、幼少のころから朝夕仰ぎ親しみました。オオシラビソの群生林をはじめとする、蔵王連峰の亜高山帯における貴重な自然景観は、斎藤茂吉の感性と思いに触れるとともに、四季を通して類まれな自然を身近に感じ取ることができる、山形が世界に誇る宝です。未来に継承していくため、保存及び活用の取組みを進めていきます。
江戸時代、東北の二大街道のひとつ羽州街道の宿場町として、参勤交代や出羽三山詣で賑わっていました。茅葺屋根の古民家や石造の眼鏡橋など、宿場町の面影を偲ばせる町並みが広がり、古民家の一部は一般公開されています。羽州街道楢下宿は、江戸時代に東北13藩が参勤交代の折に立ち寄った宿場で、往時の町並みが大切に保存されています。天保年間(1830~44)の古文書によると、楢下宿には、出羽三山詣での行者、各藩の家中や商人などが宿泊した記録が残っており、非常に栄えた宿場であったことがうかがえます。楢下宿では、地域住民により歴史・文化・伝統・食など、豊かな地域性が現在にも引き継がれており、宿場にふさわしい景観づくりなど、楢下宿にこだわった活動が展開されています。
食物繊維が豊富、カロリーも低く、昔から健康によいとされてきたこんにゃく。「楢下宿 丹野こんにゃく」は、そんなこんにゃくの専門店です。山形県の名物として知られる玉こんにゃくをはじめ、食卓を彩る惣菜こんにゃく、果物や野菜と合わせたデザートこんにゃくなどといった様々なこんにゃく製品を開発し、製造しています。山形県上山市にある本店では、こんにゃくを主役にした会席料理やカフェ、スイーツメニューの提供も。アイデアあふれる、こんにゃくの新しい味わいを提案し続けています。もちろん、豊かな弾力としっかりした歯応えを持つこんにゃく自体の品質も抜群です。山形の恵まれた自然と四季を利用し、水にこだわり、熟練の職人が妥協を許さない姿勢でそのおいしさを追い求めています。
山形の観光名所と言えばの山寺 、正式名称は宝珠山立石寺といい、西暦860年貞観2年(平安時代辺り)に建てられました。住職の清原正田さんに聞いたところ「昔の東北はまだ未開の地で、特に太平洋側は陸奥という国の領土だった。そのためまず日本海側の文明を発展させるためや国家安泰を祈り、人材の養成を目的として立石寺は建てられた」と言っていました。そんな立石寺は、当時様々な資料を保管していました、今で言う図書館のような役割があったようです。「しかし明治4年に寺領を失ったことで90%もの収入が失われ、その後追い打ちをかけるかのように昭和20年アメリカ軍の命令により寺の残りの収入10%も奪われ、1度は消滅した後県と話し合い観光地として参拝料という形で収入を取り立石寺は復活した」とも言っていました。このように大変な時期があったにもかかわらず、今もなお形を残し続けていることにとても感動します。
山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観2年(860)清和天皇の勅願のよって慈覚大師が開いた、天台宗のお山です。正面の大きな建物は、国指定重要文化財の根本中堂である。延文元年(1356)初代山形城主・斯波兼頼が再建しました、入母屋造・5間4面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されていjr。堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置され、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することができます。
「山寺」の通称で知られる「宝珠山立石寺」。奇岩怪石からなる山全体が修行と信仰の場になっており、登山口から大仏殿のある奥之院まで1時間ほどの道のりのそこかしこに、絶佳の景観が広がります。 俳聖・松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の名句を紀行文「おくのほそ道」に残したことでも知られています。
1015段もある長い石段を登って奥之院を目指すのが王道の参拝ルート。この石段は登ることにより煩悩が消滅すると言われている、ありがたい修行の石段。修行とはいえ、途中には句碑などの史跡や絶景が広がるスポットなど見どころがたくさんあり、知的にも感覚的にも楽しみながら登ることができます。
まずは登山口からほど近い場所に位置する「根本中堂」へ。国内最古のブナ材木造建築とされ、国の重要文化財に指定されています。「弥陀洞」は、雨風に削られた岩壁に仏の姿を見つけることができた人は幸せになれるとされるパワースポット。邪心を持つ人がくぐらぬように2体の仁王像がにらみをきかせている「仁王門」を過ぎ、「開山堂・納経堂」へ。雄大な山々を背景に赤い納経堂が巨大な奇岩の上に建つ様は、山寺を代表する眺めです。能の舞台のようなお堂の奥から田園風景を見渡せる「五大堂」も山寺随一のビュースポット。最終地点にあたる「奥之院・大仏殿」は悪縁切りのご利益があるとされています。
自然豊かな西蔵王高原に、平成5年に開園しました。約26haの広大な敷地には、1,200種以上の植物が生育しています。四季を通してさまざまな野草や樹木、昆虫などを見ることができます。4月下旬には、ミズバショウとザゼンソウあわせて約2万株が群生します。5月初旬には、世界でここでしか見られない貴重なミヤマカスミザクラが見頃を迎えます。9月下旬には、渡りをする蝶として有名なアサギマダラが200頭以上飛来します。他にも、クマガイソウやヤマシャクヤクなどの絶滅危惧植物が来園者を迎えてくれます。