飯豊町は、豊かな自然と心豊かな人情味あふれる郷です。名峰飯豊連峰が連なり、その麓には、春は緑の穂をなびかせ、秋には黄金色のじゅうたんのように見える田園風景が、私達を魅了します。明治25年頃、台沢の山中で大きなガマ蛙が岩陰から湧き出る湯で傷を癒しているところを、草刈をしていた少女「さく」が偶然見つけたことから、この名がついたと云われています。以来、戦後までたいそう賑わいを見せました「がまの湯」も、昭和30年頃から世の中の移り変わりと共に廃れてしまいました。それから二十数年後の昭和53年に「いいで旅館」として再建されました。
広河原間欠泉は飯豊町の最南端に位置し、福島県境の飯豊連山と霊峰に挟まれた飯盛山の奥深くにあり周囲をブナの天然林に囲まれた谷間に自噴している間欠泉です。間欠泉への道路は道幅の狭い砂利道を約8km進みます。平成11年度地域からの支援があり、中津川財産区が主体となり山林の管理と休憩施設を兼ねた作業所を設置するとともに、貴重な湯花蓄積地を保護する防護柵も併せて設置され、宿泊施設は平成17年10月8日オープンしました。間欠泉の下流域には数百年かけて堆積した湯花の堆積地が広がり、流れ出る温泉に漏れた波形模様が黄金色に輝き、噴出する間欠泉と相まってひとときの霊玄の世界に浸る事ができます。
山形県置賜地方にある散居集落に囲まれたのどかなまち飯豊町。そこにあるのは心も体も癒してくれる人情あふれた温泉宿です。温泉は昭和62年に掘り当て、平成2年に開業いたしました。露天風呂の自然石黄門石は平成5年、露天風呂に入浴中のお客様が偶然発見されました。黄門石は平成16年 リニューアルオープンを契機に新浴室棟の露天風呂に移されました。 豊富な湯量とその効能は、あったまりの湯として類のない温泉として評判となり、毎日多くのお客様に利用されております。 これも、黄門様のご利益でこの地に温泉が授かったのでしょうか。浴室にはサウナや水風呂、寝湯などもあります。内湯は、循環ろ過をしているそうですが、特にカルキ臭や匂いはなくシンプルな浴感でした。薄い琥珀色をしていて、露天風呂とは違う色に見えるのはろ過しているせいだと思われます。露天風呂も含めて温めの泉温で、長湯に適しています。
ハイジアパーク南陽は、南陽市の市街地に湧く赤湯温泉の北西、風光明媚な高台に位置しています。本館は、レンガ造りを思わせる鉄筋二階建てで、大浴場は二階の奥に男女ほぼ同じ造りで並んでいます。露天風呂は、100㎡はあり、緑に岩を並べた浴槽からは飯豊連峰の山並みが一望でき、それは雄大そのものです。赤湯温泉の湧く南陽市は、1967年に、赤湯町・宮内町・和郷村が合併して生まれた市です。東北地方にあって南陽市とは、いささかイメージからかけ離れてた市の名前に思えますね!
長者屋敷温泉のある山形県南陽市宮内には県指定文化財の「熊野大社」があります。その歴史は古く記録に残る最も古い記事は806年「平城天皇の勅命により、紀州熊野権現の御神霊をお遷し申し上げ再興した」とあります。伊達政宗(九代儀山)時代には門前町が、ぼつぼつ成立したと推測できます。まるで時代劇のセットを思わせる長者屋敷温泉は熊野大社の北東、秋葉山の中腹にある比較的新しい温泉施設です。泉質はアルカリ性の単純温泉で万人向けの温泉といえます。長者屋敷温泉の周辺はブドウやリンゴの果樹園に囲まれのどかで静かな環境です。ログハウス的な休憩所や全天候型「へら」池、蕉流湖がありのんびり釣りを楽しむ事も出来ます。
今から900年程昔、奥州統一を夢見た源義家の弟義綱が出羽の平師妙の乱の際、草刈八幡のお告げにより発見し、傷ついた兵士を湯に入れた所、温泉は傷からの血で深紅に染まったところから、赤い湯、赤湯となったと言われています。山形県の置賜盆地の北端に位置し白竜湖北西の斜面には広大なぶどう園が広がっています。御殿守は上杉家の別荘 「赤湯御殿」が始まりです。この地には赤湯七水の一つと言われる名水が湧き出ておりました。当時の人は、そこに龍神と道祖神をお祀りし龍神水と呼んでいました。そこで日本一の大石風呂を健康と長寿を願い「龍神の湯」と命名したそうです。御殿守の名物は大きな岩風呂です。この原石は、南蔵王山麓より採取したもので、安山岩、通称蔵王目透き石と言われているものです。原石の重量は100トン余り、縦5m横4m高さ5mあり、上の部分三分の一を切り取り、中をくり抜いて作ってあります。
山形県・赤湯温泉にある旅館「山形座 瀧波」は、創業から100年を超える宿を襲ったのは、東日本大震災による経営難でした。立て直しのために発案された「いきかえりプロジェクト」によって、大きな変貌を遂げた老舗旅館です。新しい宿名は「山形座瀧波」です。山形の連綿と続く文化を現代感覚と融合させ、居心地の良い宿に生まれ変わりました。瀧波の母屋は築350年の米沢上杉藩時代の庄屋の屋敷を移築復元した建物です。温泉は、源泉の湯をそのまま風呂に引いているため、より鮮度の高い泉質となりました。お風呂は内湯、岩風呂、露天風呂や貸切風呂があります。一枚岩をくりぬいた岩風呂が自慢です。効能豊かな赤湯温泉の中でも、瀧波は豊富な湯量を誇ります。客室は全室露天風呂付きにチェンジしました。館内の湯処だけではなく、この客室付きの露天風呂でも、かけ流しで温泉を楽しめるようになりました。
共同浴場の管理組合では、「汗をかいたら缶ジュースより安い温泉浴場へ」というキャッチコピーを宣伝に用いています。赤湯の公衆浴場は4軒ほどありますが、それほど離れていないのでどこでも歩いてでも行ける距離にあります。入湯料金が僅か100円という安さで地元では「汗をかいたら缶ジュースより安い温泉」というキャッチコピーがあるようです。確かに安いです。国道113号沿いにあり、外観は古びた鉄筋コンクリート2階建て、駐車場は狭く満車状態でした。入口に発券機があり入湯券を購入、下駄箱に靴を入れ、受付にある入湯券箱に券を入れます。浴場は受付を挟んで男湯、女湯に分かれています。「あずま湯」の名前は、国道13号線バイパスが開通する頃、田んぼの真ん中に建てられたもので、眺めは最高でした。吾妻山が真正面に見えたことから、この名が付けられました。お風呂はかすかに白く濁り、カルシウムが少し多めのようで、肌触りがキシキシとし、含硫黄成分で、温泉の香りがます。浴槽に豊富に注がれたお湯は、縁を越えて流れ出て行き、なかなか良い感じです。湯温は少々熱めでしたが、静に入浴ししばらくしましたら、体が慣れてきて、気持ちよいだけです。注がれる湯量がちょうどよく、お湯も綺麗に保たれています。それにしても、施設の隅々までよく管理されていて、清潔感があり気持ちよく入浴を楽しめました。
浴室のドアを開けると、ふんわりと甘いゆで卵の臭いがします。これは予想外です。烏帽子の湯は烏帽子の形の浴槽と湯めぐりマップには紹介されていて、実際にそこに載っている写真は男湯で歪んだ三角形が烏帽子に見えなくも無いが、実は女湯の浴槽は烏帽子には見えません。烏帽子の湯だから烏帽子型の浴槽と言うのは後から知った事で、最初浴室に入って浴槽を見た時の私の感想は、「アメーバ?」です。非常に有機的なフォルムというか、角を丸めた長方形の四つの辺を全部適当な力で「グニャッ」と押して出来たみたいな形です。お湯はすっきりとした無色透明で湯の花も見当たりませんでした。熱めですが熱すぎず、でも長くは入っていられない感じです。軽いきしつきがあって、じんわりと包み込むようなお湯は、浴槽が掛け流しであるだけでなく、シャワー、カランも全部源泉を使ってあります。入ったら即温まるタイプのお湯で、上がると随分体力を消耗していました。
とわの湯は昭和18年に建てられた。名づけは町民からの募集で、この18という数字から18(とわ)となりました。なんとなく親しみを感じます。私の生年と同じ、それと南陽市出生ゆえかもしれません。丸い胴体の郵便ポストや電話ボックスがあり、レトロ感を増しています。建物はもちろん決して新しくはなく、町の公衆浴場らしくいい感じに年季が入っている。しかし、この「とわ」の湯周辺も全然温泉街らしくありません。本当に普通の住宅地の一角みたいです。とわの湯の周辺には温泉旅館も何軒かありますが、それでも景観は田舎の国道沿いそのままで、あまり観光地らしくありません。浴衣で散策とかしたら絶対浮きそうです。とわの湯の浴槽はきっちりと正方形です。少し鼻を突くような刺激臭のようなものを感じます。赤湯温泉のどこの共同浴場も、湯気が凄くて浴室内がミストサウナみたいになっていて、前がよく見えないし、時々ポタリと冷たい滴が落ちてきて思わずヤラレタと飛び上がりそうになります。お湯はわずかにうす濁りで、茶色の少し大きな湯の花が「ぽわっ」と、ところどころに漂っています。加水もあるものの掛け流しのお風呂は、浴槽の縁から円形のさざなみを作り贅沢に流れています。赤湯温泉の共同浴場の全てに共通しているのが、隅々まできっちり管理されていて、清潔で、とても気持ちよく入浴できる事です。
江戸時代中期創業 歴史ある温泉旅館です。丹泉ホテルは江戸時代中期創業で、丸屋と号していました。明治31年大宴会場を含む改築を行い、当時の町当局より丹泉ホテルの屋号を頂きました。丹泉とは赤湯の意で上杉鷹山公の師、細井平州先生が来湯の際の漢詩の中に(丹泉の地に遊ぶ)と詠んで居られます。大浴場は、タイルが貼っている浪漫風呂と古代檜風呂があってそれぞれ岩造りの露天風呂が併設されています。風呂の形はどうでも良いですがお湯が気持ち良いです。素朴でどこか懐かしい露天風呂は小さめで、2~3人入れるくらいです。温泉のお湯は少しヌルッとするタイプで保温力も良いです。当日は他の客とは会わなかったので単独で入浴できました。木の香りに包まれることが出来る檜風呂は、広々とした良い感じのお風呂でした。源泉かけ流しの無色透明無臭の温泉は良く温まり、ゆっくりと赤湯温泉の湯を楽しむことができました。
長井あやめ温泉桜湯は、国道287号線(長井大橋)から西へ約5キロ、標高265mの高さにあり、 朝日連邦が連なる山々の懐に抱かれ、長井市街をはじめ置賜盆地が一望に広がる。風光明媚な温泉です。2015年に機械の故障などの理由から休業されていましたが、地元の手塚建材さんが引き継ぎ、運営会社を立ち上げて再オープンしました。 露天風呂的ワイルドな岩風呂は、岩場からお湯が注がれており、丸い土管の中へお湯が流れ出る仕組です。お湯は黄緑色をしており肌をこするとかなりキシキシする感じです。
長井市にある総合宴会場の老舗「はぎ苑」の敷地内に日帰り温泉施設「卯の花温泉はぎ乃湯」がオープンしたのは平成16年4月。歴史は浅いものの豊富な湯量と泉質の良さが口コミで広がり、市内外や遠く県外からも温泉通が押し寄せるとか。日本庭園に囲まれたくつろぎの湯、豊富な湯量だからこその源泉100%、そして泉質の良さが自慢です。内湯は20人サイズの大浴槽があります。お湯は薄黄色の透明で、うっすらと何らかの温泉臭があるような感じです。源泉100%と掲げられてますが、かけ流しという意味ではなく加水なしの循環で使用されています。露天は10人サイズの岩風呂と黒獅子風呂あります。黒獅子風呂は重さ30トンもある御影石をくりぬいて創り上げた世界唯一の特注品です。
泡の湯温泉は山形県南西部の飯豊山の麓、小玉川支流の内川沿いに飯豊連峰・朝日連峰の大自然に抱かれた所にある一軒宿です。泡の湯の名の由来は、岩の割れ目から大量の炭酸ガスを含んだ泡が湯となって噴出することで名付けられました。山間の温泉だけに、渓流釣りや山歩きの人達に人気の宿です。源泉掛けながしの浴室に入りますと、桧の香りがしました。床も壁も桧張りなのです。2方向にある大きな窓からは飯豊の山々の四季の移り変わりがつぶさに診る事ができました。
飯豊温泉を代表する宿で、雄大な飯豊連峰が背後にそびえ、眼下には玉川の渓流が流れる見事な景観です。国道113号沿いのトンネルの手前から下ってそこから15キロくらいの所にあります。800年の歴史ある伝説の温泉です。飯豊温泉はその昔マタギによって発見されたとの事です。熊も傷を癒したという温泉は病気やケガに効くと評判です。温泉は男女別の大浴場が二か所あります。独泉の展望大浴場は、壁と天井は総木造り、たっぷりの光が満ちた明るい「浴室展望大浴場」と銘打っているだけのことはあって、眺望が抜群です。傾斜した天井窓と壁一面の窓から、連なる山々の絶景が一望できます。5人強は一度に浸かれる大きな浴槽には、石造りの湯口から注がれる結構な湯量が注がれ、浴槽縁全体からの贅沢にオーバーフローしています。浴槽内の温度は適温で、見ると茶色い濁り湯に見えますが、湯口からの源泉はほぼ透明です。赤茶の湯花が底に沈殿していて、浴槽底を斑に染めています。サラサラと柔らかくマイルドなお湯は、じっくり浸かっていると身体の内側から効いてくるような感じです。飯豊温泉の源泉は飯豊連峰の北側中腹登山口にあって、国民宿舎の梅花皮荘まで約四キロ引湯されています。
山形県南陽市赤湯から東置賜郡高畠町に至る盆地は、北端の白龍湖近辺を含め大谷地地帯の田園です。今もあぜ道を歩くとゆらゆらと揺れます。地盤が軟弱なのです。かつては、一帯沼地で谷地舟(箱舟)で往来していました。田んぼでの田植えは大きな木の下駄を履き、刈り取った稲は箱舟で運んでいました。湯沼という地名は昔からあり、冬でも雪の積もらない場所が2~3カ所ありました。自然に湯が湧いていたのです。今から70年前頃この地で湯沼浴場として細々とやっていたのが始まりです。現在の湯沼温泉は、昭和37年掘削に成功したものです。
山形県は全ての市町村に温泉が湧く温泉県です。その中で米沢は、米沢八湯と呼ばれるそれぞれ泉質がちがう名湯がある街です。小町の湯「やまぼうし」は、吾妻山の麓、大樽川のほとりに佇む温泉です。。新緑の木漏れ日や雪山など、大自然が作り出す壮大な景色が眺められます。愛犬と一緒に泊まれる戸建てのコテージは広々とした間取りで、周りに気を遣わずゆっくりとした時間をお過ごせます。奥にある、湯小屋は新しく立派です。左側が女性湯、右側が男性湯になっています。お湯は独自源泉で、湯温が低温のため加温して利用しています。内湯は、渓流が見渡せる広い窓と明るい浴室は気持ち良く、静かにお湯が溢れています。タイル浴槽には湯口から注がれる分だけオーバーフローしています。お湯は無色透明でクセがない感じで、うっすら温泉臭のような香りも香っています。露天風呂は岩組みのワイルドなもので、お湯が注がれ、しっかり溢れ出しています。露天風呂の隅に談笑するような石でできたテーブルや小イスがありました。
ここは、2000年の11月にオープンした温泉で、敷地内に母体となる植杉造園さんがあります。もともとは、この造園会社が、消雪用の井戸を掘ったところ、地中350mから温泉が出てきたのが大本のきっかけです。その後地中1200mのもう1本源泉を掘削し、2013年、オープン記念日の11月15日から2本目の源泉も併用して利用しています。ガラス張りの明るい浴室には、大きな木枠の6人ほど入れる浴槽がどんとあります。湯口からそろそろ投入されるのは冷たい源泉です。源泉温度が低いので加温していますが、加熱湯は浴槽内のどこで注入されているのか分かりません。無色透明でかすかな塩味、特徴なしのさっぱり湯ですが、カルキ臭が最低限に押さえられているのが救いです。露天風呂は真新しい檜風呂で、3人位入れる小さめな浴槽です。低い生け垣があるだけなので、遠方の山々が見渡せ空が広く爽快です。
米沢市にある日帰り温泉施設で、店舗数日本一の「極楽湯」が運営しています。空を眺めながらゆっくりとお湯に浸かれる石造りの和風露天風呂や、大きな窓で開放感のある大浴場、ジェットバスやバイブラバス、2種類のサウナなどが完備されています。浴室に入ると右に「あかすり処」があり、左にサウナがあります。まっすぐ進むと水風呂があります。水風呂の温度は18度に設定しているとの事で、サウナから出てきて直行している人がいました。その奥にぬるま湯まで用意されていて、左の壁沿いにカランが並んでいます。正面奥が、寝風呂、ジェットバス、ハイパーバス、サンダーバス、スチームサウナが並んでいます。サンダーバスとか何かと入ってみたら腰がビリビリくるほどの電気が走ります。これらで使用されるお湯は地下からくみ上げた水を加温しています。多くの人は露天風呂に入っていました。露天のお湯は「光明石温泉」が使用され、人口温泉になっています。塩化カルシウム、炭酸水素カルシウムなどおよそ10種の成分が溶出し、神経痛や肩こりなどの効能があります。浴感は柔らかくてやさしく、つるつる感までありました。
米沢温泉 平安の湯 は山形県米沢市にある日帰り温泉施設です。国道13号など方々で看板を見かけますが、分かりにくい場所にあります。米沢市街地から県道101号(羽州街道)を北上してくると分かり易いと思います。真っ白な2階建ての建物で1階部分が温泉施設、2階部分はハイツ平安で住居になっています。館内は庶民的なスーパー銭湯のような雰囲気でカットハウスやリラクゼーションも入っていました。名物の米沢ラーメンが食べられる食堂もあります。玄関の壁には温泉分析表が掲示されていました。内湯は10数人サイズの大浴槽があり、浴室に入るとガスっぽい香りを感じるのですが、お湯は無味無臭です。温泉は源泉かけ流しで使用されていて、湯温は結構熱めになっています。水道のホースが浴槽内に伸びていて、無理やり加水して温度調整してるようです。露天は20人サイズの岩風呂があります。露天への経路が内湯を出てからいくつか段差があったりするのが、手作り感を感じます。露天と言っても完全に屋根がついていて、室内の雰囲気だったりしますが、窓の外はのどかに畑が広がってます。お湯は内湯と違い少し黄色く色づいて見えて、多少の肌への泡付きがあります。温度は少し低めになっていて、入りやすかったです。
山形県米沢市の奥座敷「小野川温泉」は、ホタルの里と言われ小野小町ゆかりの温泉地です。温泉街を流れる最上川源流の大樽川は、清らかなせせらぎの中、カジカが鳴き夏の夜には数万匹の蛍が飛び交います。小野川温泉の温泉は、源泉が空気に触れると「湯ノ花」が白くできます。お風呂の中と源泉の出口に白く浮いている沈殿物がありますが、これが温泉である証です。源泉温度が高いため井戸水で温度調節(加水)をしています。
小野川温泉の名前の「小野」は、平安時代の歌人、日本の美人の象徴にも揚げられる、小野小町からきています。1200年前に小野小町が父を探し京都から東北に向かった途中で病に倒れ、この地の温泉につかって病を癒したと云う伝説が今も残っています。江戸時代には、伊達政宗がこよなく愛した温泉がここ小野川温泉です。「小町の湯」は、最上川の源流、大樽川の河畔に位置する石組みの露天風呂です。源泉温度がかなり高いせいで湯の表面には熱い湯がたまっているのでよくかきまぜてから入浴する必要があります。湯船へ注がれているお湯は4号源泉の単独使用です。何しろ無人施設ですから、湯加減を常時管理することができません。ほぼ無色透明なお湯の中では湯の華が無数に舞っています。また槽内の岩には湯の華が付着しており、このためお湯が白く霞んでいるようにも見えます。硫黄の香りが漂い、塩味の効いたおいしいタマゴスープの味が感じられます。
五色温泉はその昔、五彩の湯煙が上がっていたところから「五色温泉」の名がついたという。標高900mにある静かな宿です。深い山々に囲まれた一軒宿は、まさに秘湯中の秘湯といえます。ここは古くから子宝の湯として知られてきました。その薬効ある豊かな湯は、内湯と露天風呂で堪能出来ます。平成12年、新館の建設に合わせて新築された露天風呂は、木の香り漂うやすらぎの空間です。少し白濁したお湯に浸れば、目に入るものは、連なる雄大な山々のみ!その開放感は実に素晴らしいです。山深い風景の中にひっそりと佇む、秘湯の一軒宿!それが宗川旅館です。
開湯から700年(大昔、一羽の傷ついた鷹がお湯に入って傷を癒しているのを猟師が見つけました。薬効あらたかな湯のおかげで白毛斑点の鷹が回復し、飛び立ったのを見た猟師は、その温泉を「白班鷹湯」と呼び、後に「白布高湯」になったと言う伝説が有ります。又、このような歴史有る白布温泉には、江戸時代に建てられた重厚な雰囲気の茅葺き和風旅館が3軒有りました。しかし、平成12年そのうちの2軒が火災で焼失してしまいました。当時の面影を残すのは1軒(西屋)だけになってしまいました。復旧した東屋は明るく現代的になりましたが、内風呂など随所に昔の間々復元されています。
開湯700年と言われる白布温泉の、湯滝の宿「西屋」は、創業が江戸時代まで遡る歴史ある旅館です。江戸時代より「東屋」「中屋」「西屋」と3軒茅葺屋根の並ぶ情緒ある貴重な風景を見る事ができる温泉街でした。ところが2000年「東屋」「中屋」は火災にて全焼し、今も尚茅葺屋根を残すのは西屋のみとなってしまいました。当館祖先が明暦三年(1657年)に書き残した白布温泉に現存する最古の文書「先祖本書記」によりますと、江戸幕府開闢の頃、かの直江兼続公が秘密裏に戦の準備を進めるため、はるか堺州和泉(現在の大阪府)から呼び寄せた鍛治職人たちに白布温泉で鉄砲を作らせたとのこと。その際、上杉藩の命により、西屋の先祖は職人の寝食の世話を引き受けたと書かれております。この西屋の「湯滝の湯」は凄いの一言です。西屋に着いた時から「ザー」という音が旅館内の何処にいても聞こえてきます。近くに清流も流れていないしと思っていると、沢の水で温度調節された温泉の湯が三本の「打たせ湯」の滝として湯船に落ちている音だったのです。それが男湯も女湯でも、個室の温泉でも豪快な流しっぱなしなのです。天然噴出した高温の温泉が湯守りの努力によって温度調節されて流れ込んでいるのです。この豪快な湯滝に打たれるだけでこの温泉に来た値打ちがあります。
2000年まで、茅葺の旅館が3軒並んでいました。東屋・中屋・西屋の3軒です。しかし中屋から失火、東屋にも飛び火して両館が全焼し、残る茅葺は西屋だけとなってしまいました。300年以上も続いた中屋旅館の伝統を受け継ぎ近代的な設備を取り入れています。宿の名物はなんと言っても「オリンピック風呂」です。ひたすら横に長いお風呂でした。しかも何故か浴室入口が自動ドア。広い窓から日が差してキラキラで、とても綺麗だけど、なぜにこれがオリンピックかと言うと、1964年に開催された東京オリンピックに由来します。この年に大浴場がオープンしたのでオリンピック風呂と名付けられたそうです。長さは男女合わせて33mもあるそうです。窓からのの眺めも良く、大勢でずらっと並んで入れそうです。湯はきしつきが強く、白い溶き卵状の湯の花を漂わせています。湯の花の量は多く、浴槽の底に降り積もっているぐらいです。浴槽の底や床は信楽焼でできているそうで、タイルと違って独特の温かみある感触です。
新高湯温泉東屋旅館は明治35年に宿として開業し現在5代目となる長い歴史を持つ温泉宿です。新高湯温泉は、米沢十湯の一つで、県の南部米沢市の南白布温泉先の天元台ロープウェイ脇から、急な坂道を2km程登った所にある一軒宿です。ありのままの自然に包まれたこの宿の魅力は、露天風呂に入ってみると良く解ります。天然の源泉と混浴の露天風呂を中心に、様々な手作りのお風呂があります。中でも特に目を引くのは樹齢500年以上と思われる巨木の根をくり抜いて湯船にしたものや女性専用の天然大岩風呂も、のどかな山間の秘湯に相応しい情景です。湯に浸り自然の情景を眺め、清流の音が心地よくまさに極楽極楽です。この心地よさが秘湯探訪をさらにかきたてられます。
米沢十湯のひとつ滑川温泉は、500年ほど前に平家の侍斉藤盛房が前川で滑って転んで温泉を発見したという由来があります。開湯はそれから200年以上たった宝歴13年のこと。当時の上杉藩主の許可を得て、一軒宿の福島屋は湯治場として栄えてきました。今も最上階3階に殿様用の部屋が残されており、ここに泊まれば四方を見渡すことが出来ます。混浴の内風呂は、天上が高い木造で、湯船は石造りの見事なものです。薄い乳白色の源泉がかけ流しされ、非常に良く暖まるお湯です。露天は古くからある大きな岩風呂と後から造られた檜風呂の二種類で、基本は混浴ですが、女性専用時間も設けています。この岩風呂も素晴らしいの一言です。紅葉の木々や渓流を望みながら若干ぬる目のお湯に浸かっていると、時を忘れてしまいそうです。
鉱山師だった初代が鉱脈を求めて山々を渡り歩いているとたまたまこの地へやって来ました。すると露天風呂に髪の長い女性が湯浴みしていました。こんな山奥で女が湯浴みとはと驚き、おそるおそる近づけば、なんと、赤ん坊を抱いた恐ろしい形相の山姥でした。思わず逃げ腰になると、山姥はそんな因果な山師などやめて、この湯の湯守にならんかいと云い残し、赤ん坊もろとも山姥の姿はどこかえ消えてしまったという。それ以来、この湯を姥湯と名づけ、現在に至ると言い伝えられております。姥湯温泉のそのすぐれた景観は山形県内の温泉中第一といわれ、とくに春の新緑・秋の紅葉は見事です。岩壁から噴き出す湯口は、六ヶ所。桝形屋にはそのうち一本を使い、他は川へ流れ落ちています。宿の近くに大きな露天風呂が二つあり温度も高温です。一番奥にある大きい方の混浴露天風呂があります。姥湯温泉の主役といえるのがここです。
吾妻山ろくの仙境の地に湧く大平温泉へは米沢市街からおよそ25km標高1080mにある秘湯の一軒宿です。その道中は一方は断崖絶壁!車同士のすれ違いも出来ないような危険な山道す。温泉の発見は887年修行のために入山した行者が滝の下の岩穴で一夜を明かしたところ、不動明王のお告げがあり、温泉を発見したと言われています。その滝が宿の向かいに見える「火焔の滝」です。温泉は、毎分780Lも湧き出ています。目玉は岩に囲まれた大露天風呂です。山形県の母なる川「最上川」源流のダイナミックな天然美が心に響きます。