四方山見物21

 

 

 

三春町は、福島県のほぼ中央部に市し、阿武隈山系の裾野で起伏の多い丘陵地に広がっています。また、郡山市の北東に隣接しています。町のほとんどが標高300~500mの丘陵地で、ゆるやかな山並みが続いています。気候は内陸性気候で、冬の降雪は少なく、夏もあまり暑くありません。



戦国武将田村氏が三春町に城を構えたことから、三春町は城下町として発展しました。そのため、今なお、多くの神社仏閣や蔵などが町の中心市街地に点在しており、それらを祀る四季折々の祭事も盛んに行われています。また、町には、日本三大桜の「三春滝ザクラ」があり、他にも約10,000本の桜があることから、全国的には桜の町として知られています。小さい町ながらも、「城下町の風情ある街並み」、「桜の観光地」、「近隣中核市へのアクセスが良い利便性」といった多くの魅力的な要素を持っています。



三春という美しい名前を持つこの町は、三春藩以来500年間続いてきた城下町です。城址はすでに石垣の一部を留めるばかりとなってしまいましたが、今も息づく数多くの寺社とともにあちこちに残る見事なしだれ桜は、この町がかつて歴史と文化の中心にあったことを物語っています。あたりはもう春爛漫。どこか懐かしい里山が連なる三春の町へ、滝桜千年をめぐる旅に出かけてみました。

 

三春滝桜樹は、齢推定1000年超で、日本三大桜に数えられ天然記念物に指定された名木です。日本三大桜に数えられる滝桜は、大正11年10月12日に、桜の木としては初めて国の天然記念物に指定された名木です。皇居宮殿の正殿松の間を杉戸絵「櫻」(橋本明治画伯)や、赤坂サカス赤坂Bizタワー壁画「四季樹木図」(千住博画伯)が、滝桜をモデルに描かれたことでも知られています。開花期には四方に伸びた枝から、薄紅色の小さな花を無数に咲かせ、その様はまさに流れ落ちる滝のように見えることから「滝桜」と呼ばれるようになったとも言われています。





 

満開の滝桜風景、その樹高は約12mの巨木で、樹齢は一千年とも言われています。しだれ桜の中では国内最大。この地方には滝桜を中心に同心円状にしだれ桜の巨木が点在し、それらは滝桜を慕って植えられた子や孫の桜と考えられています。樹齢1000年以上と推定される国指定天然記念物のベニシダレザクラで、日本三大桜のひとつに数えられています。薄紅色の小さな花を枝いっぱいに咲かせ、その姿が滝のように見えることから名がついたとも言われています。場所によってさまざまな表情を見せてくれますが、正面からの花と幹は圧巻です。また夜間ライトアップされた滝桜も優麗です。

 



 

東北の小鎌倉とも呼ばれる城下町、三春は、その名が示す通り、三春には三つの春が同時にやって来ます。最初に梅の花が咲き、続いて桜が満開となります。そして今度は桃の花が咲きます。羨ましいほどに美しい春が、この土地を彩ることになるのです。その中でも最も壮観なのは、やはり「滝桜」でしょう。一説には樹齢一千年を超えるとも言われるしだれ桜で、花の頃には全国から訪れる桜見物の人たちで、あたりは大変な賑わいとなります。この滝桜はエドヒガン系の紅枝垂桜で、大正11年、国の天然記念物の指定を受けました。日本を代表する桜の巨木で、日本三大桜の一つです。岐阜県の淡墨桜とともに東西の横綱に位置づけられています。





近年有名になった滝桜ですが、その開花時期は4月下旬と遅く、東京では桜の季節が終わろうとする頃です。花びらの大きな傘の下に立って見上げたときの何万という花びらの美しさ。花が風に舞う姿には、この世のものとも思えぬ美しさがあり、どこか祈りの世界に通じるものを感じさせます。滝桜には根元に祠がありますが、その土地の主として祀られてきたのかもしれません。実は、現在に伝わる三春盆唄にも、この滝桜は唄い込まれています。

 

滝桜がその時々の三春藩主や領民にどれだけ愛され、特別視されていたかが想像できて興味深いです。現在では行方の分からなくなってしまった史料に「滝佐久良の記」(天保7年撰、筆者不明)がありますが、そこには江戸時代、三春藩主が殊に滝桜を愛し、毎年花の時期になると、庄屋から「いま何分咲き」と報告を受け、満開の時期になると藩主自らが花見に出かけていた、と記されていました。いまも「藩主花見の地」と伝えられる場所は滝桜を見る絶好の場所です。藩主はこの桜を御用木とし、その枝回りの地租を無税として、桜の保護に努めさせていたそうです。

 

 



 

あぶくま洞は、悠久の時をかけて創られた大自然の造形美です。全長約600mの洞内は、天井から大きく下がる鍾乳石や床下からタケノコのように堆積してできる石筍など千変万化の神秘の世界が続いています。したたり落ちる地下水が自らの溶食作用によって創りあげる様々な造形美にはそれぞれに名前が付けられ、訪れる人を魅了します。三層に分かれる洞内で最大のホール「滝根御殿」では、クリスタルカーテンやボックスワーク、シールド、洞穴サンゴなど、ここでしか見ることのできない貴重な鍾乳石を間近に鑑賞することができます。また、竜宮殿や月の世界、樹氷、クリスマスツリー、石化の樹林など、見る人を感動させてやまない大自然の神秘が続いています。



 

あぶくま洞は福島県田村市にある鍾乳洞です。約八千万年という長い年月をかけ大自然の力によってのみ造りあげられました。鍾乳石の数と種類では東洋一と言われており洞内の温度は年間15℃で一定、年中無休で営業している観光施設になります。また2011年3月11日の東日本大震災においても鍾乳洞の中はまったく被害がなく大変強く雄大な鍾乳洞です。

 

 

悠久の時のなかで大自然の力によって造られた、地底に広がる神秘的な空間は、見る者を魅了してやまないです。「一般コース」と、丸太を渡ったり、狭い穴をかがんで進んだりして、冒険気分を味わえる「探検コース」が用意されています。また、隣接する「星の村天文台」は、豊かな自然に囲まれ、空気が澄み渡った標高640mの天体観測に最適な場所に立つ、県内最大級の反射式天体望遠鏡を備える天文台です。地底に広がる世界と宇宙空間とを、一日で満喫できるのが嬉しいです。



 

 

小名浜魚市場は、明治20年頃木造2階建て延べ66㎡程度の建物で鯨の「いさ」の取引きを始めたのが魚市場としての起こりで、大正3年頃までは遠浅の浜辺から「竹すのこ」に魚をのせて水揚げされていました。以降、長年に渡り、埋立や防波堤工事、コンクリート改築などが行われ、東日本大震災の崩壊により、この地に新たに「衛生管理を重視した魚市場」としてに生まれ変わりました。小名浜港における水産物流通拠点として、豊かな漁場からの新鮮な水産物を、産地より消費者のもとへ供給していきます。

 



環境水族館アクアマリンふくしまは、近海で見られる魚はもちろんの事、カラフルな熱帯魚やアザラシやトドなど約800種類もの生き物を展示している人気スポット。魚釣りを体験して釣った魚をその場で食べることができたり、水族館の裏側を知ることができるバックヤードツアー、裸足になって生き物に触れ合える世界最大級のタッチプール蛇の目ビーチなど、子どもが目を輝かせるような楽しい体験イベントが目白押し。時期によっては水族館のナイトツアーも行われており、こちらも大変人気のイベントです。何と言っても目玉は大水槽の巨大な三角トンネル。頭上を様々な魚たちが泳いでいる様はまるで自分が海の中にいるかのよう。たくさんの家族連れ、カップルで賑わっています。

 



髪のみだれに 手をやれば 紅い蹴出が 風に舞う 憎や恋しや 塩屋の岬 投げて届かぬ 想いの糸が 胸にからんで 涙を絞る
すてたお方の しあわせを 祈るおんなの 性かなし 辛や重たや わが恋ながら 沖の瀬を行く 底曳き網の 船にのせたい この片情け
春は二重に 巻いた帯 三重に巻いても 余る秋 暗や涯なや 塩屋の岬 見えぬ心を 照らしておくれ ひとりぼっちに しないでおくれ

 

 

塩屋埼灯台は、薄磯海岸の海抜73mの断崖に立つ白亜の灯台で、明治32年(1899年)に開設されました。全国に16基しかない「のぼれる灯台」の一つです。今でも沖合40kmの海上まで光を放ち、船の安全を守っています。昭和31年に雑誌に掲載された塩屋埼灯台長の奥様の手記が、映画「喜びも悲しみも幾歳月」の原点となっています。ふもとには美空ひばりの歌碑が建立され、多くの観光客が訪れています。



 



俺ら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす
冬が来たぞと 海鳥なけば 北は雪国 吹雪の夜の 沖に霧笛が 呼びかける 呼びかける
離れ小島に 南の風が 吹けば春来る 花の香便り 遠い故里 思い出す 思い出す
星を数えて 波の音きいて 共に過した 幾歳月の よろこび悲しみ 目に浮ぶ 目に浮ぶ


 

【映画・喜びも悲しみも幾年月】いわき・塩屋埼灯台 灯台守の半生を描いた物語です。白砂青松の沿岸部の断崖にそびえ立つ白亜の塔は、いわき市の観光名所の一つにも数えられています。同市平薄磯にある塩屋埼灯台は、地元では「豊間の灯台」とも呼ばれ、親しまれています。



東京電力福島第一原子力発電所の事故(福島原発事故)を受け,放射性物質による環境汚染が課題となった福島では,「除染なくして,福島の復興無し」をスローガンに,大規模な除染が進められてきました。大部分の避難指示解除準備区域,居住制限区域が解除され,残る帰還困難区域の解除に向けて検討が進んでいます。事故から数年が経過した現在,福島における除染と復興の関係性が見直されようとしています。市町村除染地域における除染作業前後の空間線量率を集計したところ、面的除染によって宅地では42%、学校・公園では55%、森林では21%の線量低減効果が確認されています。なお、除染作業後も、時間の経過や風雨による自然要因等によって空間線量率は低減していきます。

 

平成 23 年 3 月 11 日(金)14 時 46 分に三陸沖を震源とするマグニチュード 9.0の我が国観測史上最大規模の東北地方太平洋沖地震 が発生し、宮城県栗原市で震度 7 を観測するなど、岩手県から千葉県の広い範囲で震度 6 弱以上の強い揺れを観測しました。この地震により大規模な津波が発生し、日本列島太平洋沿岸で広く津波が観測され、岩手県宮古市の検潮所で 8.5m 以上の津波を観測するなど、震源に近い青森県から千葉県の海岸部で高い津波が観測されました。



 

大津波の発生は、地域住民が長年にわたって育み、潮害、飛砂・風害の防備機能の発揮や白砂青松の美しい景観を形成してきた海岸防災林をはじめ太平洋沿岸地域に壊滅的な被害をもたらしました。相馬市松川浦地区は、県立自然公園にも指定され、官民合わせた潮害防備保安林として、130ha にも及び塩害の防止や風速の緩和などの効果を発揮していましたが、震災による津波(相馬観測所 7.3m)被害によりクロマツ林が流失しほぼ壊滅状態となりました。いわき新舞子では、およそ 7.6m の津波に襲われましたが、海岸防災林の一部に被害があったものの、流失せずに津波漂流物を捕捉するなどの効果を果たしました。しかしながら、塩害や地下水の影響等により樹勢の衰えや枯死するものが現れました。