四方山見物49

 

 

鹿児島市の南部、平川動物公園に隣接する公園です。なだらかな丘陵地に花と緑を生かして作られた公園で、フィールドアスレチック、公園、ばら園、香の散歩道、ロケット広場、多目的広場、見晴らし広場などのレジャー施設、宇宙をテーマとした遊具施設・スペースランドがあり、大人から子供まで自然を満喫しながら楽しめます。鹿児島市南部平川町の丘にある錦江湾公園には実物大のH-IIAロケット模型があります。国道をはしっていると巨大なロケットを見つけることが出来ます。高さは49メートルもあり、近くで見ると大迫力です。

 

道中、まず目を引くのは、錦江湾公園のシンボルであり、ここに来るまでの目印にもなっている大きなロケットです。これはなんと実物大の「H-2ロケット」の模型で、近づくとその大きさに圧倒されてしまいます。このロケットは、平成元年に開催された「サザンピア21」という鹿児島市政100周年を記念したイベント用につくられたものです。それが今錦江湾公園のロケット広場に移設・展示されているのです。設置されているキャンプ場は約2万9000平方メートルの広い敷地を待っていて、炊事場などキャンプの基本的な施設はもちろん障害者用のトイレも備えられているから安心してキャンプができるようになっています。

 

開聞岳は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924 mの火山。1964年3月16日に、霧島屋久国立公園に指定されました。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されています。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、円錐形の山容から別名「薩摩富士」とも呼ばれいます。まさに指宿のシンボルと言うにふさわしい美しい山です。開聞岳の登山道は4,668mのらせん状で道幅が狭く,特に頂上付近は岩場・階段・はしごなどがありタフなものになっていますが,険しい道のりを乗り越えた先の頂上から望む大パノラマは圧巻で,霧島・屋久島・鹿児島の観光名所を一度に味わえます。

 

開聞岳は標高924メートルで、コニーデの上にトロイデをのせた二重式火山で活火山です。整った山頂となだらかな稜線が美しく、秀麗「薩摩富士」の異名をとり、「日本百名山」にも数えられています。全山樹木で開聞さつきも咲きます。周囲に山がないため、南薩のほとんどの地域からその円錐形の姿を見ることができ、まさにこの地のシンボルです。頂上から望む大パノラマは圧巻で、北の霧島、桜島、池田湖、南の屋久島、三島と、鹿児島の観光名所を一度に味わうことができます。片道が約5キロの道のりを3時間程度で麓から頂上まで登れ、年中を問わず登山客でにぎわっています。

 

約4,400年前頃から活動を開始し、885年までの約3,000年間に噴火が10回発生しており、この期間の平均マグマ噴出率は約1.2 km3/千年となっています。有史以降の噴火記録は6世紀ごろからあり、貞観16年3月4日と仁和元年(885年)7月・8月に大噴火を起こしました。この時、山頂に溶岩円頂丘が噴出し、現在の二段式の山容となりました。山体は主に粘性の少ない玄武岩だが山頂付近の溶岩ドームは安山岩で出来ています。開聞岳南麓の海底には幅7.8 km、長さ9.3 kmに及ぶ馬蹄形の海底崖と、海底地すべりに伴う多数の流れ山が存在しています。この海底崖は開聞岳山体の南部地下にも見られ,現在の開聞岳ができる前に海底地すべりが発生したものと考えられています。



7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層(日本考古学では土層)です。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっています。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、古墳時代の様式を残した生活が続いていましたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明しています。橋牟礼川遺跡は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落です。

 

ふれあいプラザ「なのはな館」は鹿児島県高齢者交流センターとして1998年にオープンした公共建築です。設計者選定は県内設計事務所間でのコンペにより「高﨑正治都市建築設計事務所」が選ばれました。用途は高齢者との交流のための研修施設で、南側は多目的ホール・視聴覚・研修室・陶芸・茶室・工芸・調理とそれらを取り巻く事務管理で本館を形成し、北側には健康増進施設(温浴・プール)を核に研修のための宿泊棟が並び、それらを「交流のみち」で結ぶ焦点には「メビウス交流広場」「出会いの交流広場」が大きな天蓋の下に設けられています。

 

南側広場には「体育館」「屋内多目的広場(旧ゲートボール場)」「野外ステージ」が配置され、建築周囲には遊歩道が巡りその結節点には「太陽の園亭」「月の園亭」といったモニュメント的な空間が置かれ、来訪者は魅力的な外部空間を楽しみ「メビウス交流広場」へ導かれます。高崎正治が創造した多様な独特のフォルムが人々を迎え、そして大屋根の下に二重螺旋のスロープがある「メビウス交流広場」、ラグビーボールのような「中央ホール」、有機的な物質を想起させる「健康増進施設(温浴・プール)」は圧巻です。「前衛」抜きには語れない革新的な建築であり、それまでの高崎正治の形態デザインを集大成した作品です。一方、この形態を支える構造や設備だけでなく、「現場打ち薄肉シェル」をはじめとする施工技術に於いても当時の高い技術力を示しています。

 

1998年(平成10年)9月にオープンしましたが、体育館や芝生広場を除く部分は2011年(平成23年)3月末に一旦閉館しています。その後2016年(平成28年)4月1日に、行政の方針転換により本館を始めとする南側建築群が鹿児島県から指宿市へ譲渡され、漏水などの大規模修繕を行った後、2018年(平成30年)4月1日に指宿市役所庁舎の一部としてオープンしました。現在は展示会場、会議室などの貸し出し、グランドゴルフや地域の運動会などのスポーツや、地域活動など多くの市民に利用され稼働率も高いです。また、近くの指宿市民会館が老朽化していることから南側芝生広場内に建替えを計画中です。一方、北側の研修宿泊・健康増進施設(温浴)は鹿児島県所有のまま現在休館中です。

 

鹿児島県薩摩半島最南端の長崎鼻の近くに位置し温暖な気候と天然の松林に囲まれた地形をいかした世界各地の植物が楽しめる植物公園です。35.5ヘクタールの広大な敷地に、南アフリカやオーストラリアなどの亜熱帯植物や温帯植物を植栽しています。開聞岳を背景にした花広場や、錦江湾を一望できる展望回廊、両サイドに壁のないウインドスルーの屋内庭園やヨーロッパ風の西洋庭園などがあり、温室では色鮮やかなヒメショウジョウヤシ、ヒスイカズラ、メディニラ・マグニフィカなどの熱帯植物が楽しめます。



フラワーパークかごしまは、鹿児島県指宿市山川岡児ヶ水にある花の植物園です。1996年に開園しました。園内は数多くの花々や植物で彩られていて、春から秋にかけて市内外から数多くの来場者を集めています。毎年GWにはキャラクターショー等、8月には竹とうろう、12月にはイルミネーションなどのイベントが行われています。ハイビスカス、ストレリチア、ランタナなどさまざまな南国の花を一年中見ることができ、多くの家族連れやグラウンド・ゴルフを楽しむ人々でにぎわいます。

 

菜の花マラソンや菜の花マーチが開催される1月には、満開の菜の花が沿道を飾ります。フラワーパークかごしまは、「ふれあい鹿児島・花の楽園」「花・風・光のシンフォニー」をテーマに、花と緑のふれあいの場として、また消費者と生産者の交流拠点や魅力のある観光の拠点として指宿市に鹿児島県が整備した公園で、当公社が指定管理者として管理しています。花と緑に親しむ憩いの場として造られました、東京ドーム約8個分の広さの植物園は、四季を通して次々に咲き誇る花のほかにも、錦江湾や開聞岳の眺めや、芝生でのピクニック、イルミネーションなどさまざまな楽しみがあります。

 

天然の松林に囲まれた地形を生かした36.5haの広大な敷地には、開聞岳を背景にした花広場、鹿児島(錦江)湾を一望する展望回廊、両サイドに壁のないウインドスルーの屋内庭園などがあります。海と山に囲まれた自然の中の日本最大級の花のテーマパークで、温帯植物と亜熱帯植物が混在する鹿児島の植物の他、世界中の国々から2000種類もの花や樹木が植栽されています。いろんなテーマで、花の世界が作られています。1日ゆっくりのんびりと花を楽しんでほしいです。鹿児島県指宿市のフラワーパークかごしま冬の風物詩は、フラワーパークイルミネーションです。

 

「イルミネーションの季節〜光で彩る植物園〜」と題して、約50万球の電飾で園内を彩ります。芝生広場を一面に覆いつくすイルミネーションや屋内庭園にはオブジェも並びます。昼間の植物園とは違う、幻想的な夜の植物園が楽しめます。世界各地の植物が楽しめる植物公園「フラワーパークかごしま」では、冬の風物詩である「フラワーパークイルミネーション」を12月1日から開催しています。「イルミネーションの季節 ~光で彩る植物園~」と題して、広い園内を約50万球の電飾で彩ります。イルミネーションが一面に広がる芝生広場や池の周辺のオブジェ、屋内庭園など見どころも盛りだくさんあります。電飾で彩られる植物園と光が織りなす幻想的な夜を楽しめます。

 

芝生広場は一面がイルミネーションに覆われ、芝生の緑がいっそう鮮やかに映えます。周辺の木々もピンクや青、黄など様々な光で装飾。屋内庭園には桜島や開聞岳など光のオブジェが設けられ、約65品種を展示したシクラメン展も開催しています。芝生広場と屋内庭園は、約40メートルの虹色に輝くトンネルで結ばれています。点灯は午後5~9時までです(入園は午後8時半まで)。入園料は高校生以上630円、小中学生310円。幼児と県内在住の70歳以上は無料です。「光で彩る植物園」をテーマに、光に照らされる植物も楽しんでもらおうと工夫されています。

 

園内にはどこからでも乗り降りできる無料の周遊バスが走っており、散策も楽々です。JR指宿駅および山川駅からフラワーパークかごしま行きの路線バスも運行されています。36.5haもの広大な敷地を有する「フラワーパークかごしま」は開聞岳を背景にした花広場や、鹿児島湾を一望できる展望回廊、両サイドに壁のないウインドスルーの屋内庭園やヨーロッパ風の西洋庭園などがあり、温室では色鮮やかなヒメショウジョウヤシ、ヒスイカズラ、メディニラ・マグニフィカなどの熱帯植物が楽しめます。

 

南九州市は,市町村単位で日本一の生産量を誇るお茶の産地です。特に「知覧茶」は全国品評会で産地賞を受賞するほど美味しいお茶です。知覧にはたくさんの茶工場があり新茶の季節は特に芳しい香りがしています。工場直売のお店で気に入った知覧茶を試飲し買うこともできます。宮原光製茶のある後岳地区は知覧茶発祥の地で霧深いところの茶畑,一方,南部の広域農道沿いは直線的な広大な茶畑が広がります。

 

茶ばっけん丘(高塚)では,くねくね茶畑や広大な南薩大地の眺望を楽しめます。遠くの薩摩富士こと開聞岳の美しい姿も眺めることができます。近くの茶畑を歩いて西垂水製茶のお店で知覧茶のソフトクリームも美味しいです。4月になって新芽がある程度出揃うと、日光を遮るために黒い覆いをかけ始めますので、茶畑の見頃は、11月から3月までがベストシーズンです。

 

平成28年(2016年)度末までは旧3町の茶業者は、それぞれ独自のブランドで茶業に取り組んできましたが、平成29年(2017年)4月より南九州市の茶銘柄を『知覧茶』に統一しました。これにより、知覧茶はより多くの人々に、浸透しました。つまり、知覧茶は、鹿児島茶の産地のひとつになります。鹿児島県には知覧茶以外にも種子島茶、有明茶、溝辺茶、霧島茶等多くのブランド茶があります。鹿児島茶とは、鹿児島県内で生産された全てのお茶のこと。知覧茶とは、鹿児島県南九州市で生産されたお茶のことで、たくさんの鹿児島茶のブランドのひとつとなります。

 

南九州市は鹿児島県の南部に位置し、温暖な気候で、朝晩の寒暖差が大きく霧深い気候が特徴です。また、火山灰をたっぷり含んだ土は、通気性や水はけがよく、お茶の栽培に適しています。市内には東京ドーム720個分以上の広大な茶園で100以上の茶工場があります。これだけの茶畑が広がった光景は圧巻の迫力です。鹿児島県は荒茶生産量では、静岡県(25,200トン)に次ぐ全国第2位(23,900トン)です。(令和2年 農林水産省「作物統計」より)その鹿児島県の中で、南九州市はダントツのトップの荒茶生産量を誇り、県内シェアの約50%を占めています。全国でもトップシェアの生産地です。

 

また、全国・鹿児島県茶品評会等で産地賞や農林水産大臣賞等を数多く受賞しています。茶葉の特徴としては、深蒸し茶が主流です。通常、茶葉は収獲した瞬間から発酵を始めます。発酵を止めるために茶摘み後に「蒸し」の工程があります。深蒸し茶では、この蒸し工程において、一般的な煎茶の約2倍の時間(約60秒〜80秒)をかけます。長く蒸すことで、渋みが抑えられ、まろやかなコクが出ます。また、葉が細かくなるので、抽出した時の水色は濃い緑色が美しく出ます。水色が出やすいので水出し茶にも適しています。

 

東シナ海は、太平洋西部にある縁海であり、中国大陸・朝鮮半島・九州・南西諸島・台湾に囲まれた海域です。北部は黄海と繋がっています。東は南西諸島を挟んで太平洋(フィリピン海)に接し、南南西に台湾海峡を通じ南シナ海と結ばれているほか、北東は対馬海峡を通じ日本海と繋がっています。かつては世界有数の底魚漁場でしたたが、1910年ごろから1930年代にかけて日本漁船が進出、底引き網で魚を獲りまくりました。第二次世界大戦により漁船の出漁ができなくなり漁業資源は一時回復したものの、戦後の乱獲によって根こそぎにされ、残った魚も中国の漁船によって徹底的に取り尽くされ、「東シナ海には魚がいない」と言われる有様になってしまいました。

 

国際水路機関発行の「大洋と海の境界(第三版)」に従うと、北辺は、東側では長崎の野母崎から五島列島の福江島及び済州島を結ぶ線で日本海と接し、西側では黄海に接しています。東辺から南辺にかけては南西諸島の東側で太平洋(フィリピン海)に接し、南南西では台湾海峡を境に南シナ海に接しています。西辺はユーラシア大陸(中国本土)であり、大規模河川として長江が流入しています。

 

海域の中央部には島嶼はありません。北辺から東辺を経て南辺にかけて島弧が分布しており、そのうち主な島嶼には、南から台湾、南西諸島、九州、済州島があります。また、西辺の大陸沿岸には舟山群島等の小島嶼があります。海底は、ほとんどがユーラシア大陸から続く大陸棚で深度は200 m未満ですが、東部には南西諸島の西側に沿って深度が約2,000 mに達する沖縄トラフがあります。海流としては黒潮が流れています。日本と中国の間では、尖閣諸島問題のほか、東シナ海ガス田問題に絡んで経済水域の設定に争いがあります。また、韓国と中国の間でも、蘇岩礁にからみ争いがあります。



錦江湾の碧と松林の緑に映えて、瓦屋根も重厚に、寄棟と入母屋造りの建物が、清楚に整えられた日本庭園を囲むようにたたずんでいます。ここ「指宿白水館」は、木肌のぬくもりを江戸元禄の華やぎを意識して創り出された、和風の宿です。指宿は、古来、湯豊宿と呼ばれたほどの温泉地です。大浴殿につかり、ここから眺める湯けむりにかすむ松林越しの錦江湾が情緒的で、自慢は、風呂の歴史を再現した「元禄風呂」です。広々とした大浴殿、桧風呂、浮世絵風呂、花魁風呂、江戸柘榴風呂、打たせ湯、釜風呂の他、錦江湾を一望できる露天風呂と、指宿名物の「砂むし温泉」とバラエティーに富んでおり、江戸時代にタイムスリップしたかのような造りで風情があります。

 

江戸が最も栄えたのは元禄時代です。銭湯は当時の江戸庶民の社交場として賑わい町人文化の発祥地にもなりました。浮世絵を壁一面に施した浮世風呂や江戸石榴風呂のほか、樽風呂や窯風呂など個性あふれるお風呂を楽しめます。フロントを過ぎれば正面の大きな窓から一面に広がるパノラマは、松の木の緑に囲まれた自然を生かした見事な日本庭園、彼方に見える海岸線と青い海、そこはもう日常を忘れさせる見事な空間です。江戸元禄時代から楽しまれてきた「砂蒸し風呂」を始め、源泉には話題の保湿成分「メタケイ酸」が含まれているそうで、美肌効果は抜群です。1,000坪の大浴場「元禄風呂」、露天風呂は開放感満点の広さ、眺望で、打たせ湯、釜風呂もあります。

 

鹿児島県薩摩半島の南端にある指宿市は、市内のどこからでもお湯が沸き出ると言われるほどの温泉の街です。砂に埋められる入浴方法「砂むし温泉」や、オクラの産地として有名な観光地です。また、夏の時期は公務員がアロハシャツを着用したり、ハイビスカスやブーゲンビレアが咲くことなど、沖縄との共通点が多いのも特徴のひとつです。そんな指宿市にある有名旅館「指宿白水館」の敷地内には、約3000品のコレクションが公開される「薩摩伝承館」や和の空間が楽しめる大庭園などがあり、1日中館内で過ごせるほど充実しています。生い茂る松の木と青い海に囲まれた豊かな自然が、日本の美しさとやすらぎを感じさせる「指宿白水館」は、毎日必ず専属の庭師により手入れされる庭園や、敷地内に設置された美術館「薩摩伝承館」など、沖縄のリゾートとはまた違った、和の魅力を感じさせる空間となっている。

 

薩摩伝承館は鹿児島県指宿市東方にある薩摩や中国の美術品を中心に展示している施設です。また、幕末から明治にかけての所蔵品なども展示しています。薩摩には、人が人を想い、繋がり、育み、伝えてきた歴史と文化があります。海外の玄関口として、世界との交流を計り、日本の中の自国として幕末から明治にかけて、開かれた薩摩として歴史に名を刻んできました。ここ、薩摩伝承館での玉響な時は、あなたにとって、思い出と記憶に残る特別な1日となると思います。美しい艶やかな薩摩の名品、深く息づく薩摩の偉人の想い、そして季節で移ろう薩摩の四季の風景と共に、珠玉の時間が過せます。

 

薩摩伝承館は、薩摩焼をはじめ、西郷隆盛の書簡や掛軸などの展示品と共に、幕末から明治にかけてひときわ輝いた薩摩の歴史と文化を広く、深く伝えるとともに、日本と深い関わりのある中国陶磁器などの美術品をお楽しみ頂ける文化施設です。白水館が創業以来60年の歳月をかけ蒐集した約3,000点のコレクションから約380点を展示しています。館内には、ショップやイタリアンレストランも併設しており、薩摩の四季や移ろう風景は、非日常的な珠玉の時間です。

 

鹿児島はかつて薩摩と呼ばれ、古代から海外とのかかわりの中で歴史にその名を刻んできました。東京都を首都とする現代の日本においては、鹿児島は南の辺境に位置しているイメージがありますが、これは東京都を中心とした視点で見ているからであり、視点の置き場を変えれば、全くちがった姿が見えてきます。薩摩の歴史と文化を振りかえる時、薩摩の人々が薩摩の地から海の向こうの世界を見つめながら歴史が重ねられてきたこと、その視野の広さを感じずにはいられません。交流の中で育まれてきた薩摩を考えるとき、「開かれた薩摩」の姿がくっきりと見えてきます。



山川湾は、鹿児島県の薩摩半島先端付近にある湾です。火山活動によって形成されました。湾内に山川港があります。山川湾は薩摩半島南東部の阿多カルデラに関連した火山活動によって形成された噴火口の跡です。山川港をめぐる歴史は波瀾万丈です。1547年,ジョルジェ・アルバレスが著した『日本報告』で,初めて西欧諸国に紹介された日本は山川でした。豊 臣秀吉が朝鮮半島に侵攻した文禄・慶長の役では百余の軍船が山川港を出航しました。江戸時代には,鎖国体制の中,琉球貿易の窓口となり藩港として薩摩藩を支え ました。山川港は,常に歴史という荒波にさらされていたのです。

 

山川湾は約5,700年前の火山噴火でできました。北・西・南側の垂直に切り立った崖は火口壁があります。東側の火口壁が壊れて海水が流入し現在の形になりました。湾曲した入り江で,湾内は砂嘴によって外海と区切られています。このため,湾内には波が入りにくく荒天時にも穏やかです。中世から大型船も停泊できる国際貿易港としてにぎわっていました。山川港を空から見ると,湾入口の砂洲が鶴のくちばし,陸地が左右に広げた翼に見えることから「鶴の港」とも呼ばれています。