四方山見物13

 



 

梅雨で益々色鮮やかに尾花沢市の徳良湖にある「ラベンダー」です徳良湖が一望できる素晴らしいロケーションで見学出来ますよラベンダー(ラヴァンドゥラ属)はカナリア諸島~地中海沿岸、インドにかけて20数種が分布する小低木です。主に栽培されているものに、イングリッシュラベンダー、フレンチラベンダー、フリンジドラバンダ-、ウーリーラベンダーなどがあります。主な開花期は春~初夏で、花茎を伸ばしてその先端に小さな花を穂状にたくさん付けます。花色は淡紫~濃紫、白などがあります。草姿や花は種によって様々です。花壇に植えて花を楽しむほか、花や茎、葉などに芳香がありハーブとしても扱われます。蒸留して得られた精油(エッセンシャルオイル)は香料や香水の材料になります。 芳香の主成分は酢酸リナールやリナロールでこの2つで芳香成分の8割以上を占めます。いくつかの種から精油が採取できますが、その中でもイングリッシュラベンダーが最も質が高いとされています。花を乾燥させたものはポプリになります。



 

 

スイカといえば子供のころを思い出すとお盆の頃の食べものです。仏間にはお盆のお供えやお盆飾りがきれいに飾られています。そこには必ず大きなスイカが飾られていました。そしてお盆が過ぎないと食べられないことも知っていました。『尾花沢すいか』とは、尾花沢市周辺でとれるすいかの総称です。昭和初期から作付けしていると云いますから、歴史的にも古い産地ということです。一面をおおう葉っぱの間をよく見ると、そっちにゴロン、こっちにゴロンと、まるまると肥えたヘビー級たちが収穫を待っています。

 

ながい産地としての歴史がすいか産地としての名門のプライドが「高品質なすいか作りを」という高い意識を生み出していることも見逃せません。技術面でも時代ごとに進展を見せ、今では自然条件をうまく活用した早出し・遅出し栽培も行って、栽培期間を広くとってリスクを回避しているのです。そして、なんといってもこの地域の土壌はクロボクと呼ばれる黒土、火山灰によってできたサラサラした軽い土なのでスイカのような敏感な作物には相性はピッタリなので古くからスイカ栽培が盛んにおこなわれてきた名産地なのです。スイカは重いので首都圏周辺の産地が有利だったのですが、近年は物流が発達して山形の名産地が一躍を担っています。東京市場では大規模産地の尾花沢スイカは夏スイカの名産地になってきました。



前森高原特製の手造りウィンナーやベーコンを一度に味わえるビアハウス、手打ちそばが食べられるそば処もあり、コテージ・キャンプ場の宿泊施設も完備してあるため、疲れを気にせず一日中ファミリーや仲間同士で楽しめ満喫できます。

 

200haの広大な敷地が広がる前森高原。馬や鹿、ヤギ、ヒツジなどたくさんの動物と触れ合うことができ、オートキャンプ場や乗馬体験施設、ソーセージ作りやアイス作り体験施設など様々な体験ができることでも大人気。大自然の中で思いっきりレジャーを楽しめます。前森高原は、施設と体験メニューが充実しており、大人から子どもまで楽しむことができます。なかでも乗馬は人気が高く、初めての方でもスタッフが親切に乗馬の指導をしてくれます。ほかにも、ソーセージ作り体験やアイスクリーム作り体験、前森ふれあい陶芸館『カムロ窯』では陶芸体験を楽しむことができます。また、世界的な冒険家・大場満郎氏が指導する冒険学校、キャンプ場やコテージなど宿泊施設もあります。食事や休憩施設も充実、ビアハウスでは手作りアイス・ハム・ソーセージが堪能できるほか、「そば処はらっ葉」では地元のそば粉を使った手打ちそばも味わえます。

 



山形県尾花沢市には、江戸時代初期に大銀山として栄えた延沢銀山がありました。その銀山で働いていた坑内員によって発見されたのが、約500年の歴史を持つ「銀山温泉」です。温泉街は銀山の衰退とともに一時はさびれていましたが、大正・昭和時代に盛り返し、銀山川の両岸に木造多層建築の旅館が次々と建てられました。

 

銀山温泉の魅力の一つは、木造建築の旅館が作り出す昔ながらの街並みです。石畳の小道を歩けば、所々に埋め込まれた色鮮やかなタイルが目を楽しませてくれます。クラシックな着物やはかまを借りられる店もあり、着替えて散策すれば大正ロマンの世界を体験できます。

 

のどかな日中の雰囲気も良いですが、夕暮れ時も風情があります。橋のたもとに立つガス灯に明かりがともり、一層ノスタルジックな雰囲気に包まれます。豪雪地帯ならではの雪景色もまた、感動的な美しさです。銀山温泉のシンボル的な存在なのが、4階に望楼がある「能登屋旅館」だ。創業は1892(明治25)年、本館の建物は1921(大正10)年に建てられたもので、国の登録有形文化財にも指定されています。風格ある建物はもちろん、柱や戸袋などに施された精細な鏝絵(こてえ)にも注目したいです。鏝絵とは、左官職人が漆喰(しっくい)で作ったレリーフのことで、銀山温泉では能登屋旅館以外の建物にも見ることができ、職人の心意気を感じさせます。木のぬくもりに満ちた館内もまた、趣あるたたずまいです。丁寧に磨き上げられた廊下の床板や階段の手すりはあめ色に輝き、長い年月を経ているからこその美しさを宿しています。客室は、大正時代の建物が使われている本館と、モダンな雰囲気の別館があります。いずれも広々とした造りの和室で、上質なひとときを過ごせます。



地蔵権現の教えを信じ、今に伝わる長い歴史を湯の中に見る事ができます。肘折温泉の発見は、今から約千二百年ほど前、大同二年(807)平城天皇の時代とされ、第百代後小松天皇の御代明徳二年(1391)の正月二日に、初めて温泉場として開業しました。発見にまつわる伝説も興味深く、“昔、豊後の国(大分県)からきた源翁という老人が山中で道に迷い途方にくれていたところ、後光きらめく老僧に出会った。”というようなことがらが縁起書に記されています。この老僧こそが地蔵権現であり、かつて肘を折って苦しんでいたときに、この湯につかったところたちまち傷が治った、と語り、世上に湯の効能を伝えるべく翁にいい渡したとされています。以後、近郷の農山村の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として、また骨折や傷に有効な湯治場としてにぎわってきました。また、老僧が住んでいた洞窟は“地蔵倉”と呼ばれるようになり、今では縁結びの神として参詣が絶えません。

 

肘折温泉への入り口で人々を迎える『小松淵(こまつぶち)』一帯は、今から約1万年前の噴火で生まれた溶岩ドーム(溶岩円頂丘)で、トロイデ型の小火山だったという説もあります。 隆起した後、冷え固まった溶岩を銅山川の流れが削り、永い時を経て淀み淵となり、水面に樹影を映す現在の美しい『小松淵』となりました。

 



この地を流れ る銅山川は、小松森の岩にぶつかり、大きく曲がり渕を形成しています。小松森は、今から約1万年前に起こった肘折カルデラの最後の噴火でできた、火口を持つトロイデ型の小火山です。この地は春には緑の姫小松、秋には紅葉に彩られた小松森が水面に映え、四季折々の景観が楽しめる景勝の地として知られています。

 

この地には、次のような大蛇の伝説が伝えられています。昔、この小松渕には巨大な大蛇が住みつき、豪雨を降らせたり、田畑を荒らしたり、不思議な赤い橋に化けて人に怪我をさせたり、時には村人の命を奪うこともあり、村人たちからは小松渕の主として恐れられていました。これを聞いた新庄藩の二代目藩主の香雲寺様は、「我が領内に、我以外の主はあるべきはずなし、汝行きてこれを退治せよ」と、剛勇の士の小山八郎に命じました。君命を受けた八郎は、奮然として渕に飛び込み、噂通り小松森を七回り半もする巨大な白蛇と大格闘の末、ようやく息の根を止めることが出来ました。息絶えた大蛇から吹き出た血潮は、七日七晩川の水を朱に染めるほどだったと云われています。

 





 

寒河江沿いにある広大な敷地にはさまざまな施設があり、山形の名産品を購入できるコーナーの他、四季折々のフルーツを使ったスイーツやブランド牛を使用したグルメなども堪能することができます。また、同じ敷地内にあるさくらんぼ会館では、さくらんぼなどの地元産フルーツや特産品を使った『JA手づくりアイス』が大人気です。その他、日本の伝統美を生かした木造建築の本格的な茶室「臨川亭」や、姉妹都市であるトルコ共和国ギレスン市にちなんで建設された「トルコ館」など、みどころがいっぱい。世界のさくらんぼ107種類が植栽されている「国際チェリーパーク」で季節の果物が実った様子をみながらのんびりと散策するのもおすすめです。芋煮広場やテニスコート・グラウンドなど河川敷にある施設を使用することもできます。



 

山形県のほぼ中央に位置し、出羽三山で有名な月山や朝日連峰、奥羽山脈など流麗な山々に囲まれており、自然豊かな地域です。また、山形県の母なる川『最上川』と清流『寒河江川』が市街地を包むように流れており、その肥沃な土地からは品質の高い農作物が多く収穫され、特にさくらんぼシーズンは多くの観光客でにぎわいます。寒河江市といえばさくらんぼ。市内には国内最大規模の観光さくらんぼ園があり、6月上旬から7月初旬までさくらんぼ狩りができます。全国的なブランドである佐藤錦のほか、寒河江で生まれた紅秀峰もおすすめです。

 

観光さくらんぼ園では、木になっているサクランボをその場で味わえる「さくらんぼ狩り」が楽しめます。観光さくらんぼ園は市内に約300箇所あり、その敷地面積は合わせて50ヘクタール(東京ドーム約10個分)。国内最大規模の敷地を誇ります。周りを山々に囲まれ、清流「寒河江川」と「最上川」の合流地点に位置する寒河江は、サクランボの生育にうってつけ。豊かな自然の中で育まれた、とびっきりの「寒河江のさくらんぼ」は全国の方々の心をとりこにします。



 

昭和29年、当時の山形県知事安孫子藤吉氏がここを遊び柳川から小寺に至る巨岩絶壁の渓谷を、漢詩の一節から引用して”神通峡”と命名しました。この渓谷は昭和九年頃、朝日連峰の山すそに群生するブナ材の搬出や造林事業などの国有林野経営のため、森林軌道として開削されたのが始まりで、その後林野事業の廃止により、昭和四十年にその軌道は廃線となりました。その後を受けて昭和五十四年から、かってトロッコが走った軌道跡を遊歩道及び林道として町が整備に務め、昭和63年に全線が完成しました。原始の自然が息づく神通峡は、東北の黒部峡谷とも称され、四季折々の変化に富んだ自然が折りなす景観は、訪れる人たちを神秘の境地に誘ってくれます。この神通峡えおよりイメージを高め、町内外に周知して、観光地としての開発を図る為に、神通峡不動明王建立事業を企画し、実施しました。

 



 

古くからツツジの名所として有名な長岡山に、11種類4万3千株のツツジが咲き誇ります。開花時期にはイベントも開催され、多くの人で賑わいます。東北最大級のつつじ園からは山形盆地と蔵王を一望できます。見頃は5月上旬から下旬まで。11種類のつつじは、早生種から晩生種まで長期にわたって楽しめます。一部、藤棚も設けられており、紫色の花を添えます。開花期間中には夜間ライトアップも行われます。



 

標高約160mの長岡山一帯を整備した「寒河江公園」。山形盆地や蔵王、月山、朝日連峰の山々を一望できる見晴らしのいい場所です。桜の名所としても知られている公園の一角には、東北最大級の「つつじ園」があり、11種、約4万3千株のつつじが植えられています。見頃は例年5月上旬〜下旬にかけて。赤、ピンク、白、黄色と色とりどりのつつじの絨毯が広がる絶景が楽しめます。見頃にあわせて夜間のライトアップも実施。藤棚も設置されており、ツツジと紫色の藤を合わせて鑑賞できます。



 



 



奥羽山脈を水源とし流れる清流最上小国川、その水辺に川の駅「ヤナ茶屋もがみ」があります。眼前に広がる四季折々の景色、ヤナで穫れた鮎の炭火焼、"最上早生"(もがみわせ)十割そばをはじめとするお食事ができます。簗漁は、伝統的な鮎漁の一つで、産卵に向かって川を下る鮎の習性に基づいて考案された漁法であり、古くは弥生時代にまでさかのぼるといわれています。川を堰き止め水流を3~4間幅位の一ヶ所に集め、スノコの上に落とし、下る鮎を受ける仕掛けで「待ち」の漁です。鮎は産卵の頃になると一度に大量の鮎が簗に落ちてきます。それをこの地域では「落ち鮎」と呼んでいます。卵や白子を持っており、違った食感と香りが楽しめます。この簗は、鮎漁をするばかりでなく、河川の清掃を行う役目も行っています。簗を張っている時期は、鮎漁と同時にゴミも拾います。それ以外の時期は、定期的に流れてきたゴミを拾っています。全国的にも類にない試みとして注目されています。



 



道の駅とざわ高麗館は、山形県戸沢村に位置する国道47号線沿いにある、韓国の建築様式を取り入れた道の駅です最上川舟下りで知られる戸沢村にある道の駅は、小高い丘の上からは、雄大な最上川や辺りに広がる田畑など美しい景色を眺めることができます。韓国文化を再現した建物が特徴で、韓国の食材や人気のコスメなどが販売されている物産館や、ビビンバや冷麺など本格的な韓国料理が味わえるレストランが併設。その他、旬の野菜や山菜が販売されている直売所も人気があります。また、チマチョゴリのレンタルも行っているので、衣装を着て写真撮影をすれば、プチ韓国旅行気分が楽しめます。