四方山見物44

 



 

徳島県は四国の東端にあり、本州との間には橋が架かっています。四国全土に点在する 88 か所の霊場(四国八十八ヶ所)を巡る、1,200 km におよぶ遍路道の起点になっています(霊場のうち 4 分の 1 以上の寺院は徳島県内にあります)。剣山国定公園の一部である祖谷渓は、険しい峡谷、川の急流、シラクチカズラで造られた吊り橋で知られています。県北部は粟が多く収穫されたことから「粟国」(あわのくに)、県南部は「長国」(ながのくに)でしたが、後に統合され、令制国では阿波国(あわのくに)と呼ばれていました。

 

徳島県は、四国の東部に位置し、県庁所在地は徳島市です。 徳島平野を除けば、西日本でも有数の険しい山岳地帯が広がり、那賀川、吉野川、勝浦川などの水量豊富な河川が多く、豊かな自然に恵まれた県となりました。 また、温暖湿潤な気候や地質を活かした農産物の生産や畜産業が盛んに行われています。徳島県は、四国山地の北側と南側で大きく2つの気候区に大別されます。北部は典型的な瀬戸内気候に属し、温暖で全国的に見て少雨地域の部類であり、南部は典型的な太平洋気候に属して、四国山地の南東斜面を中心とした山地は、日本でも有数の多雨地域で台風や梅雨、秋雨の季節には記録的な降水量になることがあります。

 

四国最東端の岬で灯台からの眺望は素晴らしく、沖合には伊島がたたずみ晴れた日には遠く大鳴門橋、淡路島、和歌山県まで望むことができます。室戸阿南海岸国立公園を代表する岬で、海岸ではゴロゴロとした大きな石が波に洗われ、北寄りの砂浜はアカウミガメの上陸産卵地でもあり、岬のつけ根にある大池周辺は珍しい亜熱帯植物群落として知られています。平成22年9月に岬の魅力を高めるため、波と風をモチーフにした石のモニュメント『波の詩(うた)』が設置されました。ハートをイメージした空洞からは伊島や水平線を望むことができ、訪れた人々がそれぞれの想いを感じることができ新たな『パワースポット』として今注目されています。蒲生田岬は、瀬戸内海紀伊水道に突き出た形の四国最東端の岬です。徳島県阿南市椿町に位置し、室戸阿南海岸国定公園に属しています。蒲生田岬灯台と和歌山県の紀伊日ノ御埼灯台を結んだラインは紀伊水道と太平洋を分かつ線で大阪湾および瀬戸内海の入り口をなしています。領海及び接続水域に関する法律等でもこのラインが瀬戸内海と定義されています。

 

当岬付近はアカウミガメが産卵することで有名です。岬の周囲には島嶼が多く集まるポイントです。岬の近くには、阿南市が設置した船瀬温泉があります。岬の北西約2 kmに舞子島が、東方6 kmには伊島(徳島県阿南市伊島町)があります。岬の手前には、渡り鳥が来る池があり10台ほど停められる駐車場と公衆トイレ、周囲4 kmを散策出来る遊歩道も整備されています。徳島県と高知県にかかる海岸一帯を占める室戸阿南国定公園は、その中に、「蒲生田岬」があります。四国の最東端に位置するため、四国で一番最初に日の出を見ることができるため、元日には初日の出を拝もうと多くの人が訪れる名所です。岬近くの砂浜は、アカウミガメの産卵地です。毎年、時期になると、多くのアカウミガメが上陸します。岬の先端には、1924(大正13)年に初点灯して以来、海の安全を守り続けている「蒲生田岬灯台」が建っています。

 

灯台には珍しい四角の窓が特徴的です。駐車場から灯台までは、徒歩で約10分の距離。遊歩道が整備されていますが、急勾配あり、石段あり……なので、行きも帰りも足下に要注意です。灯台がある場所からは、大海原が一望でき、沖合の離島まで見渡せます。天気が良ければ、鳴門海峡にかかる大鳴門橋や、和歌山県・紀伊半島まで眺められます。蒲生田岬灯台は、2016(平成28)年、一般社団法人日本ロマンチスト協会と日本財団によるプロジェクトで「恋する灯台」に認定されました。これを機に、ロマンスの聖地としての魅力も高まりつつあります。また、新しい観光ポイントとして、駐車場の近くにハート型のモニュメント「波の詩」を設置。波と風をモチーフに、九州産の唐原石で作られています。ハートの中に入ったり、オブジェを通して海を眺めたり、楽しみ方は自由。撮影スポットとしても人気です。



 

神戸淡路鳴門自動車道は、本州四国連絡道路 神戸・鳴門ルートであり、兵庫県神戸市の山陽自動車道 神戸西インターチェンジ を起点とし、徳島県鳴門市の高松自動車道 鳴門ICに至る、延長89.0キロメートル の高規格幹線道路です。景勝・舞子の浜から明石海峡を渡り、淡路島を南下し、奇勝・うず潮で名高い鳴門海峡を渡る、全長89.0kmのルートです。このうち、大鳴門橋は昭和60年6月に開通し、明石海峡大橋が平成10年4月5日に完成しました。神戸淡路鳴門自動車道は、関西経済圏と四国を直結するルートとして、経済の活性化など大きな効果をあげています。

 

神戸淡路鳴門自動車道は、1998年に全線開通された本州と四国を結ぶ車両むけの高速道路です。兵庫県神戸市の山陽自動車道・神戸西インターチェンジから徳島県鳴門市の高松自動車道・鳴門インターチェンジまで続いており、総距離は89kmです。大鳴門橋は本州四国連絡橋神戸~鳴門ルートに架かる道路・鉄道併用橋で、道路は神戸市から鳴門市に至る国道28号の改築計画として建設されました。本州四国連絡橋神戸~鳴門ルートは、昭和48年10月に工事実施計画認可を受けましたが、同年11月に総需要抑制策の一環として着工延期となりました。大鳴門橋の工事は昭和51年6月に着手され、昭和60年6月に完成し、本州四国連絡道西淡出入口・鳴門北間(大鳴門橋)が供用されました。

 

大毛島に2つあるトンネルは、本州・淡路島と異なり、第1・第2・撫養の3つは最初から片側2車線の幅員でしかありません。トンネルは狭いものの、橋梁や地上部は路肩が異様に広く作られています。何か理由でもあるのでしょうか。第2鳴門トンネルの長さは、374メートルです。大鳴門橋で最後の海峡かと見せかけて、小鳴門海峡を跨ぐ撫養橋を通過します。コレがホントの最後の海峡区間であり、隣に吊り橋の小鳴門橋が並走しています。

 

徳島県北東部、鳴門海峡にある島です。鳴門市に属しています。南北6キロメートル、東西2キロメートルの細長い島で、面積7.26平方キロメートルです。北端の孫崎と淡路島との間は1.3キロメートルの鳴門海峡をなしています。南は小鳴門海峡に臨み、小鳴門橋によって鳴門市本土と結ばれています。サツマイモ、ダイコン、ラッキョウなどの栽培が盛んで、ワカメの養殖も行われています。

 

小鳴門海峡に臨む土佐泊の集落は紀貫之が京への帰途立ち寄ったと伝えられる所です。孫崎にある鳴門公園は「鳴門の渦潮」を望むのによい位置になっています。北方の島田島とは鳴門スカイラインによって結ばれ、1985年(昭和60)には神戸淡路鳴門自動車道の一つ大鳴門橋が開通ました。鳴門公園には大鳴門橋架橋記念館「エディ」がつくられています。また、セラミックアートの大塚国際美術館もあります。



大毛島は、徳島県鳴門市 鳴門市の北東端に位置する島です。 北は播磨灘と鳴門海峡、東は紀伊水道、南は小鳴門海峡に臨み、 西は内湾のウチノ海に面し、高島・島田島と近接しています。南東端の土佐泊は古くから海道の要衝として知られ、「土佐日記」の作者・紀貫之にまつわる事跡、古墳群や中世の山城跡などの史跡も残されています。



小鳴門橋は、小鳴門海峡に架かる全長441.4m・最大径間160m・幅員7m・高さ23.5mの吊橋である。主塔が3組の4径間吊橋という珍しい形式である。 中央の主塔は海峡中の鍋島に設けられ、横から見るとAの字形をしている。 徳島県鳴門市の撫養町大桑島と鳴門町土佐泊浦を結ぶ。徳島県道11号鳴門公園線が通る。

 

未だ本四架橋など夢物語の昭和50年代、徳島県が小鳴門海峡架橋の有用性に思いを馳せ、紆余曲折の末、1961年に竣工したことを知りました。この橋は徳島県が管理する有料道路で唯一の黒字道路で、通行料無料化は予定より早く完成から16年後の1977年に成ったとのことです。この由来を事前にウィキペディアで知り、是非この橋を間近で見たいと思い、鳴門観潮、大鳴門橋、渦の道など観光の帰途立ち寄りました。この橋が「小鳴門橋」と呼ばれるのは、「小鳴門海峡」に架かっているからで、後輩の「大鳴門橋」にくらべて小さいからではないことを橋標が示している通りです。

 

残念なことに、この橋を見物に訪れていたのは我々二人だけでしたが、小鳴門橋自体、橋の袂の途中まである歩道から眺める小鳴門海峡は、この橋を訪れるに十分値します。徳島県は、この貴重な観光資源をもっと活用して、この橋にかけた先達の熱い思いに報いてほしいと思います。この橋は車線が狭いため、自転車や歩行は危険です。可能なら橋に歩道を増設して見物の便宜を図るとか、橋の色を濃紺に塗って見栄え良くすればなどと考えさせられました。トリップアドバイザーで鳴門市観光スポットで46中21位とは残念な限りです。

 

鳴門海峡は、日本の四国の北東端にある大毛島孫崎と淡路島門崎との間に位置する海峡です。瀬戸内海の播磨灘と太平洋の紀伊水道を結ぶ海峡です。「大鳴門」とも云います。日本百景に選定されています。日本語 鳴門という名前は四国の孫崎と淡路島の門崎との間にある狭い海峡を勢いよく流れる潮流に由来します。 「鳴」は水流の轟音を表し、一方の「門」は「入り口」を意味する漢字で、ここでは孫崎と門崎に挟まれた海峡を指します。阿波の鳴門は利根川河口や伊良湖渡合とともに日本の海の三大難所とされてきました。海峡は主要航路ではありますが可航幅が約500mと狭く、強流時などには通峡を見合わせて潮止まりを待つように、徳島海上保安部が船舶に注意を促しています。

 

その瀬戸内海側の播磨灘と太平洋側の紀伊水道を結んでいるのが、日本百景にも選ばれている鳴門(なると)海峡です。 別名「大鳴門(おおなると)」とも呼ばれ、1985年には大鳴門橋が架けられました。鳴門海峡は,基盤をなす 和泉層群の差別侵食によって形成された岬地形に,約21万年前以降に海水が播磨灘側へ流入するようになって成立 したと考える説が有力です。渦潮を伴う強い海流による海底の侵食が海釜を形成しました。海水準変動により,氷期に は鳴門海峡は陸化し,間氷期には水没する変化が繰り返されたと考えられています。鳴門とは「鳴る瀬戸」を語源とし、轟音を立てて水が流れる狭い海峡を表します。つまり渦潮で有名な鳴門海峡周辺を指す、局地的な地名だった。阿波随一の名勝として知られました。



 

徳島県鳴門市と兵庫県南あわじ市を結ぶ大鳴門橋。昭和60年に開通しました。橋桁内には海上遊歩道「渦の道」が作られ、設置されているガラスの床から渦潮を真下に見物することができます。休日は雄大な鳴門海峡の景色を眺めながら海上散歩を楽しむ人たちで賑わいます。大鳴門橋は、徳島県の代表的な観光スポットの1つです。日本の道100選にも選ばれており、大鳴門橋架橋記念館の前には顕彰碑も置かれています。

 

淡路島~鳴門間は鳴門フェリー(日本で最初の本格的なフェリーとも言われる )、淡路フェリーボートのフェリー航路が廃止されたため大鳴門橋以外に渡航ルートがなく、現在では徒歩および軽車両・原動機付自転車・小型自動二輪車・ミニカーで淡路島~四国間を行き来することができません。また、歩行者や自転車が通行できるような専用の通路の設置も現状では困難となっています。



 

徳島県を代表する観光地のひとつであり、鳴門側から橋脚付近まで、橋桁下部に設置された延長約450メートルの遊歩道である「渦の道」を進むと、展望台から鳴門海峡のパノラマや、足元から45メートル真下に鳴門の渦潮を見下ろすことができます。鳴門の渦潮と共にこの橋は徳島県の代表的な建築物として県民から愛されており、地元ローカル番組の『おはようとくしま』ではほぼ毎日この橋が映し出されていました。

 

先述のように橋桁下部空間は鉄道を敷設しうる構造として建設されましたが、明石海峡大橋は鉄道を通さない構造で建設されたため、淡路島~本州間については別途ルートの整備が必要となります。代わりに、紀淡海峡に鉄道を通して和歌山[要曖昧さ回避]から鳴門に至る、もしくは明石海峡に鉄道トンネルを掘削することで、大鳴門橋を活用しようとする模索は続けられています。2000年4月、徳島県では橋の鉄道予定空間を利用して鳴門の渦潮の見学施設である渦の道を建設し、鳴門公園の新たな観光スポットとして人気を集めています。

 

鉄道建設・運輸施設整備支援機構は2007年度まで紀淡海峡にトンネルを掘るための地質調査を続けてきましたが、予算の有効利用の観点から見直しの議論が起き、2008年度は予算を執行していません。サイクルツーリズムの興隆を受け、鉄道部分を利用して、徳島県と兵庫県が共同で淡路島一周のアワイチなどとの連携を視野に入れた自転車専用道路を敷設する計画があり、徳島県知事飯泉嘉門、兵庫県知事斎藤元彦は相次いで2023年度内の事業化の意向を示しました。

 

2023年度に事業化した場合2027年度の完成を見通します。「渦の道」を残した形での整備が課題になっていたが、可能であると判断されました。展望台部分は押し歩きすることを想定しています。なお、着工後に四国新幹線建設の見通しが不明確なことと建設費の圧縮を理由として、一度に1列車しか橋上を通過できない「単線載荷」への設計変更が1980年になされているため、仮に鉄道が敷設されても大鳴門橋の区間は実質的に単線運行となります。

 

高圧送電線 - 架橋以前は四国電力の鳴門淡路線(66,000V)が1961年(昭和36年)に海峡横断鉄塔によって空中架設され、1972年(昭和47年)から187,000Vで運転されていました。架橋にともない鉄塔は撤去され、大鳴門橋添加設備として関西電力による鳴門淡路線が設置されて南あわじ地域に送電されています。鳴門海峡に橋を架けることは周辺地域の人々にとって切実な願望でした。1914年(大正3年)に地元出身の政治家によって衆議院に架橋議案が提出されましたが、当時はそれを可能とする技術が日本にはありませんでした。

 

明石海峡と鳴門海峡に架橋し、淡路島を経由して鉄道で本州と四国を直結する構想は古くから存在しており、1953年(昭和28年)には鉄道敷設法別表に2つの架橋区間が追加されています。その後、1969年(昭和44年)の新全国総合開発計画での記載を経て1973年(昭和48年)には大鳴門橋を含む本州四国連絡橋の工事基本計画が運輸大臣より指示され、3ルート同時着工がいったん決まったものの、その直後に起きたオイルショックに伴う総需要抑制政策の一環として工事は凍結されることになりました。

 

1975年(昭和50年)に生活橋として最初に着工された大三島橋に続き、本橋は1976年(昭和51年)に着工されました。上記の通り元来は鉄道橋として構想されたものでしたが、1973年(昭和48年)の基本計画で鉄道道路併用橋とされました。1975年に着工が決定した際には「従来の方針で諸般の準備を進める」とされ、その規格によって建設されています。大鳴門橋は瀬戸内海国立公園および名勝に指定された鳴門海峡にふさわしい景観をもつ道路として、1987年(昭和62年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」に選定されました。顕彰碑は、徳島県立大鳴門橋架橋記念館(鳴門市鳴門町土佐泊浦福池)の前にあります。



大鳴門橋の2010年度の年間通行台数は約8,600,000台、1日当りの平均通行台数は23,569台となっています。これは本四3ルートの各橋の中では明石海峡大橋に次いで2番目に多いです。ちなみに橋の開通した1985年の1日当りの平均通行台数は7,853台でした。1985年6月の開通から22年後、2007年7月に通行台数が1億台を越え、それから12年後の2019年4月には2億台を超えました。2億台越えは本四架橋では明石海峡大橋に次ぐ2橋目となります。

 

神戸淡路鳴門自動車道の全通、高松自動車道の鳴門延伸に伴い交通量も増加し、また2009年に始まったETC割引制度をはじめとする各種料金割引により、休日および小型車の交通量が大幅に増加した結果、本州四国連絡高速道路が当初予測した交通量をほぼ達成しました。2015年3月14日には徳島自動車道との接続(徳島インターチェンジ - 鳴門ジャンクション間の開通)が可能となりました。今後は、徳島南部自動車道の建設に伴って徳島市内まで高速道路の接続が可能になるため、利用者はさらに増加する見込みです。

 

主には本州と四国間を移動するための利用が大半ですが、淡路島南部(南あわじ市、洲本市)から徳島市や鳴門市へ買物や通院等や、徳島県から淡路島への観光等にも利用されています。また、関西と四国各地を結ぶ高速バスなどの路線バスも多く運行されています。

 

大阪湾側から進んだ潮波が鳴門海峡に達し満潮になったとき、鳴門海峡方面へ進んだ潮は満潮を過ぎ干潮になっています。この時の播磨灘側(満潮)と紀伊水道側(干潮)で海面の落差(段差)ができます。海面の高い播磨灘から海面の低い紀伊水道へ一気に海水が流れ込み、海底の地形などの条件が揃って「渦潮」が発生するのです。車で海沿いの道を走って亀浦観光港までは数分の道のり。「うずしお観潮船」と書かれた長方形の建物とバス停のある広い駐車場が目印です。基本的には一本道なので、迷ったりすることはないと思います。こちらの「うずしお観潮船」で乗船できるのは、大型の「わんだーなると」と小型の「アクアエディ」の2種類の観潮船です。

 

定員が399名と大人数が乗船できる「わんだーなると」は一日に12便が就航し、予約は不要となっています。一方の「アクアエディ」は、一日に15便が就航する完全予約制。こちらは船底に水中展望室を持ち、何と海中からも“鳴門の渦潮”を眺めることができる小型水中観潮船なんです。潮の流れが激しい鳴門海峡では船酔いも心配です。2基の1000馬力エンジンを搭載した「わんだーなると」は、大型船だけあって揺れが少ない点もポイントの一つです。渦の真上まで接近するため、きっと忘れられない思い出になる事間違いなしです。2階には別料金の一等船室があり、専用の展望デッキからは、混雑する心配なく、大迫力のうずしおクルーズを楽しむことができます。

 

そして、小型水中観潮船の「アクアエディ」は、高速航行が可能で、より小回りが効くため、大型船「わんだーなると」とはまた違った“鳴門の渦潮”体験が待っています。定員が46名と少ないことから、大きな渦が発生しやすいシーズンは予約が難しいときもあるとか。鳴門の渦潮は、瀬戸内海と紀伊水道の干満差により、激しい潮流が発生することによりできる「自然現象」です。春と秋の大潮時に最大となり、直径20〜30mにも達する渦潮の大きさは世界一といわれています。1日のうちで潮流が最速となる時間帯に最も迫力ある渦潮が発生し、潮の流れない時間帯には渦潮を見ることはできません。

 

鳴門海峡の潮流はイタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡とならんで「世界三大潮流」の一つといわれています。潮流の速さは大潮の最大時には、時速20km以上にもなり、日本一の速さといわれています。鳴門海峡に渦潮が発生する要因の1つに海水の流れがあります。潮の満ち引きは月や太陽の引力によって海水面の上下動が周期的に起こる現象です。(地球は自転しているために、1日に満ち潮と引き潮が交互に2回ずつ約6時間周期に起こります)

 

鳴門海峡の幅が1.3kmと急に狭くなっていることと重なり、高い方から低い方へと海水が一気に流れ込み潮流が早くなります。また、大鳴門橋の真下はV字型に深く落ち込み、最深部は90mにも達します。潮流は抵抗が少ない深部では早く流れ、抵抗が多い浅瀬では緩やかに流れます。はやい潮流と遅い潮流がぶつかることにより渦が発生します。鳴門海峡独特の海底の地形と潮の干満により潮流により「渦潮」は発生すると言えます。

 

月の引力によって海水面に大きな高まりができ、それは月の動きを追いかけるように東から西へ向かって移動します。その満潮の波は紀伊水道や豊後水道にも入り北へ進みます。紀伊水道に入った潮波は淡路島の南側で鳴門海峡方向と大阪湾方向の2方向へと分かれて進んでいきます。その波はさらに大阪湾から明石海峡を抜けて播磨灘に入り、5〜6時間かけて淡路島を一周して鳴門海峡に達します。



その時、豊後水道を経てきた満潮の波と合流します。この5〜6時間が経過する間に紀伊水道側は満潮の波となり、太平洋から伝播してきた潮流の最高点が通過し、逆に最下部が到着しています。すなわち、水位は下がり、干潮を向かえているわけです。鳴門海峡を挟んだ播磨灘と紀伊水道との間で海水面に水位差(最大約1.5メートル)が生じ、海面の高い満潮側から低い干潮側へ激しい勢いで海水が流れ込み、中央部を流れる速い流れと、その両側の遅い流れとの速度差で渦が発生するのです。

 

鳴門市孫崎と淡路島との間の鳴門海峡では、潮の干満によって渦潮が発生します。春と秋の大潮時に最大となり、潮流時速20km、最大直径20mにも及ぶものがあります。百雷のごとくすさまじい轟音を立てて渦潮が交錯しながら流れていくさまは壮観です。満潮と干潮は1日2回ずつあり、鳴門海峡ではこの満潮時と干潮時に渦潮が発生します。満潮時と干潮時の前後約1時間半が渦潮の見ごろといわれています。大鳴門橋の下で、ゴーッという音を立てながらぐるぐると回る渦が現れては消え、消えては現れます。大きさは大小さまざまです。小さな渦同士がくっついて大きくなったり、大きな渦が小さく分かれたりします。刻々と表情を変えるダイナミックかつ爽快な風景に圧倒されます。

 

「鳴門海峡」は、イタリア半島とシシリー島間の「メッシーナ海峡」、北アメリカ西岸と月の引力によって発生した海水面の高まりは、月の動きを追うように東から西へ向かって移動します。その満潮の波は、紀伊水道や豊後水道へと流れ出て北へと進みます。豊後水道に入った満潮の波は、瀬戸内海を西側から水位を上げて播磨灘に向かいます。紀伊水道に入った満潮の波は、二手に分かれ鳴門海峡と大阪湾方面に向かいます。その波はさらに明石海峡を抜けて播磨灘に入り、豊後水道を経てきた満潮の波と合流します。紀伊水道から入ってきた満潮の波が播磨灘に入るまで、約6時間かかります。

 

この時間が経過する間に紀伊水道側は干潮の波になって、鳴門海峡をはさんだ播磨灘と紀伊水道との間で海水面に最大約1.5mにもなる水位差が生じ、海面の高い満潮側から低い干潮側へと激しい勢いで海水が流れ込むことで、中央部を流れる速い流れと、その両側の遅い流れとの速度差で渦が発生します。バンクーバー島東岸との間「セイモア海峡」と並んで“世界三大潮流”と呼ばれています。大鳴門橋の真下はV字型に深く落ち込み、最深部は約90mにも達します。鳴門海峡の南側(太平洋側)には水深140m、北側(瀬戸内海側)には200mの海釜(かいふ)と呼ばれる深いくぼみがあり、この独特の海底の地形が潮の干満にともなう海水の流れと合わさり、鳴門の渦を発生させます。 その大きさは直径最大20mにもおよび、世界でも最大規模と言われ、この激しい潮流から発生する轟音から鳴門(鳴る瀬戸)の名が生まれたと言われています。

 

1ヵ月に2回、満月と新月には大潮がやってきます。大潮とは月と太陽の引力が重なり、満ち潮と引き潮の水位差が大きくなり、海水の流れも速くなるのです。鳴門海峡の場合、春と秋の大潮の頃には潮の流れが時速20kmにもなり、渦潮も大きなものが観られます。特に3月下旬から4月下旬は1年で最も良い渦潮観潮の時季と言われています。渦潮を見るには、海上45メートルのガラス床から渦潮を見下ろすことができる「徳島県立渦の道」や、逆巻く渦の飛沫が衣服を濡らすほど間近に迫る「観潮船」があります。