白沢峠がある国道406号線は戸隠・長野市を経由し、高崎市まで繋がる道路です。国道とはいえ、戸隠までは道幅が狭く、カーブが連続して続く峠道です。道も荒れているところが多いので、走行には注意が必要です。トンネルの手前には5台ほどの駐車スペースがあり、ちょっとした展望エリアになっています。ここからは、鹿島槍ヶ岳・五竜岳・唐松岳・白馬鑓ヶ岳・杓子岳と、北アルプス後立山連峰の名峰が一望できます。(白馬岳が見えないのは残念)標高が高いところから見ると、北アルプスが間近に迫ってくるような迫力があります。市街地から見上げるのとは一味違います。朝焼けの時間帯を狙って訪れるのも良さそうです。
白沢峠から5分程度、白馬側に下りた場所には「白馬三山」がきれいに見えるポイントもあります。白馬岳の右側には、小蓮華岳・白馬乗鞍岳・栂池高原と続きます。この付近はクマの生息地です。グリーンシーズンの朝晩は特にクマの活動が活発になるので、観光の際は注意が必要です。サイクリスト憧れの…と言っても過言では無い白沢峠は、後立山連峰の山々が連なる最高の景色! 自転車・オートバイ・車などが立ちどまるため、混雑するので周りに注意して撮影しましょう。
白沢峠は、白馬から国道406号線で鬼無里・戸隠・長野方面へ向かう途中にある峠です。1,000mを超える標高から、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬三山など北アルプスの山々を一望するパノラマを楽しめます。車でアクセスできる絶景スポットとして人気で、早朝には朝日を浴びる美しい山々の姿も拝めます。一番右の白馬岳は手前の山の稜線の木々に隠れていて見えません。白沢トンネルの手前に砂利の駐車場(5台程度のスペース)があります。長野・戸隠側から向かうとトンネルの中を走っている途中から、北アルプスの絶景が目に飛び込んできます国道406号線は幅が狭いので運転には注意しましょう。
日本有数の国際マウンテンリゾートとして、100年以上の歴史を有する白馬村は、明治27年に日本近代登山の父といわれる、イギリス人登山家のウォルター・ウェストンが白馬岳を登頂しました。それ以来、数多くの登山家が訪れる憧れの地になったと伝わっています。登山ブームとスキーブームによる大きな影響を受け、白馬連峰に多くのスキー場が誕生しました。白馬村にはこれらスキー場以外にも、長野オリンピックの際に設置された白馬ジャンプ競技場や白馬八方温泉などの温泉地など、一度は立ち寄りたいスポットが点在しています。
白馬村を紹介する観光ポスターや雑誌にも登場するなど、白馬を代表する絶景スポット、大出公園は、敷地の周囲には吊橋や芽葺き屋根の古民家が点在しており、姫川にかかる古民家越しに見る北アルプスなどの景観はまさに美しい田舎の原風景といったところです。懐かしい家屋とともに見せるその光景は、四季折々に合わせて変化していきます。敷地内は緑豊かで、サクラやモモなどが楽しめる観光名所としても人気です。特におすすめの観光シーズンは4月〜5月。この時期に公園から見られる残雪の北アルプスと新緑の美しい川沿いの光景は、見事なコントラストです。
千国街道は、長野県松本市から新潟県糸魚川市に至る日本の街道です。街道名は宿場町の一つである千国宿から採られました。街道沿いの地名を冠した糸魚川街道、安曇野街道、松本街道等の別名を持っています。塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道のことを云います。また反対に内陸からは、山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道でもあります。製塩が化学製法に代わり、専売法に依る規制がかけられる以前は海辺の塩田に頼っていたことから、日本の各地で、海と山を結ぶかたちで数多くありました。日本各地で盛んだった塩の道での往来は、大糸線や飯田線といった鉄道建設に反映されたり、1960年代以降に道路が整備されて、現在も物流の主要なルートとして残っています。また海外においても、ネパール西北部のカリガンダキ渓谷地域やマレーシアのクロッカー山脈公園を横切る塩の道をはじめ、各地に塩の道が存在しています。
千国街道は、新潟県糸魚川から長野県大町・安曇野を経て松本盆地の松本・塩尻に至る道筋です。別名、糸魚川街道、安曇野街道、松本街道とも呼ばれています。信濃側では糸魚川街道、越後側では安曇野街道や松本街道と呼称まし。沢渡宿と佐野宿、飯田宿と飯森宿は併せてひとつの宿として機能まし。江戸時代は、信濃の松本藩が日本海産の塩を運ばせた主要ルートで、藩では太平洋産の塩を藩内に流入させるのを禁じ、領内に必要な塩はすべて日本海側から運ばせました。その理由は定かではありませんが、最も海に近いルートで複数の藩を経由せずに塩を運べたので利便性を優先した結果からだとする説があります。
現在、千国街道にあたる道筋は国道147号と国道148号の2本の一般国道の路線になっていて、これに並行してJR大糸線が走っています。古寺社や石仏、道祖神などの史跡が沿道に残されており、歴史観光のルートにもなっています。通過する自治体である小谷村・白馬村・大町市では、毎年5月初旬に「塩の道祭り」が催されていて、昔の旅姿に扮した地元住人が観光客とともに千国街道を歩きます。旧穂高町の中心地はかつての千国街道の宿場「保高宿」で、文化庁の調査報告書※にも取り上げられています。明治時代以降の鉄道網の発達や自動車交通の発達で、宿場の名残の多くは消失してきていますが、国道バイパスの脇に位置した街として江戸末期~明治~大正~昭和~平成までの様々な時代のまちの構成要素が入り混じった特色ある空間になっています。その特色をまちづくりや活性化の活動に活かしていくことが大切です。
千国越えコースにある「牛方宿」は小谷村の有形文化財にもなっており、千国街道でも唯一現存するという大変貴重なものです。当時は牛は土間、牛方は牛の姿が見える2階にと一つ屋根の下で寝泊まりして旅の疲れを癒しました。国道沿いに建つ
この茅葺の建物は明示時代中期に移築されて以来、長いあいだ全国的にめずらしい茅葺の村役場として使われてきました。現在は郷土館として小谷村の民俗資料・考古学資料・歴史資料等を多数展示しています。塩の道の歴史のみならず、縄文時代の住居跡やなんと小谷村で発見された恐竜の足跡の化石まで展示されております。千国の庄資料館は民家を移築、復元した史料館で、塩の道の街道風景を表現した切り絵等や模型が展示されております。また番所の復元では塩の道の税などの案内板やちょうちん、十手などが展示されており当時の暮らしを偲ばせてくれます。
長野県の最西北部に位置する新潟県との県境の村です。北アルプスなどの標高の高い山々に囲まれており、グリーンシーズンには雨飾山登山や塩の道巡り、冬には栂池高原などでパウダースノーを満喫できます。
小谷村は、長野県と新潟県の県境にある、雪と緑が美しい自然豊かな人口2,939人(2017.10.31現在)の小さな村です。そんな小谷村には、多くの登山者を魅了する山岳や、日本の原風景を思い出させてくれる川や湖があります昔ながらの里山の生活を体感でき、どこか懐かしく、ほっと心安らぐ郷愁があります。四季それぞれの自然を楽しめる、アウトドアスポットやアクティビティがあります源泉が豊富で、たくさんの名湯秘湯があります。豊かな大地の恩恵を授かった、美味しい食べ物があります。この地に根ざす人々の昔ながらの知恵と工夫から生み出された特産品があります。
長野県北安曇郡小谷村は、長野県の最北部に位置し、長野県の「塩の道」の入口である新潟県糸魚川市に接しています。村内には昔ならではの茅葺屋根の木造家屋が残り、日本の原風景とも言える懐かしい風景が感じられ、3つのスキー場ではウィンタースポーツを楽しむことができます。小谷村の魅力はスキー場だけでなく、2つの国立公園や11の温泉と蕎麦や山菜、キノコ、そして登山やキャンプ場など様々な観光資源にあふれています。
北安曇郡小谷村北小谷の小谷道路、千国街道沿いにある道の駅です。小谷村の特産品を販売するほか、食堂では小谷産コシヒカリのかまど炊きごはんをはじめ、地元産の食材を使った定食や麺類、一品料理や地酒を提供。また、併設の温泉施設「深山の湯」では、露天風呂や源泉かけ流しの熱湯で、北小谷温泉と風吹荘源泉の混合泉に入浴できます。食事とのセットで入浴料の割引も受けられる。
長野県北安曇郡の小谷村を走る国道148号線沿いにある道の駅です。新潟県との県境に位置し、長野県の玄関口となっています。国道148号線はかつて、海から塩や海の幸を、内陸部からは山の幸を運ぶ「千国街道塩の道」と呼ばれ、周辺地域は様々な物産が行き交いました。敷地内には源泉かけ流しの天然温泉「深山の湯」を備え、温泉で旅の疲れを癒すことができます。売店には、雪中キャベツをはじめ、地元の特産品が数多く並びます。館内は古民家の古木を使用した造りになっていていい感じ、小谷村産の果実・野菜・豚肉・米などで作ったオリジナルのお菓子・お酒などが豊富に並んでいます。敷地内には日帰り温泉施設もあって食事をした人には半額で入浴できる案内もありました。
新潟県と長野県の県境、小谷から妙高にかけての県道をかなり上がった山腹に小谷温泉があります。山田旅館は江戸時代建築の本館を含む6棟が国の登録有形文化財に指定されています。とても宿の玄関とは思えないような土間と見事な太い欅の柱やはりに驚きます。昔の旧家そのままです。古い調度品のならぶ茶の間に大正生まれの大きな柱時計が時を刻んでいます。浴室をのぞくと、とうとうと音をたててラドンを含む重曹泉が滝になって流れ込んでいます。飲用は特に肝臓や糖尿病に効果があり、浴用は傷や火傷に効くほか、子宝の湯とも言われている良く効く温泉です。並んで立つ別館は平成の建築です。またその隣に景色が一望できる展望風呂と、檜の内湯がある外湯へとつながっています。小谷温泉資料館もあり、雨飾山麓の自然と源泉や歴史を大事に守っています。
戦国時代、川中島合戦の折に武田信玄の家臣によって発見された小谷温泉にある老舗の宿です。険峻な山肌にひっそりと佇むそのロケーションは、まさに秘湯です。代々この宿を守ってきた山田家は、現在のご主人でなんと21代目です。江戸時代に建てられた本館、大正時代に建てられた新館は、歴史的な建造物としても価値があるものです。ナトリウム炭酸水素塩泉のお湯を湛える温泉も雰囲気があり、登山後、ゆっくりとした時間を過ごしたいお宿です。もちろん夕食には地元で取れた山の幸、日本海で取れた海の幸が贅沢に並びます。
妙高戸隠連山国立公園の標高850mの山腹にあり、弘治元年(1555年)川中島の合戦の折りに、武田信玄の家臣によって元湯が発見されたと伝えられています。夢枕に観音様のおつげによって発見されことから、以来 現夢の湯といわれ、450年の永きにわたり万病に効く名湯と謳われ、湯治場として親しまれてきました。中でも元湯の源泉は、明治時代にはドイツで開催された万国霊泉博覧会に日本を代表する温泉として、登別、草津、別府、小谷の4つが出泉された名泉です。
小谷温泉には元湯、新湯、あつ湯の源泉があり、それぞれ効能豊かな源泉です。掘削やボーリングなど開発をさけ、昔のままの温泉源の姿のまま、すべてが自然湧出の天然温泉です。完全掛け流しで提供され、飲泉による効果の高い良質の温泉です。湧出から、湯船での提供まで、日本でも数少ない本物の温泉です。昭和時代までは数軒の旅館がありましたが現在は山田旅館の一軒になってしまいました。秘境の一軒宿として通年で営業しています。日本海から信州へ塩を運ぶ千国街道”塩の道”は有名ですが、糸魚川根知谷から湯峠を越え小谷温泉を経由する古道の湯道として、また、妙高高原から乙見峠越えのルートなど深い山越えの峠道もあり文化や物流でにぎわい、親しまれてきました。
戦後、大糸線の開通や道路が整備されると昭和26年には路線バスが小谷温泉まで、入るようになって、松本方面、糸魚川方面から容易に来る事が出来るようになりました。しかし、有数の豪雪地帯でもあるので、積雪は4mを超え厳しい自然の中にあります。冬季(12月〜3月)路線バスは2キロ手前の大凪下までしか通っていません。当館まで除雪は毎日されていますので、通年営業はしているものの道路状況については天気次第です。
当施設は、長野県飯山市に2002年に開業し、その3年後の2005年には「道の駅」に登録されました。今年で開業から20年となりますが、多くの観光客や地元の人がご利用してます。施設のコンセプトにもなっていますが、千曲川の周りには花を楽しめるスポットがたくさんあります。国道117号線はフラワーロードとも呼ばれていて、春は菜の花や桜が楽しめるので、多くのドライバーの方に立ち寄っています。施設の周りには花壇やプランターでたくさんの花を配置したり、店内にはドライフラワーを飾ったりして、花を楽しめるような演出も当施設の特徴です。また、2012年には建物をリノベーションし「cafe里わ」がオープンしました。
日本最大河川の千曲川中間地点に位置する道の駅です。飯山の優れた特産品はもちろん、周辺市町村や全国の道の駅から届いた名産品が、ずらりと並んでいます。「Cafe里わ」では、採れたての新鮮な野菜や、清流が育てたお米など、飯山ならではのメニューが味わえます。春は桜づつみの堤防沿いが桜色に染まり、千曲川の向こう岸に菜の花畑が広がる絶好のロケーションが魅力です。夏は深緑の山並みと青空、秋は豊かな田園風景、冬は壮大な雪景色に包まれます。
国道117号沿いに位置し、周りに高い建物がないことから山々の景色などを楽しめる眺望抜群の道の駅です。 2022年10月14日(金)に農産物直売所・特産物売場とレストラン「Cafe里わ」の規模を拡大しリニューアルオープンしました。農産物直売所・特産物売場には旬の農産物が豊富に並び、他には飯山の特産品やオリジナル商品が揃います。「Cafe里わ」では地元食材を使用したメニューを楽しむことができます。
2023年秋ごろには、アウトドアメーカー「モンベル」店舗とアウトドアアクティビティ体験を案内するビジターセンターが併設されたアクティビティ拠点施設が新たにオープン予定です。
北信濃の主要交通路線である国道117号線沿い、四季を通してアクセスのよい道の駅です。その名のとおり、春の桜から始まる季節の花々が来訪者の心を和ませます。朝7:30から営業するカフェレストラン「里わ」では、地元食材を使った自慢の食事が楽しめます。スノーキャロットを使用したオリジナルソフトクリームも大人気です。オリジナルクラフトビールや地酒、地域のブランド米などのおみやげコーナーも充実しています。
切明の川原を掘ると温泉が湧き出てきます。この温泉は、新第三紀後期に隆起した中央隆起帯と呼ばれ、500万年前に貫入した花崗岩の一種の石英閃緑岩との関係が考えられます。この温泉は、カルシウム・ナトリウム−塩化物・硫酸塩泉でおよそ56℃です。切明から雑魚川にかけて、緻密で平滑な節理が発達する石英閃緑岩が、結東層の変質火山岩を北北西−南南東方向に貫入しています。また、川原には、30メートルほどもある鳥甲溶岩の岩塊(安山岩)が点在しています。これらは、弘化4年(1847)の善光寺地震での山崩れの際に落石し、川をせき止めた跡と考えられています。
鈴木牧之は、文政11年(1828)に当地を訪れ、「湯本」として、その様子を『秋山記行』描いています。その際牧之は、切明の温泉は寛政6年(1794)に開かれたのだと聞きます。中津川左岸には温泉宿があり、その裏山には薬師様を祀った薬王閣を描いています。現在、その場所は、切明の発電所と導水管となっていて、中津川右岸に温泉宿が建ち、薬王閣も小さな祠として残っています。牧之が訪れてから19年後、弘化4年(1847)に起きた善光寺地震の際に、山崩れにより川が土砂でせき止められ、湖となり、温泉宿も湖底に沈んだという記録があります。翌、嘉永元年(1848)、ここを訪れた佐久間象山が工事を指導し、土砂を切り開いて排水したので、地名が湯本から切明になったと言われています
峡谷の秘境「秋山郷」の最深部、冬は豪雪地帯ながら、約1時間に1回は除雪車を稼動させ、2軒の宿の営みを維持しています。とは言え、半端な気持ちで行ける場所ではありません。中津川左岸川床の広範囲で熱い湯が沸いています。河原あちこちで温泉が湧き出ていています。ここではスコップ持参の人だけ湯船を作ることができます。お湯の温度は50度以上あるので水で埋めないと入れません。河原の湯船に川の水を引き込んで適温にします。湯船を実際に作るのは相当大変です。大きな石をかい出さなければなりません。
地獄谷野猿公苑は、長野県の北部、上信越高原国立公園の志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置しています。標高850メートルのこの地は、一年のほぼ三分の一が雪に覆われる厳しい環境です。急峻な崖と、いたるところから立ち上る温泉の湯気、そのような光景を見た太古の人々はこの地を地獄谷と呼びました。しかし、ここはサルたちにとっては楽園です。古くからこの地にはニホンザルの群れが自然のままに暮らしています。地獄谷野猿公苑は、1964年開苑以来、ニホンザルの興味深い生態を間近で観察できる場所として、温泉に入るサルとして、広く世界中の人々に愛されています。また、多くの研究者や写真家も訪れ、数々の成果を上げています。
長野県の北部に位置する「地獄谷野猿公苑」は、温泉につかるニホンザルが見られることで有名です。1970年にはアメリカの雑誌『LIFE』の表紙を飾り、長野オリンピック開催時には多くの外国人がその姿を見るために訪問。世界中から「スノーモンキー」という愛称で親しまれるようになりました。今回は地獄谷野猿公苑の魅力、山奥に住むかわいいサルに会うために、山道を歩く時に気を付けるポイントです。長野県北部、志賀高原のふもとにある地獄谷野猿公苑は、山奥にあるにも関わらず海外からの観光客で1年中賑わいます。一般的な動物園と違い、檻や囲いがなく、より野生の姿に近いサルたちを観察できたり、周囲の豊かな自然を満喫できたりすることが人気の理由です。ごく近い距離でも安全に観察ができるのは、餌付けの方法や観察の仕方などを工夫し、サルと人間がお互いに適切な距離感を心がけてきたからなのです。この辺りは温泉の湧く場所が多く、湧き出る湯量も豊富です。湯田中駅近くには、湯めぐりやまち歩きを楽しめる渋温泉街があるので、地獄谷野猿公苑と一緒に訪れるのがおすすめです。
切り立つ険しい崖に囲まれ、噴泉が各所から吹き上がる様が「地獄のようだ…」ということから、いつしか「地獄谷」と名付けられるようになりました。近隣の山々(志賀高原)には、昔から数多くのニホンザルがいくつかの群れをつくり生息していました。しかし、1950年代、山が切り開かれたことで、生息地を追われたサルたちが、人間の生活エリアまで出没するようになり、畑を荒らしてしまう等のトラブルとなっていきました。野猿公苑の初代苑長となる人物は、志賀高原の自然を愛し、山歩きを趣味としていました。ある時、ニホンザルの群れに遭遇し、一瞬で魅了されたそうです。サルたちが駆除の道をたどる中で、「観光資源の活用と、農作物被害の未然防止」を目的として、1964年に公苑を設立しました。ニホンザルは元々「行動範囲」を持っていて、その範囲を越えての行動をしない習性があります。夜になると山へ帰り、朝になると公苑にやってきます。
公苑での餌付けにより、ある程度サルの動きをコントロールすることによって、「公苑を起点として野生の生活を続けて」いるのです。人里から離れた場所に公苑があるのは、「サルたちに人里の存在を教えない=人々とトラブルを起こさせない」ためであり、それがサルたちを保護する意味もあります。公苑を訪れるサルたちは、人間の住むエリアの存在を知らず、今でも「昔と変わらぬ野生の生活」を続けているのです。つくられた経緯から分かるように、ふもとの村落から離れた山奥にある地獄谷野猿公苑。最寄りのバスを降りたら約35分の山登りです。雨の翌日はぬかるんだり、秋は多くの落ち葉に滑ったり、冬は雪が積もり凍ることもあります。野猿公苑に住むサルたちを刺激しないよう、ペットを連れて入ることは禁じられています。また、途中に階段があるため車いす、ベビーカーを利用することはできません。
人間が、ニホンザルの住処へお邪魔しているということを忘れずに準備をして向かいましょう。険しい山道を登りきると入口が見えてきます。苑内の奥にある温泉にたどり着くと、温泉の周りにサルが集まっています。気温の高い日は、温泉につかるサルはいませんが、温泉の周りでリラックスしてくつろぐ姿や、仲良く毛づくろいする姿、走り回る姿など、自然なサルたちの様子は愛らしく、とても癒されます。温泉に入るかどうかは、その日のサルの気分次第なのです。野猿公苑の魅力は、サルだけでなく自然たっぷりの山道を歩けることにもあります。木々の色の移り変わりに四季を感じるのも贅沢な楽しみ方です」「こう思うようになったのは、サルがいなくても自然を楽しんでいる外国人の観光客を見てからです」とスタッフさん。そこにあるのは大自然と、自然に暮らすサルたちなのです。またサルは必ず公苑にいるとは限らず、必ず温泉に入るわけではありません。温泉に入るのはほぼ冬のみで、それ以外の季節は子ザルがまれに遊ぶ程度です。地獄谷野猿公苑の近くには渋・湯田中温泉郷があり、湯めぐりやまち歩き、温泉宿での宿泊が楽しめます。
長野県の北東端、群馬や新潟との県境に近い山間部に志賀高原がある。ス キーの経験がないので冬場の様子はあまり分りませんが、夏場などには華やいだ観光地です。峠としても群馬との境にあの渋峠が存在します。標高が2152mと格段に 高く、国道第一の栄誉に輝いています。正確な志賀高原の範囲を知りませんが、渋峠から長野県の山ノ内町側に下って来た国道292号線の沿線に広がっているようです。また、山ノ内町からその南に隣接する高山村にまでに及ぶ範囲を南志賀とも呼ぶらしいです。笠ヶ岳峠はその南志賀のシンボル的存在ともなる笠ヶ岳の直ぐ脇を越える峠です。
笠ヶ岳峠という名は、仮称と考えたほうが良さそうです。明確に笠ヶ岳峠と書かれている地図などは見たことがありません。ただ、峠には笠ヶ岳への登山客などの為の茶店が立ち、その店の看板に「笠ヶ岳峠の茶屋」とあります。これなら一般の道路地図にも掲載さ れています。しかし、このことから峠の名は「笠ヶ岳峠」 だと判断するのは性急です。「笠ヶ岳峠の茶屋」とは、「笠ヶ岳峠」の「茶屋」ではなく、「笠ヶ岳」の山の近くに立つ「峠の茶屋」という意味かもしれないのです。とは言え、他に適当な名前があるではなく、笠ヶ岳峠とは極めて無難な名称とも思えます。一応仮称と心得つつも、ここでは笠ヶ岳峠と呼ばれてもらうこととしました。
高山村は長野県の北東部で東西に長く、村の三方を山に囲まれた善行寺平に向かう松川扇状地に位置します。春には桜、夏は高原の涼しい風、秋は松川渓谷の紅葉、冬は山田温泉・牧場でのウィンタースポーツと四季を通じて様々な楽しみ方があります。また村内には山田温泉、七味温泉、奥山田温泉ほか8つの温泉があります。気候や土壌など自然条件に恵まれた高山村自慢のりんごやぶどう、ワインなども魅力。自然あふれる信州高山村を訪れてみませんか。
高山村大字奥山田、上信越国立公園内の笠岳南西麓の標高1,500mに位置する牧場です。開業から100年を超える歴史を誇り、現在でも毎年100以上の牛を放牧しています。また、敷地内にはキャンプ場や、日帰り入浴もできる温泉付き宿泊施設などを備え、冬には全長13kmの日本一のロングツアーコースを有するウインタースポーツリゾートとしても知られています。夏には野外音楽堂での夏フェスも行われます。
長野県上高井郡高山村、志賀高原との間にそびえる笠ヶ岳(標高2075.9m)の南西斜面、標高1500m〜1700mに広がる公共育成牧場が山田牧場。159haという広大な牧場には、5月中旬~10月中旬にかけて、数十頭の牛の放牧が行なわれており、長野県道66号(豊野南志賀公園線)の両脇には、チロル的な景観が広がっています。
長野県上高井郡の高山村の標高2076mの笠岳南斜面に広がる牧草地には、例年5月中旬から10月中旬までの期間に、牛が放牧されます。160ヘクタールの人手が加えられない自然のままの高原で、牛はのんびりと草を食んでいます。爽やかな空気に包まれ、スイスの高原地帯のような景観を見せています。夕陽が沈む頃の光景は、信州のサンセットポイントに選ばれています。
旧中村家住宅は、元禄11年(1698)に近在の大工の手で建築された民家で、建立年代が明らかなものとしては、県内で最古とされており、東日本でも最も古い民家のひとつです。間口14間、奥行6間で建坪は84坪もあり、江戸時代前期としては、規模も大きく、古い様式を残していることから安永9年(1780)建築の土蔵と共に国の重要文化財に指定されています。旧中村家住宅の主屋・土蔵の2棟は、国の重要文化財に指定されています。主屋は桁行14間・梁行6間・建坪84坪(約278㎡)の木造平屋・茅葺・寄棟造で、元禄11年(1698)建立と建築年代が明らかな民家として県内最古です。大きさも当時の民家としては県内屈指で、農村における居住形態を知る上で貴重です。土蔵は桁行6間・梁行4間の切妻造で、安永9年(1780)と建築年代が判明するものとしては県下で古い例に属します。置屋根で軒支柱を立てて屋根の荷重を支える構造です。
旧中村家住宅土蔵は、土蔵造2階建て、切妻、茅葺、桁行6間、梁間4間、佐野村出身の政右衛門が大工棟梁として建築を手懸けています(近年、道路拡幅工事の為に同一敷地内から現在地に曳き屋移築されています)。建築年代が明確な土蔵建築の中では長野県内でも古いほうにあたり、仕上げも中塗り仕上げと質素で古式の工法を継承しています。旧中村家住宅の主屋も中村家に伝えられている「年代記」によって建築年や棟梁などの詳細が記され、建築年代が明確な民家としては長野県最古の大変貴重な存在であることなどから、敷地内にある土蔵と共に平成9年(1997)に国指定重要文化財に指定されています。