四方山見物7

 



 



十六羅漢岩  未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選(水産庁選定)
吹浦海禅寺21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って造佛を発願し、1864年(元治元年)に自身は近村から酒田まで托鉢をしながら地元の石工たちを指揮、5年の年月をかけて明治元年22体の磨崖仏を完工しました。16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体あります。これだけの規模で岩礁に刻まれているのは日本海側ではここだけといわれ、歴史的にも貴重な資源です。眺望台には歌碑や句碑がありすばらしい夕日や飛島が望まれる名所です。毎年7月下旬には、十六羅漢まつりが開催され十六羅漢岩の前で海上安全祈願式典が行われます。また、この時期にあわせて夜間はライトアップが行われます。


 

 

夏、日本海が育てた岩ガキを目当てに人々は象潟~吹浦訪れます。獲れる量が限られ、地元以外ほとんど出回りません。濃厚な味わいの岩ガキを育てるのは、鳥海山です。山が噴火して、海に流れ込んだ溶岩が、カキの絶好の住みかを作りました。また、海底から噴き出す水は、鳥海山の地中を通りミネラル豊かになった伏流水。この豊かな湧き水が海水と混じり合い、身が厚く味の濃い、最高級の岩ガキを育てるのです。7月〜8月中旬にかけて、旬を迎える「岩牡蠣」。その特徴は、まずなんと言っても大きさ。大ぶりで肉厚な身は、殻付きで1個あたり300〜400g。大きなものだと、500gを超えます。その身にはミルクをたっぷり携え、一重に頬張れば、磯の香りと共に、濃厚でクリーミーなミルクが口の中に広がります。素材の美味さをダイレクトに味わうなら、やはり「生」が1番です。

 



鳥海山大物忌神社神社の創祀は千四百余年前社伝によれば、第12代景行天皇の御代当国に現れ、神社の創祀は第二29代欽明天皇25年(564)の御代と伝えられています。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われました。本社は山頂に鎮座し、麓に「口ノ宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の2カ所に鎮座しています。大物忌神社は貞観4年(862)11月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座の月山神社と共に収載されています。後に出羽国一之宮となり、朝野の崇敬を集めました。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきました。

  

中世、神仏混淆以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなりましたが、明治3年(1870)神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治4年5月吹浦口ノ宮が国幣中社に列しましたが、同13年(1880)7月に山頂本社を国幣中社に改め、同14年に吹浦・蕨岡の社殿を口ノ宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めました。昭和30年(1955)に三社を総称して現社号となります。山頂の御本殿は、伊勢の神宮と同じく20年毎に建て替える式年造営の制となっています。現在の御本殿は平成29年に造営されました。平成20年には、山頂本殿から口ノ宮にいたる広範な境内が、国の史跡に指定されました。



 

「日本百名山」の一つに数えられる名峰「鳥海山」。日本海の海抜0メートルから標高2,236mの高さまで立ち上がる珍しい山です。凛とそびえる気高い姿は富士山になぞらえて「出羽富士」と呼ばれ、雪を頂いた秀麗な姿が今も昔も人々に愛されています。山頂からの眺めも素晴らしく、独立峰のため視界がひらけて見事なパノラマ風景を望めます。山全体が国定公園に指定されており、貴重な高山植物やカルデラ湖など、様々な表情が見られるのも特徴です。

 





 

鳥海山の登山は、5月~10月にかけて可能。初級者でもトライしやすく、高山植物を見たい人にもおすすめなのが「吹浦口ルート 鳥海湖コース」。登り始めが最大の難所ですが、ここを越えると丘陵が広がり、眼下の展望も抜群!鳥海山は、山形県と秋田県の県境にあって、日本海に面し、標高2236メートル。またの名を出羽富士とも呼ばれ、山麓周辺の人々の守り神として、古くから崇められてきました。



気象変化は激しく、それだけに四季の彩りも鮮やかで、その自然の変化には目を見張るものがあります。降り積もった雪が豊富な沢水となり、幾条もの谷を刻んで広い山裾に流れ、御水は水田を潤し稲を育ててきました。人々の生活の背景にはいつも鳥海山があり、信仰の山としての存在も大きく、その姿の美しさとともに心の支えとなっています。

 



鳥海山は有史以降多くの噴火記録があり、近年では1974(昭和四十九)年に小規模な水蒸気爆発が発生しました。鳥海山が活火山である以上、将来再び噴火する可能性はありますが、近年の鳥海山は静穏な状態にあり、すぐに噴火が起こるような兆候は現時点においてありません。

 



鳥海湖は、鉾立の登山口からおよそ2時間の鳥海山7合目御浜神社付近より南側に展望することができます。湖面の海抜は約1600mで、南北にやや長い楕円形で直径約200mの火口湖です。ステージⅡの約16万年前の火山活動の時の火口で、この時の溶岩はここから西側の山体をほぼ覆っています。北東を扇子森、南西を鍋森が囲んでいて、御浜神社を経由する登山道を尾根筋にして馬蹄形に開いています。水は降り積もった雪がとけたもので、冬季には湖底(一番深いところで4.7m)まで凍結します。ph4.7で酸性が強くあまり生物はいないのですが、クロサンショウウオなどが生息しています。この付近は残雪も多く、雪解けを追って高山植物が咲き誇ります。古来は「鳥ノ海」と称されていました。

 

 

千畳ヶ原は鳥海山の南西斜面、標高1400~1500m付近にあります。遠目には毛布を引いたような草原が広がっており、出来るなら行って寝転んでみたい気分になってしまいます。

 

滝ノ小屋は、東北山形県と秋田県に跨る、日本百名山・日本百景の鳥海山湯ノ台口の車道終点から約30分ほど、標高約1280メートルに位置します。鳥海山の登山口では最も標高が高く、山頂へ最短で登れます。鳥海高原ラインの終点に位置しています。登山口にはトイレと登山届の記載ボックスが設置されています。

 

二ノ滝は鳥海山の南麓の標高約500mに位置していますが、ここは今から約10万年前に噴火の時に流れ出した硬い安山岩の溶岩でできています。そこを鳥海山の豊富な水が削ってできた落差約20mの二筋の滝が流れています。厳冬期になると滝全体が巨大な氷柱になります。二ノ滝の手前にある一ノ滝も落差約20mで、滝が滝壺に流れ落ちる様子を眺めることができます。ここも安山岩の溶岩ですが、滝壺の少し上の岩が水の力でえぐられていることがわかります。駐車場から二ノ滝まではブナなどの広葉樹林の緑豊かな渓谷が広がっていて、鳥海山の水の豊かさと自然の豊かさを四季を通して楽しむことができます。鳥海山では噴火の時に流れ出した溶岩がつくり出した地形を広い範囲で見ることができますが、二の滝は「鳥海山の水と溶岩が作った寄り添うように流れる二筋の滝」です。

 

鳥海山の伏流水が山腹から湧き出ている様子が身体の「どうっぱら」という例えで胴腹滝と呼ばれています。2カ所から噴き出しているのですが、右と左の味が違うと言われています。そのため、この水を汲んでいる人の中には右の水を汲む人、左の水を汲む人、半分ずつ混ぜる人など好みで別れます。山深く雪も多いのですが、冬でも凍ることがなく、年中水汲みの人が絶えません。

 

鳥海三神の水(里の名水・やまがた百選)
古くから水汲みの名所としてにぎわってきました。体験実習館さんゆうが建てられたときに、敷地内にこの水をひき、汲みやすいように整備しました。湧水のすぐそばまで車で行けるため、大量に組む人にとってはとっても便利な場所です。遊佐の町中から月光川の上流のほうにあるので、水を汲みに行きながら、季節の移り変わりと景色を楽しむことができます。途中の月光川ダムからの景色はなかなかのものです。体験実習館内には直売所もあります。


 

山ユリは、直径20~26cmもある白い大きな花が咲きます。世界のユリのなかで、最も大きな花をつけ、ユリの王様といわれています。花には、強い香りがあります。地下に大福もちのような形の鱗茎があります。茎は鱗茎から1本直立し、葉は長さ15~20cm、幅2.5~5cmで、先が尖っています。花は茎の先に1~6個付きますが、多いものでは、20個も付きます。花は先がそり返った6枚の花被片からできています。鳥海山には至る所に群生して育っています。水汲み場近くのスキーゲレンデにも数多く群生しています。

 

牛渡川
山形県飽海郡遊佐町を流れる全長4kmほどの短い川で、遊佐町北部の秋田県との県境付近に源を発しています。山形県道210号鳥海公園吹浦線(通称:鳥海ブルーライン)に沿う形で南西に流れ、月光川の河口から2,3km程度上流のところで月光川に合流します。鳥海山からの伏流水が川岸のあちらこちらから湧き出しているところを見ることができるほど湧水が豊富な川です。風がない日にはひときわ透明さを増して川の中で深緑の梅花藻がたなびく様子は癒しのひと時です。夏の暑い日に、透明な川の流れを見ているだけで涼しく感じられます。梅花藻(バイカモ)はキンポウゲ科の淡水植物です。梅の花に似た、白い小さい花を5月中旬~9月下旬まで咲かせ、7月下旬~8月下旬にかけて見頃を迎えます。梅花藻と呼ばれるこの水草は、水温14℃前後の清流にしか育たず、全国でも生育場所が限られています。




丸池は直径約20m、水深約3.5m、ほぼ100%の湧き水で、湖底で砂が巻き上がる湧き水の姿を見ることができます。こちらも水温は年間を通してほぼ11℃と一定で、池に沈んでいる樹木もなかなか腐敗しません。エメラルドグリーンに輝く水面が神秘的で、畏敬の念を込めて丸池様と呼ばれています。ほとりには丸池を御神体とする丸池神社があり、2008年に国史跡に指定されています。

 

鮭は約4年もの間、北洋で大回遊しながら成長し、生まれ育ったふるさとの川に戻り、産卵し一生を終えます。しかし自然界では卵が土砂等に埋もれたり、他の魚に食べられてしまうなど、稚魚に育つまでに相当数が減ってしまいます。たくさんの鮭が遡上する遊佐町では、親鮭から人工的に採卵し、ふ化管理して稚魚を育て放流する「人工ふ化事業」が行われています。

 

遊佐町を流れる月光川水系は古くから鮭が遡上する川でした。江戸時代に荘内藩主が年々減少する鮭を憂い、牛渡川、滝淵川を鮭の種川(自然産卵を保護する川)に定めました。明治9年に欧米式の人工ふ化法が日本に導入されると山形県でもその技術が取り入れられ、遊佐町では「庄内式」と呼ばれる独自の技術をあみだし、人工ふ化事業が進められてきました。昭和50年代に漁具等の進歩により鮭の遡上数が著しく減少、月光川水系の7河川(月光川、牛渡川、滝淵川、洗沢川、高瀬川、西通川、万部通川)にあったふ化場は、現在、箕輪(牛渡川)、枡川(滝淵川)、高瀬川、洗沢川の4箇所となりました。技術の向上や環境保全など、長年の努力により、元気な稚魚を育て親鮭となって帰ってくる鮭の命を繋いでいます。



 

中山集落のそばを流れる洗沢川左岸堤防に桜が植栽されています。この桜は昭和34年に皇太子御成婚記念として60本あまりが植栽されたものです。桜並木の美しさと合わせて、下流から眺めると残雪を被った鳥海山が背景に現れ一枚の絵のような景色になります。そのため多くの観光客やカメラマン、画家の皆さんでにぎわいます。花見の時季には提灯がともされ、風情のある夜桜も楽しめます。



旧青山本邸とは、遊佐町青塚の貧しい漁家に生まれた青山留吉が、北海道の漁業で功を成し、その財で故郷に建てた邸宅です。平成4年に町に寄贈され、平成8年から一般公開されています。平成12年には、明治時代の特徴的な建築様式をよく残すものと評価され、「旧青山家住宅」として国の重要文化財(建造物)に指定されました。

 

遊佐町青塚にある母屋の建設は、当時北海道のニシン漁場にあった青山留吉が、明治20年(1887)に企画し、分家の当主で、後に西遊佐村長を勤めた青山米吉に計画の一切を任せ、明治23年(1890)に竣工しました。大工は遊佐町宮田の土門市郎左エ門を棟梁とする人々で、離れや土蔵の建設にも携わっています。母屋の屋根裏には建築経緯を詳細に記した、他に例を見ない形式の棟札が残されていました。

  

母屋は間口12間、奥行7間の規模で、下手の正面に矩折れ(かねおれ)に角屋(つのや)を突き出しています。間取りは主要8室よりなり規模が大きく一見複雑に見えますが、茶の間〜中の間〜下座敷〜上座敷と続く構成は、基本的には庄内地方でよく見られるものです。屋根は瓦葺の切妻造(きりづまづくり)で、軒は出桁(だしげた)によるせがい造となっています。室内の意匠は柱や長押(なげし)、差鴨居(さしがもい)などに春慶塗(しゅんけいぬり)を施した豪奢(ごうしゃ)なものです。



10年前に地域住民のボランティアと地域おこし協力隊の皆様で約25,000本のひまわりを植えて地域おこしを行ったのが始まり。藤井地区は遊佐町の中でも標高の高い位置にありそこから眺める景色は昼でも夕方でもビューティフル!多くのひまわり自体も写真映えしますが、見渡せば #庄内平野 や #日本海 も見渡すことが出来ます。夕日が加われば #心安らぐ最高のロケーションです。