湯布院町は、大分県のほぼ中央に位置し、大分郡に属していた町です。町内に3箇所の温泉地があります。 2005年10月1日に郡内の挾間町、庄内町と合併し、由布市となり自治体としては消滅しました。現在「湯布院町」という地名は、旧町域にある大字の頭に付く形で残っています。全国的にも人気が高い「由布院温泉」、江戸時代からの湯治場の雰囲気を残す「湯平温泉」などが有名な、大分県の由布院盆地を中心とした温泉地です。 老舗の名旅館や個性的な宿が点在し、豊かな自然やおしゃれなカフェ、地元野菜や豊後牛を使ったグルメなど見どころも豊富です。
由布院は全国的にも温泉地として有名な場所です。しかし、大分には温泉地がたくさんあり、他の温泉地と由布院がどのように違うのか、どんな雰囲気の温泉街なのかと疑問に思っている方もいるのではないでしょうか。由布院は温泉以外にも魅力が溢れる温泉地です。由布院は古くから人気の高い温泉地として知られており、日本人観光客だけでなく外国人観光客でも賑わう観光スポットです。「湯布院」と記載されることもありますが、これは「由布院町」と「湯平村」が合併して、「湯布院町」になったためです。由布院は都市部から離れた場所にあり、都会の喧騒から離れ、大自然の中で休日をゆっくり過ごせるので、癒しを求めている方やリフレッシュしたい方におすすめの場所と言えるでしょう。
由布院の大きな魅力は街並みです。時代劇の世界にタイムスリップしたような古い建物が並んでおり、由布院が外国人観光客から人気が高いのはこの街並みの部分も大きいでしょう。特に地元のグルメが楽しめる湯の坪横丁は、写真撮影スポットとしても観光客から人気です。そして由布院に行くのに忘れてはいけないのが温泉。由布院の温泉は単純温泉なので、刺激が少ないのが特徴です。温泉に浸かる際、成分が濃いお湯だと刺激が強すぎて体調を崩してしまいますが、由布院だとその心配が必要なく、赤ちゃんやお年寄りでも安心して入れます。じんわりと疲れを癒やしてくれることから、由布院は日頃の仕事での疲れを癒すのにぴったりな温泉と言えるでしょう。
由布院駅は、大分県由布市湯布院町川北にある、九州旅客鉄道久大本線の駅です。由布院温泉などの観光地を擁する由布院地区の拠点となる駅で、由布市で乗降人員が最も多い駅であり、特急「ゆふ」・「ゆふいんの森」を含め全列車が停車します。運行上の要衝でもあり、当駅を始発・終着とする列車も特急の一部を含め多く設定されています。由布院駅は、ロビーが高さ12mの吹き抜けとなっており、改札口がなく、プラットホームまで一挙にぬけられるという造りです。
建築家磯崎新氏の設計による木造の駅舎は、建物全体が黒で統一されシックにしてモダン。待合室を兼ねたホールはギャラリーとしても利用されています。また、1番線ホームには、足湯もあります。由布院温泉の玄関口・由布院駅は、“湯の町・由布院”ならではのこだわりがいっぱいの駅舎です。木造のモダンな駅舎は、大分県出身の建築家・磯崎新氏によるもので、高さ12mにも及ぶ吹き抜けのロビーは広々としており、まるで町の象徴・由布岳を表しているようです。また、日本でも数少ない改札口を設けていない駅としても知られています。1番ホーム奥には足湯が設置されており、入浴時には特製のタオルが付きます。
湯布院と言えば温泉や美術館巡りで有名な、大分屈指の観光名所!街散策はもちろんのこと、実はこの湯布院では駅を出ずしていきなり観光が楽しめます。湯布院の観光スポットを探していると必ずぶつかると言っても過言ではない疑問が「湯布院」と「由布院」の違いです。実はこの「ゆふいん駅」、正式名称は「”湯”布院駅」ではなく「”由”布院駅」なのです!湯布院町は昭和30年に由布院町と湯平町が合併し、誕生した地名であり、厳密には湯平町を含む場所は湯布院、含まない場所は由布院という使い分けをしていました。
しかし、平成17年には庄内町・挾間町 ・湯布院町が合併し、「由布市」が誕生したことによりその区別がつかず、現在では「ゆふいん」とひらがな表記も増えてきています。まず最初に紹介するのは「JR由布院駅」。黒のモダンな外観の駅舎は、大分県出身の建築家・磯崎新氏の設計によるもので礼拝堂をイメージしたもの。改札口がなく、高さ12メートルの吹き抜けのあるロビーがあり、開放的な空間は一見の価値ありです。由布院駅構内の目玉と言えば、「足湯」です。なんと1番ホームの端に足湯のできる温泉があるのです。料金はハンドタオル等込みでの低価格です。湯布院への列車の旅の思い出に、改札出る前に足湯でエネルギーチャージして観光を存分に楽しめます。足湯でリフレッシュした後におすすめなのが、同じく駅構内にある「由布院温泉観光案内所」です。
観光客向けに宿泊施設やお散歩コースの案内、観光用パンフレットの提供などをしています。じっくりと計画を立ててから本格的な観光に出発できる、嬉しいスポットです!つづいてご紹介するのは「スカーボロ」です。スカーボロとはイギリス製のクラシックカーを利用した9人乗りの小型乗合観光バス。湯布院駅構内の観光案内所で当日予約が可能です。駅直結の観光バスでお手軽に由布院を満喫できます。湯布院に来たら一度は乗ってみたいですね。最後にご紹介するのは「観光辻馬車」です。雄大な景色の中を、馬が引く辻馬車に乗って周辺を観光できます。駅を出発し、仏山寺、宇奈岐日女神社を廻る約50分のコースはお子様にもおすすめです。以上、ゆふいん駅から直結で楽しめる観光スポットでした。
「ななつ星in九州」は、JR九州管内において、平成25年10月15日から運行を開始したクルーズトレインです。この日本初のクルーズトレインとしてつくられた豪華寝台列車による旅の魅力は、匠の心と技が結集した車両、思いと手間が込められた料理と立寄り先でのおもてなし、そしてクルーとのふれあいであり、それらは、九州という地域の持つ豊かさからつくられたものです。また、列車名の由来は、「九州の7つの県」、「九州の主な7つの観光素材(自然、食、温泉、歴史文化、パワースポット、人情、列車)」及び「7両編成の客車」の表現であるとされています。列車は、客車7両、機関車1両の8両編成で、全14室を備え、最大定員は30名となっています。列車内では、木やファブリック(布、織物)が様々にあしらわれ、和洋・新旧融合の国内最上級の洗練された空間が演出されています。
コースは、福岡・大分・宮崎・鹿児島・熊本の5県を周遊する3泊4日と、福岡・佐賀・長崎・熊本・大分の九州北部を周遊する1泊2日の2つがあり、3泊4日コースでは霧島温泉郷において列車外での宿泊も用意されています。旅行価格は、25年12月現在で、26年8月から11月に行われる1泊2日コースが18~52.5万円、3泊4日コースが43~125万円といった富裕層向けの価格帯であると考えられているにもかかわらず、応募倍率が9倍となるなど、大変な人気を博しています。「ななつ星in九州」の運行により、23年3月の九州新幹線全線開業とあわせて、国内外から多くの観光客が訪れています。今後も、九州の各観光地だけではなく、「乗ること、見ること」を目的とする多くの観光客が、九州を訪れることでしょう。
世界で唯一の贅を尽くした車両が九州7県をめぐる「ななつ星in九州」。客室はすべてスイートルームです。内装は、車両ごとにカリン、ナシ、クルミなど異なる木材が用いられており、それぞれ雰囲気が変わります。壁や照明に福岡の伝統工芸・大川組子が大胆に使われ、洗面鉢は有田の名窯「十四代柿右衛門窯」の作です。白磁のうつわは有田「清六窯」、菓子入れは博多曲物で知られる「柴田徳商店」と九州の匠たちの技が光ります。すべてななつ星のためのオリジナルで仕上げたものです。1号車には十四代柿右衛門の遺作となった作品も飾られ、さながら「走る美術館」です。
2022年秋、ななつ星は大幅にリニューアルしました。当初から変わらない1号車はパノラマの車窓と食事を愉しむラウンジカー。2号車は乗客同士の交流を深めるサロンカーに生まれ変わり、茶室もより本格的な空間に。続く3号車にはショップとわずか4席の隠れ家的なバーが新設されました。乗車定員はこれまでの14室30名から10室20名になりました。乗車予約待ちの人たちのために客室を増やしてもよさそうなものですが、3分の2に減らしてまでバーや茶室を設けたのは、さらにゆとりがある特別な旅を愉しんでもらいたいからです。お客さまファーストの妥協のない姿勢の現れです。
ななつ星の旅は、1泊2日のコースと3泊4日のコースがあります。どちらも博多駅を出発し、九州各地のストーリーと絶景をつないでいきます。3月より運行を開始する3泊4日霧島コースでは、初日は300年の歴史がある小鹿田焼の里散策や、日田下駄の製作を体験。2日目は肥薩おれんじ鉄道に入って二つの海(東シナ海と八代海)を望みます。その先で待つのは錦江湾に浮かぶ桜島です。夜は列車を離れて九州屈指の宿へ向かいます。3日目は霧島連山の雄大な景色が広がる吉都線を走ります。最終日は城下町竹田と阿蘇の風景を満喫します。まさに九州の伝統文化やダイナミックな自然をダイジェストで楽しめます。「目の前で噴煙を上げる活火山があり、穏やかな海があり、400年続く伝統工芸や極上のお茶、美味しい食があります。
ななつ星が後続のクルーズトレインと一線を画すのは、もてなしの質の高さにもあります。車両の清掃は行き届き、さりげなく季節の花が生けてあります。ラウンジカーでは、その時々のムードに合うピアノの生演奏があります。茶室では訓練を重ねたクルーが「ななつ星流」の点前で美味しいお茶を点ててくれます。何気なく使っている茶杓は、古民家の囲炉裏の上にあった煤けた竹を譲り受け、こしらえたものだとか。聞けば「100年を超えて物語が続きますように」と願いを込めてとのことだそうです。そんな会話からもゲストが大切にされていることを知る事ができます。クルーたちの笑顔も道中の癒しのもとです。彼らは何カ月にも及ぶ訓練を受けており、所作の一つひとつが清々しいです。加えてゲストの好みや苦手なことをわきまえているため、つかず離れず、かゆいところに手が届く絶妙なもてなしができるのです。長い旅が終わる頃、クルーとゲストは互いに気心の知れた親戚のように思えるとか。ななつ星はリピーターが多い理由がよくわかります。
九重町は九州の屋根と言われる「くじゅう連山」の麓に広がる自然と温泉の町です。四季の変化が鮮やかで、春は野 焼きの「黒」、夏は新緑の「青」、秋は紅葉の「赤」、冬は雪の「白」と四季折々に移ろう大自然を堪能できます。なかでも、「くじゅう連山」の登山基地として知られる長者原をはじめやまなみハイウェイ沿いには雄大な自然景観が広がります。6月、夏山シーズンの到来を告げる「くじゅう山開き」の頃くじゅう連山一帯では、天然記念物 「ミヤマキリシマ」のピンクの絨毯が敷つめられます。「くじゅう」の表記は昔から「九重」と「久住」の2通りがあります。諸説がありますが、現在、大分県の統一解釈では久住山は連山の主峰を指し、九重山は山々の総称としています。九重町は、大分県の南西部に位置し、町の中央部を筑後川上流玖珠川が東西に走り、西側に田畑、山林等が開け、東南は久住山、大船山、三俣山等10有余の九州の屋根というべき九重山群に囲まれています。町域の多くは阿蘇くじゅう国立公園に指定されており、町域各地に温泉が湧出しており、小規模ながら温泉地が形成されています。玖珠郡九重町と竹田市久住町にまたがる連山で、阿蘇くじゅう国立公園の中部に位置しています。
久住山(1,787m)を盟主として、大船山、星生山、三俣山など1,700m級の山々が11峰、1,000m以上の山々が35峰連なり、“九州の屋根”と呼ばれています。山群は大別して久住、大船、涌蓋の3火山群に分かれ、鐘状火山が連なって地形は複雑です。北に飯田高原、南に久住高原という趣の異なる高原が広がり、その随所に温泉がある。6月第1日曜が山開きです。くじゅう連山の北側、標高800~1,000mの地に広がる約8km四方の高原は、阿蘇くじゅう国立公園に属しています。この地を訪れた川端康成が、その美しさに魅せられ、小説『千羽鶴』の続編『波千鳥』において飯田高原を描いています。別府と阿蘇を結ぶ「やまなみハイウェイ」が中央を縦断しており、阿蘇方面からアプローチすると牧ノ戸峠からハイウェイは下りに入ります。これを下りきったところが飯田高原の中心地・長者原・ビジターセンターや観光案内所などがあり、くじゅう連山の登山基地として賑わっています。さらに別府方面へ進むと、ゆったりとした高原地帯で、乗馬施設や自然動物園などがあります。長者原温泉、冷泉の寒の地獄などの温泉もあります。眺望、景観としては、九州本土最高峰(標高1,791m)の中岳や、登山客が最も多い久住山など、各山頂からの眺めがすばらしいです。
坊ガツル・タデ原湿原は、山々の間に広がる広大な湿原。視界が非常に開けているので歩いていて気持ちがいいです。釣鐘状の山並みや点在する火山湖なども見どころと言えます。連山は東西約15kmあり、登山においてさまざまなルート、行程をつくれるので、初級者から上級者まで楽しめます。坊ガツルの法華院温泉をはじめ、山麓には多数の温泉が点在しているので、それらを基地に登山を楽しむ事ができます。やまなみハイウェイの爽やかな高原ドライブが魅力です。別府方面から近づくと、朝日台から長者原にかけてゆるやかなアップダウンの続く見晴らしのよい高原地帯です。くじゅう連山を望みながら気持ちのよいドライブが楽しめます。長者原は、いわゆる高原パノラマビューは乏しいですが、宿泊施設や食事処などが集まる開けた場所です。ジオラマやパネル展示を使って阿蘇くじゅう国立公園の魅力を解説しており、火山活動によって作られた地形やくじゅう連山の特徴、動植物など自然環境について理解が進みます。ビジターセンター裏手には、中間湿原の代表とされるタデ原湿原が広がっています。木道が巡り、1時間程度で歩けるので散策におすすめです。
平成18年(2006)10月30日にオープンした、「九重“夢”大吊橋」は、長さ390m、高さ173m、幅1.5mのこの橋は、歩道専用として『日本一の高さ』を誇る吊橋です。すぐ目前に、「日本の滝百選」にも選ばれた、「震動の滝・雄滝」や「雌滝」を望み、足下に筑後川の源流域を流れる鳴子川渓谷の原生林が広がり、四季折々に織りなす大自然の変化は訪れる人々を魅了してやみません。また遠くに、三俣山や涌蓋山など雄大な「くじゅう連山」が横たわり、360度の大パノラマは、まさに「天空の散歩道」にふさわしい、文句なしの絶景です。
九重町にある「九重“夢”大吊橋」は、高さ173m、全長390mの歩道専用としては「日本一の高さ」を誇る吊り橋です。橋の上から見る眺めは壮観で、日本の滝百選の1つ「震動の滝」や、新緑と紅葉の名所「九酔渓」を望むことができます。特に秋は紅葉の新名所として、見頃を迎える11月上旬には多くの観光客で賑わいます。人が渡れる吊り橋としては日本一の高さを誇る大吊橋です。2006年10月の建築当初は歩行者専用橋として日本一の長さ&高さを誇る橋でしたが、2015年に開通した箱根西麓・三島大吊橋(400m)に抜かれてしまいました。
しかし高さは依然として日本一です。落成以来1000万人以上が訪れているという人気の観光スポットです。大吊り橋は「中村エリア」と「北方エリア」を結んでいます。駐車場が広く、観光案内所や九重町の野菜や果物などを販売する物産直売所などがあることから、ほとんどの方が中村エリアから渡っています。近くで見ればみるほど圧倒される大きな橋です。吊り橋の幅は1.5mあり、車椅子でも余裕で離合できるほどの広さです。吊り橋はコンクリートや鉄骨でできており、強度は119t.(65kgの人が約1800人乗っても)耐えられるという頑丈な橋です。
また地震は震度7まで、風速は65mまで耐えられるそうで、あまり大きく揺れることはありません。高所恐怖症の方は少し怖いかも・・・ですが、安心して渡ってくださいね。“天空の散歩道”というキャッチフレーズがついているだけあって、橋を渡っていると360度大パノラマで九重町の雄大な自然を体感することができます。景色を楽しみながら歩いていると、橋の中心に現れるのが、スリルスポットです。吊り橋から173m下に流れる川を見る事ができます。かなり高さが感じられます。このスリルスポットには大吊り橋から眺める事ができる山々の詳細や、高さの比較などがされた看板が。173mってゴジラよりも高いんです。標高777mの橋の上から見ることができる見所の一つに九重を代表する名瀑があります。
日本の滝百選の1つに選出された、九州でも有数の大きさを誇る名瀑「震動の滝」の雄滝(落差83m)と雌滝(落差93m)と雄滝です。玖珠川上流の九酔渓にある「震動の滝」は、滝の水量が多いときには周囲を振動させるほどの勢いがあることからその名が付けられたと言われています。この「震動の滝」は900年も前の文献「船岡新宮八幡縁起」にも見られ、また田能村竹田も「豊後国志」内でも滝についての描写をされているなど、昔から親しまれてきた滝です。また滝と年老いた龍神にまつわる伝説も残されおり、伝説についての詳細は、中村入り口の左側にある展望広場の案内看板で知ることができます。
橋の上からは2つの滝の全景を望むことができます(日本の滝百選に選出されたのは雄滝のみ)。吊り橋は四季折々の自然を体感できるのが大きな魅力です。中でも毎年10月下旬から11月中旬にかけて吊り橋の上から見ることができる鮮やかな紅葉は美しく、一度は見ておきたい名所の一つとして知られています。北方エリアには徒歩5分ほどの場所に展望台があり、吊り橋の全景を眺める事ができるフォトスポットとなっています。九重町は、「九州の屋根」と言われる「くじゅう連山」の麓に広がる高原と温泉の町として親しまれています。四季の変化がそれぞれに鮮やかで、「春は黒色なり、夏は青色なり、秋は赤色なり、冬は白色なり」と古書「九重山記」で表現されているほどです。
「くじゅう連山」の登山口としても知られている長者原を中心とした標高1,000mの飯田高原は「九州の軽井沢」と呼ばれ、夏でも涼しい風が高原を吹き抜けています。中でも紅葉の名所である『九酔渓』や谷深く原生林が生い茂り、日本の滝百選にも選定された震動の滝のある『鳴子川渓谷』は、春の新芽、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季を通じて木々の変化、美しい渓谷の変化を見ることができます。『九重“夢”大吊橋』の建設は、必要最小限の開発で手付かずの原生林を多くの人に来て、見て、楽しんでもらうために計画されました。長さは390m、高さ173mは日本一の高さを誇ります。
また、大吊橋の周辺には地元の特産品や農産物、各種お土産を取りそろえたお店があり、九重”夢”バーガーをはじめとした九重町の味覚を楽しんでいただける商品のテイクアウトコーナもご用意しております。くじゅう山群の麓に広がる九重町飯田高原の台地北端は、高い断崖となって切れ落ち、そこを断ち割って流下するのが筑後川の源流ともなる鳴子川です。少し下流の九酔渓とともに、大分県を代表する初夏の新緑と秋の紅葉の名所です。その峡谷に2006(平成18)年10月、大吊橋が姿を見せました。水面からの高さ173メートル、長さ390メートル、幅1.5メートル。歩行者専用のつり橋として日本一でした。
大人1800人の荷重と、風速65メートル、震度7まで耐えられる。主塔から延びて重さ312トンの橋桁を支えるメーンワイヤは直径53ミリを7本束ねています。開通以来、多くの人が押し寄せ、多少の揺れを楽しむとともに、見下ろす谷間の景観に驚嘆します。上流に見えるのが、高原の台地から落下する落差83メートル、「日本の滝百選」の震動の滝。眼下は季節によって緑、あるいは赤に、と変化します。下流で合流する玖珠川にあるのが九酔渓です。十三曲がりと呼ばれる道が断崖に通じ、人や車はこれを曲折して上り下り、新緑の緑と紅葉の赤を見上げ、あるいは見下ろします。
ちなみに、鳴子川は瀬音の響く川で、かつて鳴川と書いてナルコと読ませましたが、川をコ、コウと呼ぶのが忘れられて鳴子となりました。九酔渓は九電の前身、九州水力発電に由来するとも云われています。「夢」は一般からの公募によりますが、それに九重町、地元民の夢が懸けられていたことは間違いありません。発想は地元住民で、まさに夢のような話と思われてきましたが、町当局はそれを取り上げ、約20億円を投じた。平成の市町村大合併を拒否し、「自立・自律の町」を目指した上のことです。そして、それは多くの来訪者により報われています。収入は福祉はじめ多方面の事業に回され、商工会など地域住民たちは特産品の開発、販売などに、大きな夢を描いています。
別府・湯布院方面から「やまなみハイウェイ」を走ってくると、タデ原湿原や長者原、くじゅう連山を一望できる直線道路に出ます。ここからの眺めは、絶好の撮影スポットです。山裾に広がる草原、正面には噴気の上がる硫黄山、その両脇にそびえる三俣山と星生山は、くじゅうのシンボリックな風景です。長者原温泉を抜けて標高が上がっていくと、星生山の斜面が間近に迫ってきます。さらに進むと、やまなみハイウェイの最高地点、標高1,330 mの牧ノ戸峠に到着です。沿道は冬には霧氷、春から夏にかけては折々の草花、秋の紅葉など四季の変化が楽しめます。瀬の本高原までの下りには、阿蘇五岳が見えてきます。九州の屋根を通り抜ける「日本百名道」のやまなみハイウェイは気分を爽快にさせてくれます。やまなみハイウェイ沿線は、「阿蘇くじゅう国立公園」に指定されており、城島高原・飯田高原等の大草原が広がり、岡城祉までの国道442号で結ばれた魅力的な風景のルートです。
別府温泉・由布院温泉・長湯温泉等、数々の温泉郷や絶景スポットで有名な九酔渓・九重“夢” 大吊橋、そして登山客に人気のくじゅう連山等、雄大な自然の連続です。また「エコツーリズム」「温泉ツーリズム」「フォレストツーリズム」、高齢者や弱者の方々をはじめ、誰もが安心して楽しめる「ユニバーサルツーリズム」等、五感を活かした「ゆっくり寄り道ツーリズム」の創出にもご注目下さい。温泉観光地として有名な由布院から、車で約10分走ると、ここから熊本県の阿蘇に向かって約1時間、阿蘇くじゅう国立公園内を抜ける県道11号線「やまなみハイウェイ」の旅が始まります。木々に覆われた峠道を抜けると、景色が一変します。タデ原湿原で知られる飯田高原・長者原にさしかかると、そこに広がるのは爽快以外の何ものでもない緑の光景です。窓を開ければ肌に感じる木々の息吹。前方に見えるくじゅう連山に向かって一直線に延びる道路に、胸が高鳴ります。 ルート最高地点である牧ノ戸峠を過ぎると、旅は後半です。くじゅう連山の一帯には多数の絶景スポットや観光牧場、温泉、みやげ物店などがあるので、おおいに寄り道を 楽しみたいです。
大分県別府市の九州横断道路入口から、熊本県の一の宮を結ぶやまなみハイウェイは、 全長約58kmの交通の幹線道路です。正式名称を別府一の宮線といい、大分県別府市から始まり、湯布院町、九重町を通って、熊本県一の宮町へと至る。1964年6月の開通以後30年間、有料(全線1850円)でしたが、1994年6月に全線無料開放されています。山あいの高原地帯を貫くこの道路は、交通面で重要な幹線道路であると同時に、九州屈指のパノラマロードでもある。その中でも、特に美しい景観を見せるのがくじゅう・阿蘇地域です。この地域は、九重連山や阿蘇五岳といった山々と、ゆるやかに広がる高原の織りなす景観が非常に美しく、毎年、多くの観光客がここを訪れています。加えて、やまなみハイウェイの沿線沿いに、別府温泉、湯布院温泉、黒川温泉、長湯温泉など、数多くの温泉地が点在することも、多くの観光客が訪れる要因のひとつとなっています。
やまなみハイウェイは、大分県由布市と熊本県阿蘇市を結ぶ県道11号別府一の宮線の愛称です。九重連山をはじめ、飯田高原、瀬の本高原、長者原などの大草原の景観に囲まれ、直線道路やカーブが多く起伏に富んでいることから、ドライブコースとして人気があります。1964年(昭和39年)に開通し、2014年で開通50周年を迎えました。湯布院から車で5分ほどのところから、「やまなみハイウェイ」(県道11号)が始まります。道のりには雄大なくじゅう連山の絶景に加え、レジャースポットや温泉、高原グルメなどがそろいます。まさに“ドライブの王道コース”です。季節を問わず多くの観光客が訪れる「やまなみハイウェイ」。北は由布院、南は熊本県阿蘇郡南小国町を結ぶ約1時間のドライブコースには、定番の観光スポットが数多く点在しています。大分県由布市水分峠と熊本県阿蘇市一の宮町を結ぶ「やまなみハイウェイ」は、九州が全国に誇る絶景のドライブルートで、“日本百名道”にも選ばれています。正式名称は「県道11号」です。全長約50キロの道のりには、雄大なくじゅう連山や飯田高原、瀬の本高原などの大自然が広がり、周辺には観光牧場や温泉など見どころや寄りどころが多いです。
新緑や紅葉、雪などの時期には、四季折々の色合いの大パノラマとなり、ドライブ中の車窓からは大高原に放牧された牛や馬も見る事ができます。やまなみハイウェイの近辺には、山を身近に感じられるスポットが多いです。野焼きによって湿原環境が維持され、希少な植物をはじめ多くの生き物が生息しています。2005年には国際的に重要な湿地として「ラムサール条約」の登録地に指定されました。タデ原湿原と周辺の森林内には自然研究路が設置されており、誰でも自由に散策できます。所要時間は20分~60分、距離は800メートル~2.5キロで三つのルートがあり、自分に合わせて選べます。このようなタデ原湿原の恵まれた環境は、地元ボランティアによるゴミ拾いなどの自然保護活動によって保たれています。
大分から熊本阿蘇を通るやまなみハイウェイ付近には、自然スポットも多いです。少しルートを外して寄り道をしながら、新しい店や自分だけの絶景ポイントを探すのも良いと思います。寄り道の一つにおすすめなのが、やまなみハイウェイの瀬の本から竹田方面に延びる「国道442号線」。絶景ポイント「あざみ台展望台」や、搾りたてのゴールデンミルクが味わえる「ガンジー牧場」など、見どころが多いです。くじゅう連山に囲まれたやまなみハイウェイは、道中の景色全てが絶景といっても過言ではありません。「朝日台レストハウス」は、やまなみハイウェイでも老舗のドライブインで、周辺のおすすめ観光情報を集められます。「牧の戸峠」では軽装でも山散策ができるので、ふらりと登山気分を味わいたい時におすすめです。「山恵の湯」では立ち寄りだけではなく、隣接する星生ホテルで宿泊が可能です。
黒川温泉は標高700mの熊本県阿蘇郡南小国町、田の原川渓谷に位置する阿蘇温泉郷の一つで、熊本・別府市街から共に約70~80kmと、車で1時間30分を要します。大分県湯布院温泉からは約45kmの距離があり、標高1330mの牧の戸峠を越えて1時間程の山間部とあって、交通の便は決して良いとはいえません。黒川温泉は戦前までは、全国各地にみられる湯治客主体の療養温泉地であり、農林業と炭焼きとの半農半営でした。1960年代に入り、九州横断道路(やまなみハイウェイ)の建設が始まり、旅館の開業や改築が行われ専業化が進みました。1961年に黒川温泉観光旅館協同組合が設立され、1964年の九州横断道路の全面開通時には木造モルタルへの建て替えを終え、温泉観光旅館街に転換しましたが、ハイウェイ効果は3年足らずでした。
阿蘇・杖立、別府などの大型旅館を抱える温泉地に客を奪われ、規模や利便性に劣る黒川温泉は、長い間、低落状態が続き、1970年代の2度のオイルショックと、建築設備への投資による多額の借金を抱えたまま、将来が危ぶまれていました。そんな折、1975年頃に最初の転機がやってきました。黒川へのUターンや婿入りが相次ぎ、30代を中心に旅館の二代目が集まって来たのです。彼らは都会生活の経験を活かし、観光客の立場から、新しい温泉観光の振興策を模索しました。1986年に組合組織を再編し、青年部の発案で看板班、環境班、企画広報班を組織したことが、二度目の大きな転機となったのです。看板班は、目立つことを競って乱立する看板200本をすべて撤去し、統一共同看板を設置しました。
環境班には、変人といわれた一人の男がいました。彼こそ、後の黒川の父と呼ばれた後藤哲也氏です。当時24歳の後藤は魅力ある風呂をつくりたい一心から、3年の歳月をかけてノミ1本で洞窟を掘り、風呂にしました。同時に、周辺にあった雑木を植栽し、野趣に富んだ露店風呂もつくりました。後藤の仕事ぶりに影響され、他の旅館でも彼に指導を受けて露天風呂をつくったところ、女性客が徐々に増え、当初は冷ややかだった旅館仲間も、次々と露店風呂をつくっていきました。後藤は建物周辺にも裏山の雑木を配し、情緒ある「絵になる風景」づくりに励み、さらに風呂づくりや植栽の剪定の指導にも尽力し、ノミ1本とハサミで黒川温泉を変えた男として、その名を残すことになりました。一方、企画広報班は、敷地の制約からどうしても露天風呂がつくれない2軒の湯宿を救うため、1983年に黒川の全ての露天風呂が利用できる入湯手形を発案し、温泉街の仲間たちが結束しました。変人とまでいわれた後藤の情熱と、人々の絆が、後の黒川温泉の礎となる骨太な理念の形成につながっていったのです。
露天風呂と入湯手形の登場を契機に、黒川温泉は一つの運命共同体として、10年の歳月をかけて、存亡の危機を脱出しました。そして、黒川温泉の評価を不動のものにしたのが、1994年に青年部により制定された活路開拓ビジョン「黒川温泉一旅館」です。黒川温泉は一軒の繁盛旅館を生むよりも、「街全体が一つの宿、通りは廊下、旅館は客室」と見立て、共に繁栄していこうという独自の理念を定着させました。そして、黒川ブランドを確立させ、日本を代表する温泉地として全国、さらには海外からの集客も可能にしたのです。この「黒川温泉一旅館」のビジョンが優れているところは、一般的な商店街では店主は一国一城の主であり、他の店が口を挟むことはできないのに反し、この「街全部が一旅館」の考え方は、全体の繁栄があってこそ、個が生きるというものです。つまり、個々の湯宿は全体の一部として、勝手な行動や手抜きは許されません。
営業面では、まず料金体系の明確化に着手、つづいて個性とサービスの質を高め、いかに魅力を発揮できるかにかかっていましたが、各旅館は露天風呂以外に家族風呂などの温泉施設の充実を競い、日帰り・宿泊客の多様な要望に応えて、全体が高いレベルを維持してきました。黒川の旅館はそれぞれが独自に源泉を有しており、温度は80℃~100℃と高く、泉質も10種類以上と多様で、豊富な湯量とともに優れた温泉資源に恵まれてきました。しかし、その自然の恩恵に甘んじることなく、ブランドに恥じない黒川らしさの基準をまとめ、2002年に「街づくり協定」として締結した。温泉地における「街づくり協定」は極めて画期的で、黒川温泉自治会が主体となり、24軒28の湯宿と100戸の地域住民よる景観形成のルールは、地域の貴重な財産となりました。協定の基本理念は、ふるさとの自然と暮らしを守り、やさしさにあふれた黒川をめざし、「黒川らしさ」を守り、創り、育てることです。
観光地として人気が高まれば、多くの観光客が押し寄せることになりますが、「黒川らしさ」の理念の下で、あえて団体客の受け入れを避け、優良な個人客にターゲットを絞り、大手資本の参入やマス化することによるコマーシャリズムの台頭を抑えてきました。街のメインストリートでさえ小型車がやっと通れる程度の狭さで、大型バスは街なかに入れません。商店の数も限られ、黒川オリジナルの土産品にこだわるのもその表れです。また、環境保護の活動として、旅館で使用するシャンプー・石鹸類は河川の水質を守るため、水中の微生物により分解する天然素材を使用し、他の製品の持込み・使用を禁止しています。これまで、2002年の日経プラスワン温泉大賞(全国1位)の受賞に始まり、日本温泉遺産100、優秀観光地づくり賞、日本観光協会会長賞、グッドデザイン賞特別賞、都市景観大賞、ハイ・サービス日本300選、第1回アジア都市景観賞、2009年版のミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでも2つ星を獲得するなど、受賞歴を見るだけでも黒川温泉の組織的な取り組みが、いかに各方面から高い評価を集めてきたのかが理解できます。
その多くは街並み景観への賞賛です。この景観による地域活性化は、「見た目の美しさを整えただけでは成し得ません。大切な文化や自然を再発見し、全員が協力して手入れを繰り返し、世代や立場を超えた取り組みに価値がある」と関係者は云います。この景観は村落自治の長い歴史と常に深化を求めてきた共同体の強い意思の表れでもあります。黒川温泉は現在、日帰り客が年間100万人、宿泊客は30万人と盛況です。年間を通じて全旅館の平均稼働率は概ね40~50%で推移、黒川温泉と同じ小規模旅館の全国平均25%を大きく超えています。一人当たりの宿泊単価は小規模旅館平均の15,000円に対し、12,000円から20,000円と、値ごろ感があり、黒川温泉の認知が高まるにつれて、人気の湯宿は予約が取れないことでも知られています。全国1~2位の人気の要因は、なんといっても趣のある露天風呂であり、日帰り客はすべての旅館が500円で入浴できるが、1,200円の入湯手形なら3枚のシールが貼ってあり、3カ所の露天風呂が利用できます。
評判の良い旅館の露店風呂が低料金で、しかも複数楽しめるとあって、昨年までに入湯手形の発行は1986年から通算250万枚、利用されたシールは600万枚に達しており、その人気は驚くばかりです。これは、黒川温泉が個人客のリピート率を高め、観光地が抱える最大の課題である需要の繁閑差をなくすことに取り組んできた証です。また、入湯手形の経済効果だが、シール1枚が400円に相当し、旅館が250円、組合が150円を受け取るもので、宿の収益と組合運営の安定財源として大きく貢献してきました。昨年度の組合事業費は2億円の予算規模に拡大しましたが、入湯手形の収入は実に73%を占め、黒川温泉に計り知れない恩恵をもたらしています。黒川温泉は、不便な山間部の地形や規模の制約という致命的な弱点を逆手にとって、その弱みを強みに転換し、近代化と拡張を続けてきた他の温泉地と逆行することで、成功を手にしてきました。
1986年に決起し、黒川に奇跡を起こした第二世代に代わって、2006年前後から、都会を経験したUターン組の第三世代が頭角を現し、30代の若手後継者による活気ある新チームが運営に加わり、組織の新陳代謝が進みました。黒川温泉では、年1回の総会、全旅館が参加する八日会と総務会、理事会を毎月開催し、全員が7つの部会(企画・広報部、環境・景観部、研修・サービス部、プロジェクトマネージメント部、事務所・総務部、女将の会、青年部)の一つに必ず参加して、積極的な活動を支える体制を整えてきました。昨年は黒川温泉観光旅館協同組合50周年記念式典を開催し、黒川温泉の地域活性化への取り組みは新たな半世紀を迎えました。
クルマ社会の到来を追い風にしようと奮闘した第一世代、黒川温泉のイメージ形成に挑んだ第二世代、そして、第三世代は「今では、黒川温泉旅館も企業として、商売が成り立つようになり、その商売のにおいがお客様の鼻についているのではと感じることもあります。黒川が露天風呂めぐりや風景づくりで歩んできた道を、われわれ若手がどのように引き継ぐのか、今は試されている」と、謙虚に原点回帰をめざし、さらに新風を興そうと熱いです。黒川温泉の原点は、日本人が持つ心のふるさとを失わず、なつかしい田舎の風景を、今に残していることでしょう。第一世代から50年、手塩にかけて守ってきた黒川の自然と、自らの手でつくり上げた湯宿と、街並みへの原点回帰を常々自問しながら、第三世代は時代に流されない凛とした、強い黒川をつくっていってほしいです。
熊本県阿蘇郡小国町と大分県玖珠郡九重町の境にある美しい円錐形の涌蓋山(わいたさん)。そのふもとで豊富な地熱を源にした温泉地帯が「わいた温泉郷」です。そこには景色や泉質もそれぞれ異なる個性豊かな6つの湯処があり、温泉蒸気で蒸し料理を楽しんだり、旅の疲れを癒すなど、心身共に潤うことができます。「小国富士」や「玖珠富士」の名でも親しまれている涌蓋山は、初中級向けの登山・ハイカーにも人気の山です。山頂からは360度のすばらしい展望を満喫することができます。
また近隣の鍋ヶ滝や大吊り橋などダイナミックな景勝地のほか、福運三社巡りや各種神事など四季を通じて様々な数多くの魅力にあふれたエリアです。標高760m、湧蓋山(わいたさん)の西麓に湧く高原の温泉です。4軒の温泉旅館と日帰りの貸切風呂があり、旅館からの眺望は見事。泉質は単純硫黄泉で、経痛やリウマチ、やけど等に効果があると言われています。地熱の蒸気でつくる名物の「鶏の丸蒸し」も美味です。
標高1500mの涌盤山、その美しさから小国富士と呼ばれ親しまれてきました。旅館「山翠」は豊富な湯量に恵まれ、山の幸と女将の出身天草より取り寄せた海の幸も豊富に使い、至福のひと時を提供しています。熊本県阿蘇郡小国町にあるわいた温泉郷の1つです。九重連山のひとつである涌蓋山西麓の、のどかな高原状の山地にある温泉地です。4軒の旅館はそれぞれの専用の源泉を持っており異なる泉質の温泉があり、ほとんどが源泉掛け流しです。山の斜面を利用した立地の旅館からの眺望がよく、広大な展望と自然の懐に抱かれた静かな環境が堪能できます。
涌蓋山の登山口にあたり新緑や紅葉の季節には登山客が賑わいます。温泉地の地面のいたるところから、もうもうと湯煙が吹き上げており、独自の景観をなしています。また、この地熱を利用した蒸し地鶏等の料理が名物になっています。湧蓋山の南斜面の日当たりが良い場所を「はげ」と呼んだことや温泉の蒸気で草木が育たない「はげ地」などから「はげの湯」と呼ばれた温泉です。泉質はナトリウム塩化物泉です。「旅館山翠」の混浴露天風呂からは阿蘇外輪山が一望出来ます。運が良ければ、幾つかの条件が重なって発生する貴重な自然現象「雲海」が見られるかもしれません。