四方山見物22

     

 

那須ロープウェイは、約4分の空中散歩で四季折々の那須連山を見渡せるロープウェイです。 那須連山の主峰でもあり今もなお白い噴煙を噴き上げている「茶臼岳」の9合目まで約4分の空中散歩です。栃木県の最北端に位置する関東を代表する活火山「茶臼岳」は那須連山の主峰であり、今もなお、白い噴煙を噴き上げております。山頂まで登ると、そこには360度の壮大な景色が登山者の心を打ち、迫力のある噴煙や雄大な景色を楽しめます。四季折々の景色は、多くの人々や登山者を魅了し愛されてます。山頂駅から茶臼岳頂上までは歩いて約50分。頂上からは天候が良ければ、磐梯山、日光連山、関東平野、筑波山などが望め、360度の大パノラマが広がります。

 





 

駒止の滝は、那須湯本から那須街道を北上し、大丸・八幡間の途中から北温泉方面に向かった場所にある「駒ヶ滝」は、別名を「駒止の滝」ともいい、中大倉山の南、余笹川の断崖を落ちるもので、「那須第一の滝」と言われています。以前は、落ち葉が終わった時期にしかその全貌を見ることができませんでしたが、那須平成の森の開園に伴い、その施設の一部として平成23年4月に観瀑台が整備され、周囲の山々とともに、その姿を一望できるようになりました。二段からなるこの滝は、幅が約3m、落差が約20mあり、上下の滝つぼの水の色はとても美しく神秘的です。木々に覆われた周囲の山々は、季節によりその表情を変化させ、特に、紅葉の時期には、赤や黄色に色づいた渓谷と、青く澄んだ美しい滝のコントラストを楽しむことができます。



 

殺生石は、荒涼とした地に、不思議な伝説が残る石です。一面に岩石が転がり、荒涼とした風景が広がる景勝地。「九尾の狐」にまつわる伝説が残る史跡としても知られています。辺りには硫黄の匂いが立ち込め、独特の雰囲気を醸し出しています。整備された遊歩道は那須高原展望台まで続き、那須湯本温泉からもほど近くの場所にあるので、温泉街に泊まる方の立ち寄りスポットとなっています。5月には、御神火祭という火祭りがあります。那須温泉神社から練り歩く松明行列、実際のカップルによる神前婚「狐の嫁入り」、九尾太鼓の奉納などが見られます。

 

 

那須温泉元湯・鹿の湯は、七世紀前半、約千三百年前の舒明天皇の御世に開湯されたといわれます。狩野三郎行広という者が山狩の際に、射損じて逃げる鹿を追って山奥に入ると、鹿は傷ついた体を温泉で癒していました。そこで鹿によって発見された「鹿の湯」と名づけたと伝えられています。公式には、聖武天皇の御世である天平10年(738年)の正倉院文書のなかに那須温泉の記録が残されています。江戸時代には、江戸在府の大名はしばしば那須温泉に湯治に出かけていました。 正保2年(1645年)に盛岡城主・阿部対馬守より将軍家に出された湯治願が残されています。これを見ても明らかなように、那須温泉は古くからの湯治場として人気を集めていました。松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の前半に立ち寄った温泉でもあり、殺生石の近くに「いしの香や 夏草あかし 露あかし」の句碑が立っています。





 

那須高原の幹線道路沿いで見かけた個人経営の博物館です。入り口付近に展示されている日露戦争で活躍した28cm榴弾砲、「90年式戦車」?に惹かれて入場しました。メカの展示は少ないですが、昔の写真や雑誌などの展示は結構なものでした。大分前からあるようですが、展示内容の正確さはかなり「?」です。

 

戦争博物館は明治維新、建軍から大東亜戦争までに関する日本で唯一の戦争博物館です。「戦争博物館」の貴重な資料を永久に保存するとともに、更なる収集・調査・研究を行うこと、それら資料を公開・活用することにより、多くの歴史の真実を伝えます。日本の軍事・歴史を次世代に伝えることを目的として造詣を深めること、そして、博物館最大の功労者である栗林白岳名誉館長の名前を残すべく運営しています。真実の歴史が正しく次世代に伝わることに貢献しています。



 

日本唯一の公認博物館です。明治、大正、昭和の戦史関係資料7,000点展示してあります。古代、平安、徳川、明治の民具、古書、生活関係品2,000点 小野田横井記念館と併設しています。零戦、軍艦、大砲、機関銃、戦時中の子供達の学用品など戦争に関するありとあらゆるものが展示されており、戦争を知らない方々にも何か感じ取っていただけると思います。

 

 

 

那須高原南ヶ丘牧場は、那須岳の麓、標高700メートルの高原に牛、馬、羊、ロバなどが放牧され、動物との触れ合いが楽しめる観光牧場。昔からある牧場の姿を損なわぬよう、できる限り自然のままの姿が残されています。 乗馬やバターづくり体験、アーチェリーやパターゴルフなどが楽しめるほか、牧場内で販売されている牛乳や乳製品、加工品なども人気を集めています。このほ か、牧場からは那須野が原の雄大な眺めを楽しむことができます。南ヶ丘牧場の「ガーンジィゴールデンミルク」は2013年・2017年の全国ご当地牛乳グランプリで最高金賞を受賞、那須の観光名品として那須ブランドに認定されました。人気のソフトクリームや牛乳、名物のペロシキの他、レストラン(茶屋こまくさ)では自家製ハンバーグ、ジンギスカンなど場内ではたくさんの自家製商品を食べられます。

 

那須町・那須高原には 二期倶楽部 ・那須高原 等、様々なスポットがあります。また、那須町・那須高原には、「那須ハイランドパーク」もあります。那須の大自然に囲まれた広大なレジャーランド、『那須ハイランドパーク』では、可愛いキャラクターと随所で出会えるアトラクションが豊富です。絶叫マシンからキッズ向けまで、ファミリーでも、大人だけでも楽しめる珍しいスポットです。日帰りで訪れた際も、レストランでの、自然の中で味わう食事や炭火焼バーベキューは楽しみの一つに成り得ます。さらにパーク内に数多くあるコテージやペンションで、優雅にフレンチや和の会席料理などを堪能するという別の楽しみ方もあります。一緒に行く人や雰囲気に合わせて、あらゆる楽しみ方を選べるのが魅力です。この那須町・那須高原にあるのが喫茶店「南ヶ丘牧場 喫茶 こまくさ」です。

 

塩原渓谷歩道は、箒川沿いに12kmにわたって続く散策路で、回顧の吊り橋から源三窟まで、いろいろなコースがあります。豊かな自然に囲まれた塩原の魅力を堪能するのに申し分な. いコースです。 体力や目的に応じて、「やしおコース」「回顧コ. ース」などコースを選択できるのも魅力のうちです。 .名所を巡るコースが多いので、コースガイドを片手に観光も兼ねてハイキングをするといいかもしれません。 短いコースなら所要時間は40分程度とほどよいです。

 



回顧の吊橋は1987年完成の全長100m、高さ30mの、渓谷歩道の起点となる吊橋。四季折々に姿を変える渓谷美は、雄大なもみじ谷大吊橋とはまた違った趣があります。回顧の滝は、回顧の吊橋を渡り、10m程歩くと観瀑台(展望台)があり、そこから滝を眺めることができます。スケールは関東有数。四季折々に姿を変える渓谷美は、雄大なもみじ谷大吊橋とはまた違った趣があります。蟇石園地駐車場から尾崎紅葉の記念碑を眺めながら遊歩道を歩いていくと、回顧の吊橋にたどり着きます(所要時間10分から15分程度)。

 



 

回顧の滝は、尾崎紅葉の金色夜叉でも紹介された、塩原を代表する滝で、回顧の吊橋を渡り、10m程歩くと観瀑台(展望台)があり、そこから滝を眺めることができます。観瀑台から水晶のすだれをたらしたような滝が眺められます。景色が美しく、「去る旅人が振り返らずにいられない」と言われたことから、この名が付きました。



 

ホテルサンシャイン鬼怒川は鬼怒川沿いに位置する宿泊施設で、鬼怒川温泉駅から車でわずか6分です。鬼怒楯岩大吊橋. 鬼怒川温泉街の南部と名勝「楯岩」を結ぶ全長140mの歩道専用吊橋。高さ約40mの橋上からは鬼怒川の急流や緑豊かな山々を眺めることができます。また、ホテルの送迎バスの形がユニークで面白かったです。



鬼怒川は、栃木県と群馬県との堺の鬼怒沼を水源とし、本川流路延長177kmを経て茨城県守谷市において利根川に合流する一大支川です。その流域は栃木・茨城両県にまたがり、全流域面積は1,761km2に及びます。今から約1000年前の鬼怒川は、日光の山奥から流れ出て、茨城県下妻市からつくばみらい市(旧 谷和原村)の間で二手に分かれ、一方は東に向いて今の糸繰川を通じて小貝川に合流し、もう一方は現在の鬼怒川河道を南下した後、つくばみらい市(旧 谷和原村)細代から東流して杉下で小貝川と合流し南東に流れ、龍ケ崎市を経て常陸川(今の利根川)に合流していました。

 



 



 

鬼怒楯岩大吊橋は、鬼怒川温泉街の南部と名勝「楯岩」を結ぶ全長140mの歩道専用吊橋です。高さ37mの橋上からは、大岩を縫うように流れる鬼怒川の急流や緑豊かな山々を眺めることができます。吊橋の上流にそそり立つ「楯岩」は、戦いのときに使用する楯に似ていることから名づけられ、その高さは100mほどです。楯岩の頂上には展望台が整備されており、眼下には鬼怒川の清流と温泉街、遠くに鶏頂山をはじめとする高原山系の美しい山並みという大パノラマが満喫できます。「鬼怒川」は大雨が降ると、鬼が怒ったかのように激しい流れになる男性的な川です。対して「楯岩」はどっしりと構え、何が起きても揺るがない母親のような懐の深さ、女性らしさを感じます。この鬼怒川と楯岩を結び付けていることから、「縁結びの橋」として親しまれるようになりました。

 

 

湯の郷 湯西川 観光センターは温泉・岩盤浴・足湯・軽食・お土産・観光情報・道の駅・そして会津鬼怒川線の湯西川温泉駅 がひとつにまとまった日光市の施設です。国産第1号の水陸両用バス「LEGEND零ONE」号で行く「ダム湖探検ツアー」を、当駅を発着点として開催しています。ダムの施設見学、ダム湖遊覧クルージングなど当ツアーだけのお楽しみが満載です。国産初の水陸両用バスに乗って、大自然に囲まれた湯西川ダム、ダム湖、ダム堤体内を見学・体験してみよう。時には、ダム湖見学時に野生の鹿や猿・優雅に飛び回る猛禽類に出会えることも。ふだんは入れないダム施設見学、ダム湖遊覧などこのツアーだけの楽しみがあります。

 





 

1156年の「保元の乱」から1185年の壇ノ浦の戦いに至るまでの長き「源平の合戦」に敗れた平家一門は、頼朝の「追討命令」から逃れ全国に散っていきました。源氏と平家の覇権争いは830年程遡りますが、平家の絶対的カリスマ「平清盛」も没した後でもあり、西国に追われた段階ですでに源氏の戦力が大きく上回っていました。

 

瀬戸内海を中心に繰り広げられた「一の谷の戦い」「屋島の戦い」「壇ノ浦の戦い」において、義経率いる源氏軍が平家を壊滅的に打ち破り、歴史年表上平家滅亡とされています。「平家にあらずば人にあらず」とまでいわれ、巨大な権力を誇ったその反動は大きく、全国に散っていった平家一門は頼朝の追討命令により山奥に逃げざるを得なかったのです。



 

湯西川に落ち延びた平家一門は、記録によると「平清盛」の息子「平重盛」の六男「平忠房(忠実)」一行だといわれています。この地には平家末裔といわれる宿が数軒ありますが、当館もまたそのひとつだろうと思われます。我が家は姓を「伴」と名乗りますが、「平」の変形ににんべんを使った「平の人」の意味を持ちます。



 

こうして源氏の時代、息を潜めて生活してきたのも理由があり、当初逃げ隠れていた「鶏頂山」で男の子が産まれた際、苦労の中にもめでたいことと布切れで鯉のぼりを揚げたところ、源氏方に気付かれ大打撃を受けることとなりました。さらに山奥に生き延び、現在の湯西川を定住の地とした先人達は、この地においては「鯉のぼりを揚げない」「犬や鶏を飼わない」「焚き火をしない」「米のとぎ汁を川に流さない」などが堅く守られ、生活の形跡を残さない習慣がついたのです。

 

現在でも鯉のぼりを揚げると村の年寄りがダメだしをしてくるので、端午の節句には紙のちっちゃな鯉のぼり(たなびきませんが) をTVの上に乗っけている程度なのです。時は流れて1994年、ここ湯西川において「鎌倉頼朝会」の皆さんと湯西川平家末裔とが和睦の儀式を行い、800年の遺恨に終止符を打つと共に「縁結びの地」として新たなスタートをきりました。



平家の落人により集落が築かれたといわれ、平家落人の伝説が残る湯西川温泉。平家落人の生活様式を後世に残すため、村内の茅葺き屋根の民家を移築し再現した民族村です。平家が源平の戦に敗れてからちょうど800年目の昭和60年に建てられました。6月には「平家大祭」が開催され、鎧兜の武者や雅びやかな姫が湯殿山神社から平家の里までの約2kmの道のりを練り歩く平家絵巻行列をおこなっています。