四方山見物5

 

 

湯瀬温泉は、十和田湖と八幡平という北奥羽の二大観光スポットの中間に位置する温泉郷です。 秋田、岩手、青森3県境の近く、米代川の湯瀬渓谷沿いに温泉街が広がっています。渓谷の両岸に、近代的な大型ホテルと昔ながらの老舗旅館が点し、中心を流れる湯瀬渓谷は、「新秋田三十景」のひとつにも数えられている景勝地です。山桜、新緑、紅葉、雪景色と四季折々に移ろう風景が美しく、明治の若き歌人、石川啄木は「青垣山をめぐらせる天さかる鹿角の国」とこの地を詠み讃えました。また、米代川沿いに跡をとどめる「旧鹿角街道」は絶好の散策路です。

 

 

ナマハゲ行事は毎年、大晦日の晩に男鹿半島のほぼ全域で行われます。ナマハゲは真山・本山に鎮座する神々の使者と信じられており、年に一度各家庭を巡り、悪事に訓戒を与え、厄災を祓い、豊作・豊漁・吉事をもたらす来訪神として「怠け者はいねが。泣く子はいねが」と練り歩く、古くから伝統を受け継ぐ民俗行事です。昭和53年に「男鹿のナマハゲ」の名称で国重要無形民俗文化財に指定、また2018年にユネスコ無形文化遺産「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとして登録されています。

 

秋田県北東部の仙北市に位置する玉川温泉は、本州最北端の国立公園である「十和田八幡平国立公園」の中にあります。「大噴」と呼ばれる湧出口から、火山ガスを起源とするpH1.05の日本一の強酸性泉が毎分9,000L湧出していて、これは単一の湧出口からの湧出量としては日本一を誇ります。冬は雪深い場所のため、営業期間は例年4月中旬から11月下旬のみですが、湯治や観光を目的とした多くの人々が昭和レトロな温泉に訪れています。玉川温泉と癌との関係が取り沙汰されるようになったのは、秋田県鹿角市で鹿角タイムズ社を経営していた阿部真平が「世界の奇跡玉川温泉」を昭和49年(1974年)に出版して以降です。ただ、癌は玉川温泉の禁忌症(利用法が正しくないと、有害になる場合もあるため、温泉療養をしてはいけない症状のこと)であり、医学的根拠があるわけではありません。それでも、一部の方の成功事例がメディアで紹介されるなどしたことから、今でも湯治希望者は絶えません。

 

乳頭温泉郷は秋田県仙北市にある350年以上の歴史を持つ温泉郷です。温泉郷があるのは、秋田と岩手、青森にまたがる十和田・八幡平国立公園の乳頭山のふもと。ブナの原生林に守られるように、7つの温泉宿が点在しています。温泉郷には10種類以上の源泉があり、それぞれに独自の源泉を持っているという、全国でも珍しい特徴があるんです。「あこがれの温泉」として1度は絶対に行ってみたい、乳頭温泉郷。その魅力はなんといってもブナの原生林のなかに、風情あるレトロな湯治場の雰囲気が残っていること。日常生活の嫌なことや辛いことも忘れさせてくれるような非日常の感覚を味わえます。

 



深い木立と重厚な屋敷構えが今もなお藩政時代の面影を残す町、角館。東北の小京都と呼ぶのにふさわしい風情を、町全体に漂わせた桜の名所です。この町は1620年(元和6年)角館地方を治めていた芦名義勝によって造られました。豊かな仙北平野の北部に位置し、三方を山々に囲まれ、西は桧木内川、南は玉川に沿った地形で、城下町を形成するのに最も適した場所でもありました。

 

角館の町並みで、城下の縄張り(設計)として最も注目されるのは、南北に延びる町の中央に土塁を築いた「火除け」を設け、武家居住区の「内町」と町人居住区「外町」とに分断したことです。武家屋敷は生活の場所であると同時に、ひとつの城郭を成していると言えるでしょう。古城山山麓の国道46号から火除け前までの通称「武家屋敷通り」と呼ばれる区域が、昭和51年9月、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

 



 

古堀田城(保田城、横田城と呼ばれています。)は戸沢氏の重要な支城で、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の命によって廃城となった「戸沢三十五城」のひとつです。城の歴史には不明な点が多く、もともとはアイヌのチャシであったとも、また戸沢兼盛の隠居城という説もあります。戸沢氏が支配した時代は「横田城」と称され、居城を門屋城から角館城に移したあとも、戸沢領北部を守備する支城として一族または重臣が城主をつとめたと思われます。現在城址には空堀の遺構が良好な状態で残っており、北曲輪と南曲輪の間には二重の堀切があります。

 

 

秋田駅西口から徒歩5分。秋田藩佐竹氏20万石の居城である久保田城跡を整備した「千秋公園」入り口にある「大手門の堀」には、淡いピンクや白の「蓮の花」が7月下旬から咲き始め9月上旬までの約2ヶ月にわたり咲き誇ります。新秋田県立美術館の向かいにあり、バスが通る道に沿ってあるお堀には蓮の花が沢山咲いていて見事です。お堀を渡って入ると敷地も広く、全部回るのは大変な感じでした。中には神社や様々な施設があり秋田市の中心部に緑豊かな公園があるのは素晴らしですね。



 

横手城は、その昔朝倉城といい、1550年頃、現在の秋田県南部に勢力を築いた小野寺氏によって造られたと伝わります。横手城は朝倉山を包むように横手川が流れ、背後は山、また山と奥羽山脈につづく独立した一箇の要害に建てられた平山城です。城の普請は、石畳を用いないで土居削崖とし、土くずれを防ぐ土止めと、敵が這い登ることができないように韮(にら)を植えた築城だったので、別名「韮城」ともいいます。1868年の戊辰戦争の際に横手城は落城し、二の丸跡には、昭和40年に三層の「天守閣様式の展望台(通称:横手城)」が建てられました。横手城跡は、現在横手公園として整備され、日々市内外の方々が訪れる憩いの場となっています。

 

花山峠には国道398号が通っており、宮城県北部と秋田県南部を結ぶ重要な道となっています。この峠はヘアピンカーブが続き大型車は通年通行止めとなっており、冬期間は閉鎖のため大型車に限らず通行止めとなっています。近年、県境より秋田側(栗駒道路分岐付近)において2車線化、勾配・曲線緩和の改良工事が進められています。

 





 

岩手、宮城、秋田の県境にある栗駒山の西側、秋田県湯沢市高松に、三途川という名前の川が流れています。断崖絶壁が迫る高さ約40メートルに橋がかかり、端には閻魔大王の石像があり、その橋は「川原毛地獄」の入り口にあります。現世と「あの世」の境目なのでしょうか?湯沢市の東部エリアは峡谷が多く、三途川渓谷もそのひとつです。日本三大霊地のひとつに数えられる川原毛地獄の入口にこの渓谷があります。霊地に近いので、三途川渓谷という名がつけられたようです。三途川の名の通り、この世とあの世の境を意味しているようです。



閻魔大王は人類史上で初めて死んだ人間とされています。仏教の神様という印象がありますが、そのルーツは古代インドにさかのぼります。古代インドでヤマと呼ばれていた神様を音写し漢字で表現したのが「閻魔」で、これが今おなじみの閻魔大王につながります。延命地蔵は約250年前に江戸の商人が米寿(88歳の祝い)を記念し造立したものといわれています。また伊勢原市子易で造り秦野方面に運ぶ途中、この地で動かなくなったので、ここに安置したという説もあります。合掌している水子地蔵は、水子の母親代わりの慈母地蔵尊です。 この慈母地蔵尊のもとは慈母観音菩薩で、母が子へ与える愛情のように深い慈愛の心を持った菩薩様です。

 

栗駒山のふもとをうるおす役内川のほとり、武者小路実篤などの文人にも愛された風光明媚な保養地。秋田県最古の温泉地として知られる秋ノ宮は、その名にふさわしく静かで落ち着いたたたずまいを見せます。各宿がそれぞれに源泉を持っている極めて贅沢な温泉地で、せせらぎの音を聴きながらつかる露天風呂には、桃源郷の趣きさえ感じられます。



 

川原毛地獄は、秋田県湯沢市高松番沢にある噴気地帯、および霊場です。青森県の恐山、富山県の立山と並ぶ日本三大霊地の一つと言われています。大同2年(807)に月窓和尚が開山したと伝えられており、灰白色の溶岩に覆われた山肌は火山活動の余勢をいまだに残しています。近くに川原毛大湯滝があります。標高は約800mで、塩酸酸性の熱水噴出により、車を降りると、草木が生えない灰色の山肌が突然現れ、いたるところから蒸気が吹きだし、鼻をつく強い硫黄臭(硫化水素の匂い)があたりに漂っています。起伏のある斜面は荒涼とした不気味な光景を作りあげています。

 



 

泥湯は、宮城県と秋田県の県境に湧き、開湯1200年ともいわれる山懐の秘湯。昔、病に苦しむ乙女が透明な湯に入るのをためらっていたところ、天狗が現れ、米のとぎ汁のように白く濁してくれたという伝説が残っています。ここで取り上げるのはブナの原生林に囲まれた奥山旅館です。2019年にリニューアルし、本館や温泉棟の館内は趣のある雰囲気はそのままに、館内は清潔感にあふれ、より魅力的になりました。日帰り入浴もできるので、ゆざわジオパークの散策途中にも気軽に利用できます。

 

栗駒国定公園の主峰栗駒山は、岩手県では須川岳とも呼ばれる標高1,626mの山です。岩手、秋田、宮城の各県から登山コースが通じており、岩手県側は須川温泉登山口から登ります。5月中旬の山開きには残雪を踏みしめての登山、6~7月は可憐な高山植物、9月末からは山が燃えるかのような紅葉と11月の閉山まで四季を通じて楽しめます。登山コースには難所は無く、中高年の方でも安心して登れます。須川温泉登山口から頂上まで約2時間です。





 

駐車場から約750m歩くと、「元滝伏流水」に到着します。「元滝伏流水」は、鳥海山の溶岩の末端崖から溢れ出す湧水がつくる滝です。滝の大きさは落差約5m、幅約30mで、湧き出す水の水温は一年を通してほぼ10度です。夏になると、冷たい湧水と周囲の気温との温度差によって滝の周りに霧が生じ、コケに覆われた溶岩の表面が霧の中に浮かんだような、幻想的な景観をつくり出しています。この景観は、約16万~2万年前に鳥海山から噴出した溶岩流と、その中を伏流してきた冷たい湧水が、長い年月をかけてつくりあげているものです。苔が生えている岩の上に上がったりしないよう、景観の保全にご協力ください。なお、「元滝」という滝そのものはもう少し上流にありますが、崖崩れのため、現在立ち入りはできません。



 

鳥海ブルーラインは、海抜ゼロから一気に1,100メートルにかけのぼる山岳観光道路です。日本海を望む国道7号線と、秋田県にかほ市、山形県遊佐町とを結ぶ観光用バイパスとも言える一大迂回路となっており、山形県側はブナ林の中を、秋田県側は広大な鳥海山麗の草原を左右に迂回しながら登る道路です。眼下には日本海の青い海と遠くに飛島、佐渡を眺め、はるかに男鹿半島、そして左右に庄内平野を望みその雄大な視界を楽しみつつ両県をつき抜ける快適なドライブコース(総延長 34.9km)となっています。