温泉三昧48

 

 

鹿児島空港(KOJ)は、日本国内・海外 20都市、国内線17路線、国際線3路線に航空会社が就航しています。ニュース記事(718件)、就航都市、フライト情報(時刻表)をチェックすることができます。また、航空ファン・飛行機好きなら必須の飛行機写真(航空フォト)、航空イベント、口コミ(搭乗レビュー、ラウンジレビュー)をチェックすることができます。鹿児島空港は、錦江湾に浮かぶ桜島を望む大地に、総面積183万平方メートル、3000メートルの滑走路など最新航空保安施設を備えた九州でも二番目の旅客数を有する大型空港です。

 

鹿児島空港は,県本土のほぼ中央部に位置し,東に国立公園である霧島連峰,南に鹿児島のシンボル桜島が眺望できる台地(標高272m)に総面積182万平方メートルで形成されています。空港周辺は火山灰質の黒ボク,シラス等の特殊土壌でありタバコ,茶等の畑地が広がっております。交通アクセスとしては,鹿児島市中心部と九州自動車道を利用して45分,大隅半島にある鹿屋市まで1時間20分,薩摩半島南端の指宿市まで1時間30分で結ばれています。

 

当空港は,航空輸送の需要に対処するために旧鹿児島空港(鹿児島市鴨池)から移転して,昭和47年4月に滑走路長2,500mで開港しました。その後,より一層の運航の安全と効率化を図るため,滑走路の500m延長が実施され,昭和55年10月から3,000mの滑走路で運用しています。また,「ターミナルレーダー情報処理システム」(国内で6番目)や離島空港を一元的に監視し連絡調整を強化する「システム統制施設」などの最新の航空保安施設を有し,CIQ(税関,出入国管理,検疫)施設をはじめ,年間乗降客数800万人を想定した規模の旅客ターミナルビルや貨物ビル,消防施設及び空港駐車場が完備されるなど国際空港にふさわしい大型空港であります。

 

鹿児島空港は、鹿児島県霧島市にある空港で、東に国立公園である霧島連峰、南に鹿児島のシンボルである桜島が眺望できる台地で形成されています。空港周辺では火山灰質の黒ボク、シラス台地の特殊土壌でありタバコ、茶等の畑地が広がっています。鹿児島空港は国が管理する空港で海上保安庁第十管区海上保安本部鹿児島航空基地を併設しています。 鹿児島空港の場所は、鹿児島県霧島市の通称・十三塚原にあります。国内離島路線を多く抱えており、第二種空港として有数の規模です。

 

国内線はANA、JAL、日本エアコミューター、ピーチアビエーション、フジドリームエアラインズ、アイベックスエアラインズ、ジェットスター、スカイマーク、ソラシドエアが就航しています。また国際線も中国方面が多く、チャイナエアライン、中国東方航空、香港航空、イースター航空、香港エクスプレス、大韓航空が就航しています。 国内線、国際線ともにレストランやお土産店があるので搭乗時刻より早めに行くと楽しめるでしょう。 総合案内所には外国人スタッフも在籍していますので、案内や通訳、アクセス、レンタカー、ホテルやタクシーの案内も可能です。

 

霧島市は、鹿児島湾の最深部に位置し、北部には霧島屋久国立公園の雄大な山々が連なっているのが特徴です。また、南部には、波静かな錦江湾に面する平野部が広がっています。霧島山系を源流とし、錦江湾まで流れる天降川流域は、稲作地帯です。神々が天上界の天の浮橋から下の世界をのぞくと、霧にけむる海のなかに島のようにみえるものがあります。神々は一本の鉾を取り出し、その島にしるしをつけました。それが霧島の名の由来だといわれています。

 

天上界より望む、“霧に煙る海に浮かぶ島”それが「霧島」の名の由来と言われており、天照大神の神勅を受けた9人の神が天孫降臨の第一歩をしるしたとされる高千穂峰、この建 国神話の主人公ニニギノミコトを祀る霧島神宮をはじめ、海幸彦、山幸彦の神話を伝える鹿児島神宮などがあります。霧島連山は標高が高く雨が多いことから、霧が発生しやすいです。遠くからこの場所を眺めたとき、霧の上に島が浮かんで見えたことから「霧島」と呼ばれるようになったと伝えられています。 霧だけではありません。霧島の山は火山であり、これまでに何度も噴火してきました。

 

丸尾温泉から霧島神宮に向かう国道223号の道沿いにある高さ23メートル、幅16メートルの豪壮華麗な滝です。近くの栄之尾温泉、硫黄谷温泉の温泉水を集めて流れる珍しい「湯の滝」で、秋は飛沫が紅葉に映え、冬には滝から湯けむりが立ち上り、このこよなく美しい情景を見に訪れる人の波が途絶えることはありません。四季折々さまざまな風景を楽しむことができ、山峡に豪快な音と飛沫を上げて落下する乳青色の滝は、その色だけえも独特の雰囲気を漂わせています。ライトアップされた夜は、飛沫が照明に反射してさらに幻想的な表情を見ることができます。

 

霧島連山の中の高千穂峰に広がる温泉地の総称が「霧島温泉郷」です。霧島山を見渡す標高600~850mの位置に温泉郡があります。高千穂峰は、日本神話の神様・ニニギノミコトが天より舞い降りたと伝えられる地です。その神々しい山々に大小10余りの温泉地が点在しています。桜島を見下ろす標高800m近くの林田温泉、歓楽街があって賑わう丸尾温泉や、一軒宿だけの硫黄谷、新湯、山間の秘湯・関平など、温泉地の特徴はそれぞれ異なっています。また、島津藩の避暑地だったという温泉や、坂本龍馬が新婚旅行に訪れたとの逸話もあり、この地を訪れる時は、山々からの神々しいパワーを存分に吸収する心持ちで温泉旅へと出かけてみましょう。

 

神話のふるさと天孫降臨のニニギノミコトを祀っている霧島神宮周辺に広がる温泉。天孫降臨伝説にまつわる霧島連山の麓だけに、神秘的な雰囲気を醸し出しています。また、昭和9年日本で最初の国立公園に指定された地域でもあります。霧島山は日本百名山の一つです。宿はいずれも霧島神宮に近いので観光に便利です。大型リゾートあり、昔ながらの温泉旅館ありとタイプはいろいろです。露天風呂も“大自然満喫型”から遠く桜島まで見渡せる“景色一望型”までお好み次第です。



鹿児島県・霧島連山の南西に点在する「霧島温泉郷」は、中心地まで鹿児島空港から車で30分程度という立地で、多くの温泉地が集まる九州の中でも屈指の人気を誇ります。江戸後期には、坂本龍馬とおりょう夫妻が日本初の新婚旅行に訪れた場所としても知られていて、当時宿泊した「霧島ホテル」には資料が展示されているなど、歴史を色濃く感じられる場所でもあります。大小9つの温泉地で構成され、広範囲に渡る霧島温泉郷は、代表的な「霧島神宮温泉」「霧島温泉」「妙見・安楽温泉」「日当山温泉」の4エリアに分けられます。



霧島神宮は、社伝によると欽明天皇の代(6世紀中ごろ)に慶胤という僧が背門丘(せとお・高千穂峰と御鉢の中間)に社殿を建てたのが始まりとされています。霧島山の噴火によって焼失したあと、天暦年間(10世紀中ごろ)に性空上人が瀬多尾越(高千穂河原周辺)に再興しましたが、再び噴火によって焼失し、霧島田口の待世(霧島中学校近く)に移ります。文明16年(1484)に島津氏によって現在の場所に再興され、社殿が造られますが、その後に火事で焼失し、正徳5年(1715)に薩摩藩主島津吉貴によって寄進されたのが現在の社殿です。社殿は傾斜地に石垣を築いて造成され、上から本殿・幣殿・拝殿・登廊下・勅使殿と並び、正面から見ると屋根が前後に重なる荘厳な景観になります。社殿それぞれが国宝と重要文化財に指定されています。

 

霧島市にある霧島神宮は、鹿児島中央駅から車で約1時間20分のところにあります。濃い緑に包まれた参道・境内を抜けると、格調高い朱塗りの社殿があらわれます。建国神話の主人公である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社です。最初は高千穂峰と火常峰(御鉢)の間にある背門丘に建てられたといわれていますが、霧島山の噴火による消失と再建を繰り返し、500年以上前に現在の場所に移されました。現在の社殿は島津氏第21代当主(第4代薩摩藩主)島津吉貴が、1715年に建立・寄進したものです。年間100以上の祭儀が行われ、中でも元旦と2月11日に本殿で奉納される九面太鼓は、勇壮な郷土芸能として県内外から注目を集めています。



この近辺には霧島の七不思議や古宮址などもあります。桜の時期には薄桃の花が、紅葉の時期には紅葉の赤と鳥居の朱がよく映えます。閑寂な緑に包まれた参道を抜けると、格調高い朱塗りの荘厳な社殿があらわれます。天孫降臨神話の主人公であるニニギノミコトを祀った霧島神宮は、創建が6世紀頃と伝わり、数少ない「神宮号」を名乗る神社です。 最初は霧島連山の高千穂峰と御鉢の間に建てられたとされますが、度重なる霧島山の噴火によって社殿の焼失と移転を繰り返してきました。現在の社殿は江戸時代の正徳5年(1715)に薩摩藩主島津吉貴が寄進してできたものです。

 

傾斜を利用して建てられた社殿は内部のいたるところまで豪華な装飾がなされていて、建物がそれぞれ国宝と重要文化財に指定されています。霧島神宮に古くから伝わる9つの面である九面は、お金などの工面に通じるとして独自の信仰があり、お守りや様々なグッズがあります。周辺には紅葉スポットや、火山活動による美しい景観のある神水峡など、自然豊かな絶景を楽しめる場所もあり、都会を離れた神聖な空気を味わえる場所です。令和4年2月9日(水)の官報告示により、「霧島神宮本殿、幣殿、拝殿」が国宝に指定されました。「霧島神宮登廊下、勅使殿」は、重要文化財です。

 

本殿の規模は全国的に見ても大きく、内陣(神を祀る最奥部)まで華麗に装飾されています。高低差がある本殿と拝殿を幣殿で繋ぎ、一棟の建物となっています。建物全体が彫刻や絵画でくまなく装飾され、極彩色・漆塗・朱塗で豪華に彩られていて、近世に発達した建築装飾意匠の集大成のひとつとされます。本殿の龍柱(龍が彫刻された向拝柱)などをはじめ、東アジアの文化を取り入れた社殿でもあることから文化史的な意義も深いとされます。霧島神宮社殿は高低差を利用して建てられていて、正面平地にある勅使殿と、斜面上の拝殿を登廊下で繋いでいます。勅使殿は唐破風で、松や唐獅子牡丹など彫刻で彩られています。登廊下と勅使殿も1715年に建築された建物であり、社殿を構成する主要な建物として重要文化財に指定されています。

 

「塩浸温泉龍馬公園」があるのは、霧島市の中心から15kmほど北の国道223号線沿いです。小規模な温泉が点在する天降川から分かれた清流・石坂川のほとりです。温泉といっても宿泊施設はなく、温泉を中心に整備された公園となっています。ここは1866年(慶応2)、幕末の志士・坂本龍馬が妻のお龍とともに訪れ、旅行中で最も長く逗留したことで知られる場所です。龍馬が寺田屋事件で負った刀傷を治すためでしたが、この旅はのちに「日本で最初の新婚旅行」といわれるようになりました。

 

1806年(文化3)頃にこの地で発見された温泉は、鶴が傷を癒やしていたことから切り傷や胃腸に効くとされ、「鶴の湯」と呼ばれました。のちに塩浸温泉となったのは、近くの河岸に白い固形物が付くことからです。龍馬は西郷隆盛や小松帯刀のすすめにより、この地を訪れました。その滞在は楽しいものだったようで、姉の乙女に宛てた龍馬の手紙には、「実此世の外かとおもわれ候ほどのめづらしき所ナリ。此所に十日計も止りあそび、谷川の流にてうおゝつり、短筒(ピストヲル)をもちて鳥をうちなど、まことにおもしろかりし。」とあります。彼らはここから高千穂峰まで足を延ばし、山頂に突き立った「天の逆鉾」の柄の部分を見て「天狗の面だ」と大笑いしたと云います。

 

塩浸温泉龍馬公園には小粒ながらもたくさんの見どころがあるので、時間を取ってゆっくりとまわりたい処です。国道223号線の駐車場から石坂川を見下ろすと、そのほとりに小さな浴槽が見えます。これは江戸時代から残る塩浸温泉最古の浴槽で、龍馬とお龍もここに浸かったと考えられています。橋を渡って公園内に入ると、左側の広場の奥に龍馬とお龍の「新婚湯治碑」が、右側に龍馬グッズなどを販売する受付の建物が立っています。受付のある建物の一部は龍馬資料館「この世の外」となっています。龍馬の手紙の複製が展示され、龍馬たちの旅の足跡や、新婚旅行秘話などが紹介されており興味深いです。

 

資料館の建物の前には、源泉「塩浸の湯」を引いた「縁結びの足湯」があります。無料なので、龍馬も入った温泉を気軽に体験できるのがうれしいです。この湯で茹でた温泉卵は、のんびりと足湯に浸かりながら食べるのにうってつけです。その奥には入浴施設があり、男女それぞれ2つの浴槽に「塩浸の湯」と「鶴の湯」の2つの源泉が引かれています。泉質はどちらも美肌の湯として名高い炭酸水素塩泉で、茶色く濁った色とわずかな鉄臭が特徴です。加温なしの源泉かけ流しという贅沢な温泉で、神経痛や切り傷、皮膚病、胃腸病の改善に効果があるという事です。

 

資料館の建物の裏には、「龍の背坂」と呼ばれる石段が延びています。国道233号線ができるまで使われていた旧道で、龍馬たちが訪れた頃からあったものです。古くて危険になり、近年整備されてはいますが、昔の面影をよく伝えています。途中の分岐を右へ行くと、苔むしてすり減った未整備の石段が、塩浸温泉神社の小さなお社まで続いています。塩浸温泉と石坂川を一望にできるこの石段を、龍馬とお龍はどんな気持ちで歩いたのでしょうか。彼らにとってつかの間の、平和な日々に思いを巡らせつつ散策して見ましょう。

 

 

九州自動車道(英語: KYUSHU EXPWY)は、福岡県北九州市門司区を起点とし、佐賀県、再び福岡県に入り、熊本県、宮崎県を経由し鹿児島県鹿児島市に至る、総延長 346.3キロメートル (km) の高速道路(高速自動車国道)です。略称は九州道です。全線にわたり、高速道路ナンバリングによる路線番号として「E3」が割り振られており、門司インターチェンジ (IC)-福岡IC間はアジアハイウェイ1号線「AH1」にも指定されています。高速自動車国道としての路線名(正式名)である「九州縦貫自動車道鹿児島線」の全区間に相当します。えびのジャンクション (JCT) 以北では「九州縦貫自動車道宮崎線」との重複区間でもあり、加治木ジャンクション (JCT) 以南では東九州自動車道との重複区間でもあります。

 

九州の中央部より、やや西側を南北にほぼ直線に貫く形で建設されており、大部分が国道3号やJR鹿児島本線などと並行しています。ただし、熊本県の八代市の八代IC以南は八代海沿岸を通過する国道3号や、九州新幹線とは離れて、九州自動車道は九州山地、矢岳高原、霧島連山栗野岳直下を長大トンネルで貫く短絡ルートとなっています。なお、八代海沿岸には南九州自動車道が九州道から分岐する形で建設されています。九州を南北に縦貫する高速道路として機能しており、加えて長崎自動車道、大分自動車道、宮崎自動車道など東西方向の高速道路と接続することで、九州本土の各主要都市を相互に連絡する高速交通網としても機能しています。なお、北九州・福岡大都市圏の基幹道路となる小倉南IC-南関IC間では、全区間で交通量が1日4万台以上で場所によっては10万台を超えることもあります。

 

九州縦貫自動車道は、九州を縦貫する国土開発幹線自動車道(国幹道)の路線名です。略称は九州縦貫道です。九州地方の最北端に位置する福岡県北九州市を起点とし、鹿児島県鹿児島市に至る鹿児島線と、宮崎県宮崎市に至る宮崎線からなっています。鹿児島線及び宮崎線の全区間が高速自動車国道の路線に指定されており、鹿児島線が九州自動車道として、宮崎線のうち北九州市からえびの市までの区間は九州自動車道として、えびの市から宮崎市までの区間が宮崎自動車道として、それぞれ供用中です。当初は、福岡県門司市(現在の北九州市)から鹿児島市に至る路線として九州自動車道の名称で指定されましたが、1966年(昭和41年)に宮崎市に至る宮崎線が追加され、九州縦貫自動車道に名称を変更しました。

 

指宿スカイラインは、鹿児島県指宿市池田から同県鹿児島市田上八丁目に至る一般有料道路です。指宿有料道路とも呼ばれています。有料区間については鹿児島県道路公社、無料区間については鹿児島県が管理しています。鹿児島県道としての路線は全線が鹿児島県道17号指宿鹿児島インター線に指定されています。指宿スカイラインは、鹿児島市と指宿市を結ぶ全長50.9キロの一部有料道路です。山田インターチェンジは、これまで鹿児島インターチェンジ方面との行き来しかできませんでしたが、新たな料金所の設置で、指宿方面との行き来ができるようになります。山田インターチェンジ近くの皇徳寺団地周辺の道路は、朝のラッシュ時を中心に、谷山方面に向かう車で慢性的な渋滞が発生していますが、料金所の新設によって混雑の緩和が期待されています。

 

桜島は、日本の九州南部、鹿児島県の鹿児島湾北部に位置する東西約12km、南北約10 km、周囲約55 km、面積約77 km²の火山です。鹿児島県指定名勝になっています。かつては、名前の通り島でしたが、1914年の大正大噴火により、鹿児島湾東岸の大隅半島と陸続きになりました。桜島火山は鹿児島湾北部に位置する直径約20kmの姶良カルデラ南縁付近にあり、このカルデラは2.9万年前の巨大噴火で誕生し、その3千年ほど後に桜島火山が誕生しました。日本の火山の中では比較的新しい火山です。桜島火山は有史以来頻繁に繰り返してきました。噴火の記録も多く、現在もなお活発な活動を続けています。海の中にそびえるその山容は特に異彩を放っており、鹿児島のシンボルの一つとされ、観光地としても知られています。

 

約29,000年前、今の桜島の噴火の100万倍くらいの巨大噴火が起こりました。噴出したマグマの量は県全土を60mの厚さで埋め尽くすほどです。マグマが出た後の地面はへこんで、錦江湾奥部にあたる姶良カルデラになりました。鹿児島の地には、軽石、火山灰、火山ガスが600℃以上の高温で混ざりあった火砕流がなだれ込み、たった1週間で山も谷も埋め尽くして、平らな地形となりました。その後、川にけずられて残った地形が現在の鹿児島のシラス台地です。約26,000年前には、姶良カルデラの南端で噴火が始まり、桜島(現在の北岳)ができました。今、私たちが立つ鹿児島のシラス台地も、眼前に広がる桜島や錦江湾も、大昔の巨大噴火とつながっているのです。

 

桜島は1つの山のように見えますが、実は北岳と南岳という2つの火山が合体しているのです。北岳の方が古く、約26,000年前の桜島誕生から約5,000年前まで活動していました。その後、火口の位置が南にずれ、約4,500年前から南岳の活動がはじまり、現在まで続いています。その2つの火山が南北に連なったのが桜島です。そのため、鹿児島市街地からは横長でどっしりとした形に見えるのです。鹿児島のシンボルといわれる桜島は、北岳・南岳の2つが合わさる複合活火山で、今も噴煙を上げ灰を降らせている世界的に珍しい火山です。高さ1,117メートル、周囲約52キロ、面積約80キロ平方メートルで、大正3年の噴火では大隅半島と地続きになりました。昭和29年に県の名勝に指定されています。

 

火山なしでは語れない鹿児島の歴史です。桜島にある縄文時代の貝塚には、火山灰と共生していた跡が残っています。その後、遺跡は土石流で埋まったようですが、それでもまた桜島に人が住み続けるのは、災害よりも恵みが大きいからかもしれません。また、鹿児島の石の文化も火山のおかげです。火山噴出物が溶結してできた溶結凝灰岩は、他の石と比べて少し柔らかく加工しやすいのです。石橋や集成館機械工場など、この溶結凝灰岩を使った歴史的な建物などがたくさんあります。桜島港近くにある桜島ビジターセンターでは、歴史に残る大噴火の様子と地形の変化など桜島のすべてについて学ぶことができます。鹿児島港から桜島フェリーで15分の船旅では、名物のうどんを食べながら、徐々に近づいてくる桜島の雄姿に期待が高まります。

 

鹿児島市と桜島をわずか15分で結ぶ海のバイパス・桜島フェリーは、24時間運航で、日中は15分~20分おきに船が出航します。 船内で食べることができるうどんは、さつま揚げがトッピングされた素朴な味わいです。「フェリーに乗ったら必ず食べる!」というリピーターも多く、名物になっています。桜島には約4,600人が暮らしています(2015年1月現在)。古くは縄文時代から、人々はこの地での生活を始めていたそうです。大噴火や土石流など、火山災害を受けながらもこの地に住むのは、火山のもたらす恵みがあるからです。桜島大根、桜島小みかんといったおいしい農作物、日々の疲れを癒す豊かな温泉、山や集落の美しい景観は、火山の恵みといっていいでしょう。現在の噴火も日常生活の一部です。桜島の人々は、火山とともに暮らしています。



ドライブはもちろん、桜島周遊バス「サクラジマアイランドビュー」で島内の主要観光スポットを巡るのもおすすめです。一般の人が入ることの出来る最高地点である「湯之平展望所」や、長渕剛さんのオールナイトコンサートの跡地に整備された赤水展望広場・叫びの肖像も周遊ルートに含まれています。道の駅「桜島」 火の島めぐみ館には、桜島小みかんや桜島大根などの特産物を使ったグルメやお土産品もあるほか、レインボー桜島など宿泊施設もあり、天然温泉を堪能することができます。