温泉三昧14

 

 

湯の浜温泉は山形県鶴岡市にあります。日本海に面し、波の音と松風の聞こえる海浜の温泉郷として有名です。湯の浜は山形県で最も大きい海水浴場として、そのシーズンには多くの海水浴客で賑わい、日没には日本海に沈む真っ赤な夕陽が見られます。都屋は、海と砂浜が目の前の温泉町に建つモダンにアップデートされた上品な老舗の温泉旅館(大正八年創業)です。天井までの窓を設けるロビーは、テーブルセットが並び品のある落ち着いた雰囲気です。

 

湯野浜 温泉の起源は、11世紀とされている。湯野浜付近の漁師が、海辺で亀が温に入っていて、何日か続いて、傷が治っていくのを見たという。湯野浜 温泉の伝説によれば、完治した後、漁師は夢を見て、この湯のことを皆に教えてやれという老人が出てきたそうだ。華夕美日本海は、砂丘松林の高台にあり、その日その日で違う顔を見せる日本海と青松林のコントラストな絶景が良いです。施設は広大な敷地に10階建ての威容を誇り一見敷居が高そうですが、お手頃価格です。お風呂は森林浴気分が味わえる開放的な露天風呂がお勧めです。泉質は無色透明の柔らかいお湯で、心も体もポカポカになります。

 

湯田川温泉は金峰山の麓にある湯治場として栄えた温泉郷です。鶴岡の奥座敷として地元民に親しまれ、庄内藩政の時代には、藩主や美人の湯としてお姫様がお忍びで温泉を楽しんだという言い伝えがあります。湯田川温泉郷は、今も古くから伝わる庶民的な湯治場としての面影が残っています。華やいだ雰囲気は無く静かな佇まいの中で、道を挟んで肩を寄せ合うようにして並ぶ黒塀の宿や白壁の宿が建ち並びます。そんな由緒ある温泉街の一角に九兵衛旅館がありました。綺麗にリニュアルされた当施設で今回は昼食付きの日帰り入浴をさせて頂きました。

 

湯田川温泉の歴史は古く1300年前からあるという事です。白鷺によって発見されたという開湯伝説があります。地味な雰囲気の温泉街ですが2001年には国民保養温泉地に指定されている湯田川温泉には大小2箇所の共同浴場、正面湯と田の湯があります。正面湯は温泉街の中央に、田の湯は路地を入ったところです。大井商店で入浴券を買うと、商店の女将さんが「鍵を開けるから一緒に」と案内してくれます。外来客は鍵を開けてもらうシステムです。浴槽は足を畳んで6人程度が入れるタイル張りの風呂です。温泉はナトリウム・カルシウム硫酸塩温泉で、これが加水・加温無しで注入されています。風呂の大きさに比較し、注入量が多いので風呂の縁から温泉が絶えず流れ出しています。館外にかけられたボードには、日本屈指の注入率の共同浴場と高らかに謳っているのが頷けます。新鮮この上ない適温の温泉、加えてすべすべ感とキュキュ感があります。浴室の換気が今一で、湯気で周りが欲見えないのが残念です。

 

あつみ温泉の温海の名の由来は、温泉から溢れ出た湯が川を流れ日本海を暖めたことから来ています。あつみ温泉には、260年の歴史を持つ名物「あつみ温泉朝市」があります。4月1日から12月5日まで毎朝5時から8時まで開店しています。近郷近在の農家が旬の味覚を商う風情は昔から変わることはありません。この地の特産の「赤かぶ」や水産加工品まで魅力溢れる商品が並びます。 瀧の屋は木造2階建ての昔造りの宿で、作家横光利一のゆかりの宿です。

 

温海温泉は開湯1000年の温泉です。この地は荒々しい日本海に面していますが、海から少し離れていますので風は遮られ温泉街は閑静な佇まいになっています。古くから名湯として知られている温海温泉、その中の「たちばなや」は、370年前より火を灯す歴史ある温泉宿で、情緒溢れる日本庭園に四季を感じられます。これまで皇室三代をお迎えしている由緒あるお宿ですが、決して敷居が高い訳でもなく、堅苦しい訳でも有りません。ただ歴史の重みが感じられます。

 

温海岳や温海川などの自然に囲まれた創業三百余年の老舗旅館「あつみ温泉 萬国屋」。弘法大師に発見されたともいわれる「あつみ温泉」は、1000年にも及ぶ長い間、湯治場として栄えてきました。古くから松尾芭蕉、与謝野晶子などの文人墨客が数多く訪れ、また、江戸時代は藩公認の湯役所として栄えてきました。黒瓦葺きの門をくぐると、天井に木組みや格子をあしらった吹き抜けが広がります。千年の歴史を持つあつみ温泉を満喫するには、幻想的な灯りの庭園大露天風呂「桃源山水」や大浴場「楽山楽水」があります。大浴場にはシルクバスも。ミクロの泡の気泡によるやわらかい刺激で毛穴の奥の老廃物を排出し、美肌効果が期待できる嬉しいお風呂です。また外の露天岩風呂も大きく、風情のある造りです。

 

あつみ温泉の誕生は今から1,000年以上も昔に遡ります。弘法大師の夢枕に童子が立ち、その示現によって発見したとか、傷ついた鶴が草むらから湧き出る湯に足を浸しているのを木こりが見つけた、など諸説語られております。庄内藩主酒井忠勝公が入国した後、藩公の湯役所が設けられ、以来近郊の湯治場として栄えてきました。古くから文人墨客も多く訪れ、松尾芭蕉、与謝野晶子、横光利一など、小説、詩歌に数多くうたわれています。、「正面湯」という名前は庄内地方においてその地の中心的な公衆浴場を意味しています。ここのお湯は少し薄い白濁りに見えますが、鈍っている訳ではありません。すんごく熱くて入るのにためらいます。でも入るぞー!源泉は二段になったところを伝って温度を少し下げて湯船に落ちています。水の蛇口もあって、熱ければ水を入れるように書いてあります。甘い石の臭いがします。熱すぎるのもあって長くは入れません。上がって休んでも冷える気がしません。湯上りはわりとさらさらしていますが、とにかく温まりが引かないです。

 

湯之里公衆浴場に行くには温海川を渡らなくてはなりません。別名を里の湯ともいう湯之里公衆浴場は、橋を渡った後、たちばなやの横をずっと進んでいった山形県福祉休養ホームの隣にあります。建物はほとんど飾り気が無くて、いかにも観光客向けではなく地元向けという感じです。受付などは無く、ビジターは箱に入浴料200円を投入します。浴室は、4人サイズの浴槽に、壁に突き出ている蛇口より源泉が投入されており、水栓金具には白い析出がこびりついていました。お湯はここのみならず、U字型の曲線部分の底部からも熱いお湯が出ているのですが、そのお湯は、右側手前に設けられている湯溜まりから、床の下を通って浴槽へ流れ込んでいました。この細長い槽に張られているお湯は篦棒に熱いのです。飛び上がるほど熱いお湯がそのまま注がれているためですが、地元密着型の共同浴場でうかつに水で薄めると、常連さんから怒られる可能性が高いので、その熱さに耐えながら湯船に入ったものの、せいぜい1分が限界です。これは烏の行水で済ませるしかないかと諦めかけていたところ、後から地元の常連さんが登場し、仏頂面で掛け湯をしはじめたこの常連さんも、さすがに熱すぎると感じたらしく、お湯を止めて水道の蛇口を全開にしたので、そのおかげで適温にまで落ち着きました。

 

国道7号沿いにある日帰り温泉施設です。海底温泉と名前が付いているのは,源泉が海底から引っ張っているからであり,浴室が海底にあるわけではありません。浴室は駐車場の上の部分にあり,海を見渡せるような造りになっています。入り口で入浴料を支払い,階段を上に上がると男女別の浴室があります。脱衣所の奥に,小振りな浴室があります。浴室の面積の半分あまりを占める巨大なタイル浴槽に,間欠的にゴボッゴボッとお湯が注がれかけ流されています。ふんわりと石膏臭のような温泉臭が香り,やや熱めのお湯が静かに湯面をゆらしています。浴感はビリッとした感じで,湯上がりが若干べとつき感を感じです。浴後はよく温まり,体がポカポカして汗が出てきます。

 

戸沢村は、庄内と内陸を繋げる険しい山々の間を縫うように最上川が流れます。その昔俳人松尾芭蕉が「五月雨をあつめて早し最上川」の名句を残した所といわれ、最上川随一の景勝地を見ながらの舟下りで特に知られています。その舟下りの終着地に草薙温泉があります。ここの温泉の特徴は、眼下に流れる大河を見ながら入浴出来、対岸の険しい山々の四季折々の移り変わりを鑑賞出来る事です。臨江亭・滝沢屋の大浴場は、清流最上川の雄大な流れを眼下に楽しむことができます。

 

県内初の砂風呂や薬湯などがある温泉施設「ぽんぽ」舘は、田んぼと里山の境辺りにある、周りから比べるととてつもなく立派で近代的な構造物です。こんな豪華な日帰り温泉施設がこんな所にどうしてあるのか不思議です。公共施設だからですかね?古くから野口の源氏楯に住む "源氏タヌキ"の一家があり、滅び去った楯主の生まれ変わりと言われている。戸沢村のこの地方では、幼い子供達と風呂に入るとき、"ぽんぽ"に入ると言う、源氏タヌキの母子の姿にあやかった表現です。

 

山形県鮭川村は、稲作とキノコ栽培が盛んな人口6千の農村です。豪雪地として知られるこの地域の村の中心部からさらに山間に行った所に旅館4軒の静かな温泉街、羽根沢温泉があります。大正8年、石油発掘のためボーリングをしていた所、偶然湧き出した温泉です。以来90年に渡り、地区では湯神社を祭るなど温泉を大切に守ってきました。この地区では、殆どの家に風呂を持たず、地区の共同浴場を内湯がわりに利用してきました。三ツ森山と大森山の麓にある温泉です。

 

山形県と秋田県の県境の町「山形県 真室川町」に、1938年(昭和13年)から1962年(昭和37年)までのあいだ、木材を運搬する目的で運行されていた鉄道があったそうです。その鉄道は「真室川森林鉄道」という鉄道で、真室川町の森林で伐採された木材を、奥羽本線 釜淵駅まで運んでいたそうです。その、真室川森林鉄道で使われていた車両が、現在は観光用の森林トロッコ列車として、真室川温泉「梅里苑」という温泉施設の敷地内にある森林の中で運行されています!真室川温泉は♪♪わたしゃ~真室川の梅ぇの~花ぁこおおりゃ~♪♪の真室川音頭で有名な山形県最上郡真室川町の金山川の流れを眼下に一望する高台に昭和63年2月にオープンした比較的新しい温泉施設です。浴室からは、お天気が良ければ月山を望む事が出来ます。この町は真室川音頭に代表されるように、町の花が「梅の花」、町の木は「梅の木」、テーマソングが真室川音頭で梅づくしの町です。

 

グリーンバレー神室に佇む滞在型リゾートホテル。ホテルシェーネスハイム金山は、JR東日本グループのパートナー施設です。温泉「ホットハウスカムロ」は、地元金山杉をふんだんに使った天然温泉です。うっそうとした杉林の中にある「神室温泉」は、秋田県との県境にある神室山の麓有屋地区にあります。当地唯一の温泉施設です。併設された宿泊施設と渡り廊下で繋がっています。金山町は、江戸時代には金山宿と中田宿が置かれ宿場町として発展してきました。金山杉で知られる金山町は町域の半分以上が森林で占められており、その金山杉と白壁を使用した趣き深い住宅は「金山型住宅」 と呼ばれています。

 

山形県の母なる川「最上川の中腹にある新庄市の本合海地区の国道47号線から杉林を登った所に新庄温泉「あぶら山」があります。数件の宿らしい物が建っていますが、現在営業をやっているのは2軒くらいです。他は潰れていました。雪の重みで!!この施設は昭和6年に油田発掘で発見されたために、当初は油山温泉と呼ばれていました。泉源は、東北では珍しいブロムヨードを含有するアルカリ泉です。

 

企業の保養所は言わずもがな社員の福利厚生を目的とした施設ですから、関係者以外の利用ができない場合が一般的ですが、山形県最上町の前森高原近くには、地元の畜産会社が自社保養所の温泉浴場を一般開放しています。道の両側に牛舎が立ち並び、車の窓を開けるとそこここから「芳しい香り」が漂ってきます。広い敷地の中に2階建ての家屋が建っており、玄関を入って右手に窓口があります。説明によれば湯銭は入浴後で良いとのことです。お風呂は男女別の内湯のみで、浴槽がひとつ設けられているにすぎませんが、窓を全開にすると庭園を眺めながら半露天風呂状態で湯浴みを楽しむことができます。お風呂も隅々まできちんと手入れが行き届いていて、その清潔さには感心させられます。浴槽はおおよそ10人サイズで、縁が黒御影石、槽内は正方形の石板タイル貼り。浴槽を満たしたお湯は縁の右隅および左隅の双方から床へ溢れ出ており、その流路に当たる床の表面は赤茶色に染まっています。お湯は無色透明で、石膏の味と匂いがふんわりと感じられ、弱い芒硝感も混在しています。

 

芭蕉が「奥の細道」で宿泊した封人の家近く、山形と宮城の県境に近い位置の国道48号線沿いに琵琶沢温泉があります。ペンション風のこの施設は、地元ではけっこう人気で、山形県だけでなく、宮城県側からのお客さんも多いです。露天風呂から眺める渓谷美はまさに絶景です。かつては14棟ものペンションがあり、プールやテニスコート、それにオートキャンプ場も備えられた温泉で、ドライブ帰りに入浴だけを楽しむことも出来ましたが、不況のあおりを受けて廃業となり、今ではゴーストタウンとなっています。

 

鮎の産地で有名な小国川に沿って最上温泉郷(赤倉温泉・大堀温泉・瀬見温泉)が続きます。瀬音ゆかしい環境は昔から保養の地として親しまれ、現在でも保養所や旅館などが数多く軒を連ねています。大堀温泉は最上町の西、小国川と白川の合流するところにある一軒宿で、近代的な設備の整った温泉となっています。元々は最上温泉で、ここより300mほど上方にあったものです。昭和47年の開館で平成4年リニュアルされました。「もがみ」は高台に位置するため眺めが良く、開放感あふれる景色が楽しめます。

 

宮城県の古川と山形県の新庄とを結ぶ国道47号線の山形県側は母なる川「最上川」の支流小国川に沿って走っています。その小国川の中流に瀬見温泉があります。この付近は大きな谷になっていまして、その真ん中を流れる小国川に架かる橋を国道より渡りますと川沿いに温泉街があります。橋を渡ってすぐは道幅が狭いのですが、温泉街の中はさほど気にしないで車で入ることができました。その中央部に共同浴場が有りましたが、温泉街を見渡し一番歴史を感じるような宿の門を潜りました。瀬見温泉喜至楼です。

 

四方山に囲まれ、清流小国川の両岸に開けた歴史ある温泉地の赤倉温泉は、昔、阿部貞任の子孫という阿部与五右エ門が開いたと云われています。また、一説には貞観年間、慈覚大師が岩手の立谷窟から山形へ超えられるとき山中の川辺に掘り出されたものとも言われています。旅館三之丞は、赤倉温泉の入り口にある有名な温泉旅館です。玄関から中に入ると、そこは土間になっていて、そうとう昔の東北の農家の雰囲気が感じられ、こころ穏やかに懐かしさが思い出されました。

 

赤倉温泉に日本庭園内の大露天風呂や産直施設、交流スペースを備えた日帰り温泉施設が誕生しました。「旧せんしん館」をリニュアルした館内には、日本庭園内にある大露天風呂や内湯を楽しめる「芭蕉の湯」が新設され、「旧せんしん館」から受け継いだ懐かしさ漂う内風呂と、小さめな露天風呂の「曽良の湯」、お子様連れなど家族で楽しめる「峠の湯」がご利用できます。内湯は石タイル張りで底には丸石が埋め込まれています。意外と深さがあり、お尻をつくと肩までとっぷり浸かれました。また内湯は井戸水加水ありの循環式だそうです。お湯は無色透明無臭であまり特徴は見受けられません。ちょっととぬるめですので、ゆっくりと浸かるにはよさそうです。露天風呂は、内湯からは繋がっておらず、一度脱衣所を経由する必要があります。こちらは全面石タイル張りで、周囲の巨石がワイルドな雰囲気を出しています。内湯よりさらに狭く、4人も入れば圧迫感が強そうです。汚いわけではないですが、隣の竹林の葉が結構入ってしまうようです。露天風呂の開放感はなかなかのもの。こちらのほうがお湯使い良く、加水無しの掛け流し式です。

 

石抱温泉は、山形県のほぼ中央部にある肘折温泉の、奥にある変電所の前を通り、西南方向へ銅山川沿いに約3km進んだ所に湧いている温泉です。炭酸の量が異常に多く、体が浮いてしまう為石を抱いて入浴するという事から、「石抱温泉」となりました。5分ほど浸かっていただくだけで、後から体がポカポカしてきます。正に養分100%。秘湯中の秘湯と言えるでしょう。2~3台駐車出来るスペースの入口には、自然岩にペンキで書かれた看板があります。そこから獣道のような道を歩いて進みます。出掛ける時期や時間を選ばないと、動物や虫などに遭遇しそうです。

 

肘折温泉の発見は、今から1200年程昔とされている。近郷の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として、又骨折や傷に有効な湯治場として賑わっています。場所は山形県最上郡大蔵村にある山間の自然豊かなマイナスイオンが一杯の所です。山間の森林資源に恵まれた土地ですから、その造りはごらんの通り木をふんだんに使ったとても個性のある建物です。肘折温泉は昔から近隣の人たちの湯治場としてひたしまれて来ました。その名残が感じられます。「カルデラ温泉館」は温泉街の中心部から徒歩で20分ほど離れた、黄金温泉と呼ばれるエリアにある日帰り温泉施設です。施設名の「カルデラ」とは、約1万年前の火山活動によってできたカルデラ盆地に温泉郷が広がることに由来しています。外観で見た八角形の建物の部分が浴場棟になっています。男女別の大浴場は内湯だけのシンプルな造りで、窓のデザインなどにレトロモダンな雰囲気が漂います。

 

肘折「いでゆ」館は、1,200年の歴史のある肘折温泉郷の豊富な温泉を利用して、保養や健康増進などを図っていただく施設です。中でも、温泉療養相談をメインに、現代的な湯治のスタイルの指導などが受けられるのが特徴です。また、観光、文化などの情報を提供する肘折温泉郷の中核的な施設となっております。施設には、掛け湯、寝湯を備えた木造りと石造りの2つの展望風呂のほか、温泉療養室、多目的ホール、大休憩室、小休憩室(3室予約制)などがあり、ゆったりとくつろげるように配慮されています。

 

肘折温泉は、1200年もの歴史がある湯治場です。肘折の湯は主に切り傷や火傷に効果があるといわれています。上の湯は温泉街の中心にある共同浴場で、肘折温泉のシンボルです。隣には薬師神社への長い石段があります。建物はコンクリートで、がっちりした造りで、浴室には大きな石造りの湯船があります。上の湯の湯は熱くもなく温くもなく適温の無色透明の透き通ったきれいな湯です。浴槽縁にはお地蔵様が祭られています。源泉は3箇所から投入、注入されていて浴槽内の湯も新鮮です。飲泉コップがあり飲んでみるとクセがなく飲みやすいです。湯上がり後はサッパリ感が出てきました。

 

開湯1200年余り、古き良き湯治文化が色濃く残る肘折温泉は、肘折カルデラの底にある珍しい地形と雄大な自然に囲まれた温泉地です。「洞窟乃湯 松屋」は温泉街の中央にあります。大正時代に職人たちによって彫られた約40mの手彫りの洞窟の奥に沸く当館名物の洞窟乃湯(あなゆ)も内風呂も天然温泉100%の源泉かけ流しです。洞窟の入り口を抜けるとそこはもう、真っ暗のです。 ごつごつした岩肌がひんやりと肌に感じられます。洞窟温泉は別格、古き良き湯治場で気持ちゆったりと入浴を楽しめます。

 

舟形「若あゆ」温泉は、山形県北部舟形町の北東、小高い丘の上にあります。平成5年8月にオープンした舟形若あゆ清流センターの中にあります。温泉名につけるほど、この地を流れる小国川で捕れる鮎の塩焼きはそれは格別なのです。施設は大きなもので、周囲には「あゆっこ村」というコテージが広がっています。温泉も沢山の人で賑わっています。高台にあるため施設からは、小国川や田園風景を一望出来、素晴らしい眺めを満喫出来ます。

 

谷間の川を挟んだ狭い場所に温泉街が有りますので、日帰り温泉を楽しむ為には約500m手前の共同駐車場に止める必要があります。大正ロマン漂う銀山温泉はその昔「出羽の銀山裸でいても金や宝は掘次第」と唄われた鉱山のまちです。銀山川の清流を挟んで、三層、四層の木造旅館が軒を並べる銀山温泉。現在は、ガス灯や石畳が整備され湯の街ならではの風情があり四季折々おだやかな表情を映しております。温泉街周辺には、無数の銀抗洞があります。銀山温泉といえば、その古い建物の街並みが素晴らしいことで有名ですが、そんな歴史ある銀山温泉に建築家の隈研吾さんがデザインして、2001年7月にリニュアルした共同浴場が「しろがね湯」です。古い、鄙びているイメージの共同浴場ですが、しろがね湯は中に入るとモダンな空間が向かえてくれる、他にはあまりない雰囲気をもつ温泉施設になっています。

 

古勢起屋は、代々の伝承で初代小関吉左衛門が慶長年間に米沢より当銀山温泉に越し、両替商を営み始めた所が起りとされております。小関館, 木造3~4階建の宿が建ち並び、情緒ある銀山温泉。大正から昭和初期の建物だそうです。現在はこの景観を保存するため、温泉街には車は進入できません。江戸時代にはその名の通り銀山で栄えました。銀が採れなくなってから湯治場として栄えてきました。館内は時代劇に出てくる旅籠のような感じです。床はきしみ、ふすま一枚で仕切った部屋があり、まさに湯治宿の装いです。硫黄臭の一寸熱めの湯が掛け流しになっています。

 

銀山温泉の入口に立つと、時代の歯車が大正時代でとまってしまったような錯覚にとらわれます。川をはさんで両側に建つ旅館は、まるで昔の宿屋の舞台装置です。能登屋旅館は、その中ほどに、望楼のような三階建ての木造建築を保っていた。なるほど文化財的な古い建物である。銀山温泉は、名のように銀山で栄え、寛永年間の最盛期には2万5000人もの人夫がいたと言います。温泉と銀山の町の繁栄のほどが伺えます。銀山は、川の上流20分ほどのところに廃坑の跡を見せていました。能登屋は、この地に初めて宿を構えたのが明治25年のこと、その初代が能登半島の出身だった事から能登屋の名がつきました。大正10年に改築された大正ロマン漂う本館は国の登録文化財になってます。他の秘湯のように深山や渓谷の一軒宿ではありませんが、古い温泉街を保存している点では珍しい存在です。