四方山見物17

 



 

戦国最強の武将と語り継がれている上杉謙信を祭神として米沢城本丸跡に建立された上杉神社は、上杉謙信にあやかって開運招福や諸願成就、さらには学業成就や商売繁盛のご利益もあるとされるパワースポットです。参道にある舞鶴橋には「毘」と「龍」という文字が書かれた軍旗が翻ります。「毘」は上杉謙信が毘沙門天を厚く信仰していたことに由来しています。「龍」は不動明王を表し、全軍総攻撃をする際に突撃の合図として掲げられた旗と言われています。仏教を篤く信仰した上杉謙信は、合戦に際して毘沙門天と不動明王という最強の両神を味方につけて戦ったとされます。



 

上杉家の遺品を中心に多数の重要文化財を展示する「上杉神社稽照殿」も歴史ファン必見のスポット。文武兼備の智将・直江兼続公の「愛」の字をデザインした有名な兜も有しています。桜の名所でもあり、例年4月中下旬になると水堀沿いに200本の桜が咲き誇ります。毎年4月29日~5月3日に開催される「米沢上杉まつり」では、総勢千数百人の絢爛豪華な甲冑行列が練り歩く「上杉行列」や、戦国史上最大の戦いを再現した「川中島合戦」が見られます。毎年2月の第2土曜日とその翌日に催される「上杉雪灯篭まつり」では、300基を超える雪灯篭と、1,000個もの雪ぼんぼり(雪洞)にろうそくが灯され、幻想的な美しさに包まれます。

 

「なぜば成る なさねば成らぬ 何事も」の言葉で知られる上杉鷹山が祭神として祀られている「松岬神社」は上杉神社の摂社。上杉神社のほど近くにありますので、ぜひ合わせてお参りください。

 



米沢藩を治めた上杉家の初代謙信公から12代斉定公まで歴代の藩主の廟が並ぶ「上杉家廟所」は、杉木立に囲まれた静粛で厳かな趣。参道を進むと、凛とした空気が感じられます。

 

以前は2代目の景勝公を中心に左右交互に廟が建てられていましたが、越後春日山(新潟県)から会津を経て米沢城本丸に祀られていた謙信公のご遺骸が1876年に上杉家廟所に移され、現在の謙信公を中心に整然と廟が立ち並ぶ景観になりました。上杉家の質実剛健の家風を今に伝え、上杉家と米沢藩の歴史を物語っているかのようです。今でも、謙信公や歴代藩主を偲んで、全国から参拝者が絶えることはありません。



米沢市の冬の風物詩ともなった「上杉雪灯籠まつり(2月中旬頃)」の期間中は、廟所内にも雪灯籠と雪ぼんぼりが設置されます。ろうそくのやわらかな明かりが灯された夜の廟所は、日中とは全く違う趣に変わり、幻想的な雰囲気に包まれます。上杉雪灯籠祭りのメイン会場である松が岬公園と合わせて立ち寄ってみてはいかがですか。

 

 

 

山形県には、最上、庄内、置賜の3つの三十三観音霊場があります。三十三観音信仰は、観音様が広く人々を救うために祈りに応じて33の姿を持つことに由来し、日本では、西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十四所などが知られています。1県に3つの霊場を持つ山形県では、合わせて「出羽百観音」と呼び、最上の庭月観音、庄内の金剛樹院(こんごうじゅいん)では、百観音巡礼の結願(けちがん)証を受けることができます。最上三十三観音は、全国でも珍しく観音堂の名前に集落名が付けられています。置賜も同様です。これは、庄内三十三観音のような寺院による建立でなく、集落の人々が願いを込めて自分たちの手で観音堂を建てたため。最上で、観音堂を管理する寺のことを独自に「別当」と呼ぶのは、観音堂が建てられた後で祭りの際の読経などを頼まれるようになった寺が多くあることの表れでもあります。

 

巡礼の慣習が根付いたのは、最上三十三観音が最初とされています。観音信仰の普及とともに、自分の集落の観音だけでなく他所へも足をのばしてお参りするようになり、さらに次へ、次へと参拝の道を繋いでいったのが、巡礼の始まりといわれています。そして、次第に庄内三十三観音と置賜三十三観音にも巡礼の慣習が広まっていったと考えられています。



笹野地区は、米沢藩以来の歴史に彩られた自然豊かな里山景観が保たれており、笹野観音堂とその関連伽藍群は、歴史的な景観が評価され、米沢市景観重要建造物に指定されています。地区の中心的存在となっており、時期ごとに様々なイベントを開催しています。また、近くには地域で再整備に取り組んだ西国三十三観音もあり、説明シートを片手に巡ることができます。上杉鷹山が奨励した笹野一刀彫の伝統工芸や自然豊かなトレッキングコースもあり、歴史と自然景観に親しむことができます。このような先人が守り育んできた地域の宝を後世に継承していく活動を行っていきます。



 

大同元(806)年弘法大師の高弟、徳一上人の開基と伝えられています。 本尊は千手千眼観世音菩薩、置賜33観音19番礼所。 歴代藩主の信仰篤く、現在の堂宇は天保14(1843)年に再建されたもの。 あじさい寺としても有名で境内には約2000株のあじさいがあります。 笹野観音初十七堂祭(1月17日)には行者や信者による火渡りの神事が行われ、花市と称して笹野一刀彫の市が立ちます。

 

全国に約900もの社があると言われる愛宕神社。その一つが米沢市にもあります。京都市右京区にある総本社のように米沢の愛宕神社も山の頂上に建てられており、歴史は古く上杉家入部以前の蒲生氏、伊達氏、長井氏の時代までさかのぼります。8月1日の例大祭の日は早朝に市民登山が行われ、夕方は「愛宕の火祭り」が開催されています。登山口にあたる「地蔵院」には愛宕羽山両神社の社もあります。愛宕神社の創建は大同2年(807)に愛宕山(標高559m)の山頂に京都愛宕神社の分霊を勧請されたのが始まりと伝わっています。歴代領主からの崇敬され天正16年(1588)には米沢城の城主、伊達政宗が愛宕神社本社から尊像を授かりその像を奉納したそうです。江戸時代に入ると米沢藩主上杉家から崇敬され慶長9年(1604)に社殿造営したのを始め、3代上杉定勝、4代上杉綱勝と続けて改修や修築を行い、14代上杉茂憲は大坂の陣の戦功により徳川家康から賜ったと伝わる米沢城の大太鼓を愛宕神社に奉納し、江戸時代を通して社領12石が安堵されました。

 



米沢市の松が岬公園(上杉神社)のお堀沿いに200本の桜が咲き誇る様子はとても綺麗です。お堀の水面に映る桜が更に美しさを際立たせます。特に、お堀に架かる赤い橋(菱門橋)を入れた桜風景は風情があっておすすめです。夕暮れ時も素晴らしい。また、桜が散った時に水面を染める風景もとても綺麗です。例年4月29日(祝)~5月3日(祝)に開催される「米沢上杉まつり」は、上杉謙信公を偲んだ歴史的なイベントで、演武、和太鼓演奏などが行われます。また、米沢牛や地元の特産品が販売される屋台も出店し、地元住民や多くの観光客で賑わう。夜にはライトアップされ、幻想的な美しい風景を見せてくれるます。ライトアップは、4月中旬から5月上旬時間は夕方18:30から22:00まで昼、夕方、夜と様々な美しい風景を楽しめます。

 



 

 

 

 





米沢高等工業学校は、明治43年3月、東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続いて、全国7番目の高等工業学校として開設されました。本館の建設は、明治41年7月に文部省建築課米沢出張所が設けられ、同42年1月起工、翌43年7月に竣工しました。以来、同校は、昭和19年4月米沢工業専門学校と改称され、更に同24年5月の学制改革によって、山形大学工学部に改組され、現在に至っています。

 

この建物は、ルネサンス様式を基調とした木造2階建で、北を正面とします。中央屋から左右に胴屋が連なり、その両端に短い翼屋を付けた形になっています。正面・幅・全長94mに及ぶ大規模なもので、屋根は寄棟造り、中央屋正面には両端に小塔形の角屋(階段室)が突き出し、中央玄関には車寄せがついています。平面は中央屋の1階が事務室、応接室、2階は校長室、応接室、会議室などがあり、胴屋は1・2階とも主に教室で前側に廊下を配し、翼屋も階段をはさんで前後に教室が配されています。 西側後は階段教室(理化教室)となっています。外壁は下見板張りで、屋根は中央家がストレート葺、胴屋と翼屋は桟瓦葺です。内装は漆喰塗りとなっています。窓は側回り内部間仕切とも上げ下げ窓、出入口は全て開戸です。意匠は、中央家正面に特に凝らしてあり、内部の階段回り、2階会議室天井の漆喰飾りなど細部にも見るべきものがあります。またこの建物は、現在の米沢駅舎のモデルともなっています。

 

 

 



「酒造資料館 東光の酒蔵」がある米沢市は、山から湧き出る豊富な水と良質な米に恵まれ、寒冷地であるがゆえに酒蔵は低温で安定し、酒造りに適した環境です。「東光」の名で知られる小嶋総本店は、1597年(慶長2年)創業の米沢藩上杉家御用酒屋であり、江戸時代に飢饉で米不足となり禁酒令が出された中でも、酒造りを許されていた数少ない酒蔵の一つと言われています。資料館に併設されている蔵元直営店では、無料試飲だけではなく、普段は気軽に口にできない高級酒やコンテストの受賞酒もリーズナブルな価格で試飲可能です。専属スタッフの助言を受けながら、お気に入りの1本を見つけてみてはいかがですか。

 

 

酒造資料館「東光の酒蔵」は、小嶋総本店から歩いて数分に位置する、東北最大級の酒造資料館です。館内は、まるで明治時代の酒蔵にタイムスリップしたかのような趣き深い空間が広がり、併設の酒販売処では東光の試飲とお買い物をお楽しみいただくことができます。仕込み蔵は実際に酒造りを行っていた土蔵を改修したもので、床面積140坪の大きな土蔵は、まるで昔の酒造りの現場に足を踏み入れたような趣を感じさせます。広大かつ味わいのある当館の仕込み蔵は、テレビドラマや、海外有名化粧品のCMロケ地としても知られております。また蔵元の母屋部分は、ボルト一本使わない伝統なくさび工法で建設されており、現代の技術では再現不可能とされる歴史的な建造物です。過去には皇太子殿下・妃殿下が行啓され、当主である小嶋彌左衛門がご案内をいたしました。その際の様子も、館内にてご覧いただくことができます。