四方山見物35

 

 

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」は、今から 300 年ほど前に山口素堂が作った句です。 目にも鮮やかな「青葉」美しい鳴き声の「ほととぎす」食べておいしい「初鰹」と、春から夏にかけて人々が好んだものを詠んでいます。5月を詠んだ代表的な句と言えると思います。目には何々山ほととぎすの意味は?目に青葉まぶしく、ほととぎすの声が聞こえたら、初鰹を食べよう、という俳句がいい慣わされたものですが、旬のものを順に並べただけではありません。江戸っ子にとって、初鰹を食べるというのは、自分が江戸っ子であるという証のようなものでした。山口素堂は江戸時代の俳人で松尾芭蕉とも親交があったと聞きます。この俳句歯切れのよさだけでも「いいね」と思いますが、なんと「青葉」「ほととぎす」「初鰹」夏の季語が3つも入っています。



日本のシンボルである霊峰富士の北麓に位置する富士河口湖町は、緑豊かな自然と山々に恵まれ、青木ヶ原樹海に代表される森林と原野で覆われ、その間に火山噴出物で堰き止められた4つの湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖があり、富士山の裾野には開けた青木ヶ原・富士ヶ嶺高原など広漠とした日本屈指の景勝地を形成しています。富士河口湖町は、山梨県の南東部に位置し首都圏の100km圏内にあり、南は富士山の傾斜地、北は御坂山系に挟まれた高原のため冬季の冷え込みは厳しいものの、夏季は過ごしやすく、四季折々の美しい豊かな自然を求めて国内外から多くの人々が訪れる国際観光地です。

 

近年、交通高速網の充実により住民の生活圏が拡大しており、生活基盤整備はもとより、教育、文化、保健、医療、福祉などの分野においても広域的な視点に立った対応が求められてきております。富士山世界遺産構成資産に登録されている河口湖。富士山の5つの湖の中でも一番長い湖岸線を持ち、湖畔には春には桜のスポット、初夏には紫のラベンダー、秋には紅葉と見どころが数々あります。また、河口湖のホテル沿いにあるスポットから見た逆さ富士は、富士山の絶景撮影スポットとして有名です。ヘラブナ、ニジマス、ブラックバスなどの釣りやボートなどのレイクスポーツも楽しめます。



富士山の北麓に位置する富士五湖の中の1つである河口湖は、5つの湖の中で2番目に大きい湖です。標高830mで、富士五湖の中では最も低い場所に位置し、世界文化遺産に登録される富士山の構成資産として登録されています。湖岸の長さは富士五湖の中で最長の19kmほどあり、ウォーキングトレイルを備えていて、ランニングコースとしても人気がある場所です。河口湖周辺には桜や紅葉、季節な花など見どころも多く、自然の景観と富士山の眺めを一緒に楽しめるスポットがたくさんあります。河口湖の湖面に映る「逆さ富士」も人気があり、絶景撮影スポットには事欠きません。

 

河口湖だけでなく、富士五湖周辺には富士山の広大な自然が広がっています。周囲を山々に囲まれた環境にあり、どこからでも富士山の美しい山容を楽しむことができる絶景スポットが満載です。朝焼けや夕焼け、満点の星空など、時間帯を問わず楽しめる要素があります。また、春の桜や秋の紅葉、夏に咲く花々や新緑といった、季節ごとに違った味わいを感じられることも魅力的なポイントです。大自然の中で癒されるための旅行もできますし、自然を利用してレジャーを楽しむアクティブな旅行もできる、おすすめのお出かけ先です。



河口湖周辺では、季節ごとのイベントも充実しています。春は桜を楽しむお祭りや、河口浅間神社の例祭、やぶさめ祭りなどのお祭りが盛んです。夏には河口湖の湖上に上がる花火が楽しめる花火大会が目白押しですし、ラベンダーを鑑賞する河口湖ハーブフェスティバルも開催されます。秋になると紅葉の時期を中心にお祭りが行われますし、富士山マラソンやトレイルランといったスポーツイベントも目白押しです。富士山マラソンではフルマラソンだけでなく、ファンランニングの方も気軽に参加できるコースも準備されています。さらに、冬にも花火大会や近隣の西湖で開催されるこおり祭りといった、冬ならではの景観を楽しめるイベントが開催されます。どのシーズンにも楽しめるイベントがあるのも、河口湖の人気の秘訣です。

 

人気観光地ならではの施設やアクティビティが豊富なのも、河口湖周辺の特色です。商業施設や体験型イベントが楽しめ、温泉も満喫できます。宿泊スタイルも、おしゃれな湖畔のホテルやコテージ、和風な温泉旅館はもちろん、キャンプでのステイも可能です。ファミリーでの滞在や、友人同士で和気藹々と過ごす旅、カップルで静かに楽しむ旅まで、それぞれに合った楽しみ方ができます。



河口湖周辺には、おいしい名産品も数多くあります。寒い季節にぴったりな「ほうとう」をはじめ、桃やシャインマスカットなどの果物もよく知られています。甲州ワインやクラフトビールをはじめとした地元ならではのお酒も楽しめますし、信玄生プリンやチーズケーキなどご当地スイーツもたくさんあります。ヒメマスやニジマス、ワカサギといった魚料理もおいしいです。

 

甲府方面から車で河口湖大橋にさしかかると、天気の良い日には大きな富士山が目に飛び込んできます。歩道もある橋なので散歩にも最適で、河口湖も見渡せとても気持ちの良い富士山ビューのスポットです。ただ、橋を渡る車のドライバーも、天気が良いと富士山に目をとられたりよそ見をすることもありますので、くれぐれも車道には出ないよう歩行には十分に注意しましょう。



河口湖大橋は湖畔の温泉街の渋滞解消を目的に1968年10月から工事が始まり、2年半後の1971年3月に完成し4月から利用が開始されました。当時から2005年6月まで通行は有料で、南側の入口に料金所が設置されていました。料金所のあった箇所の道幅は今でも変わらず当時のままとなっています。ちなみに地元に住む人は、どうしても急いでいて仕方がない時は200円(普通車)を払って大橋を利用していましたが、多くの人は普段は橋を使わずに湖畔へと迂回して対岸へ行っていました。無料化となり、地元の人々にも非常に便利な橋となりました。

 

河口湖大橋は、国立公園特別地域に建設されるものとしては日本で初めての橋でした。1987年には、優れた自然観光のもとで美しい景観をもつ道路として富士スバルラインとともに「日本の道100選」に選ばれており、石碑も設置されています。石碑は橋の南側入り口、富士山側にあります。富士五湖の一つである河口湖の湖上を横断している河口湖大橋は、優れた自然環境のもとで美しい景観をもつ道路として、日本の道百選に選ばれました。日本の道百選に選ばれたのを記念し、道路への関心や道路愛護精神の高揚を願い顕彰碑を設置しました。

 

山梨県南都留郡にあるロープウェイです。河口湖畔に聳える天上山に設置されており、山頂の駅からは河口湖や富士山を一望でき、秋には黄金色に輝く紅葉を楽しめます。太宰治の「カチカチ山」の舞台にもされており、ゴンドラや駅には小説に登場するウサギとタヌキのマスコット像が設置されています。山頂の駅には、展望台も設けられています。

 

太宰治の小説「カチカチ山」の舞台とされる富士河口湖町浅川の天上山は、その山頂近くにある展望広場と河口湖畔をつなぐ「河口湖 富士山パノラマロープウェイ(2018年4月、「天上山公園カチカチ山ロープウェイ」から名称変更)」では、小説に登場するウサギとタヌキの人形が訪れる人を出迎えてくれます。



ロープウエーは全長460メートルです。2台のゴンドラの屋根にはそれぞれ、タヌキとウサギの人形が乗っています。湖畔駅(標高856メートル)から富士見台駅(同1075メートル)までは標高差219メートル。2分20秒(2021年8月設備更新による)で乗客を運んでくれる。ゴンドラからは天気が良ければ、富士山や河口湖の雄大な景色が一望できるます。

 

展望広場にも七体のタヌキとウサギが置かれています。「カチカチ山」のあらすじなどを紹介するパネルもあり、訪れた人の興味を引きます。また、同山の中腹では小説の一節「惚れたが悪いか」と刻まれた文学碑も見ることができます。2006年には、展望広場に幸せを願うハート型の「カチカチ山・天上の鐘」がお目見しました。

 

2012年3月、展望広場に「たぬき茶屋」がオープンしました。景色を見ながら軽食を味わえます。またウサギを御神体にした「うさぎ神社」も併設。三ツ峠からの登山者や観光客の安全、健脚を祈願する場とされ、ご神体として社の中にウサギを安置されています。こま犬ではなく、2体の「こまうさぎ」もいて、後ろ足で立ち上がっているのが「富士見兎」、頭を伏せているのが「夢見兎」と云います。2019年11月、富士山の大パノラマを見渡すことのできる展望台「武田信玄の戦国広場 絶景やぐら」がオープンしました。ロープウェイ山頂の広場よりもさらに高い標高1110メートル地点の崖から迫り出す一本橋のようになっています。



2021年8月、富士山と河口湖の大パノラマを一望できる新スポット『絶景パノラマ回廊』がオープンしました。ロープウェイ乗り場から山頂広場へ向かう急な階段道を、ユニバーサルデザインのゆるやかなスロープに整備。また山頂エリアには夏限定の涼感スポット「風鈴小径」も登場しました。2021年11月、展望広場に「カチカチ山絶景ブランコ」がオープンしました。目の前にそびえる富士山に向かって高さ約3.5メートルのブランコを漕ぐ爽快体験を味わえます。料金1人500円です。

 

くねくねと長い精進湖線(国道358号線)を車で登ってきて、いつも最後のカーブの手前で胸がときます。今日は、見えるかな、見えますように、富士山…。 見えた!富士山。精進湖と、その向こうに、大室山を抱っこした「子抱き富士」。いつも、はじめて出逢えたように嬉しくなる。その日の最初に出逢う富士山として、この小さな湖ごしの眺めほど、ふさわしいものはないとひそかに思います。 ひっそりとしながら、居ずまいを正して、いつも洗いたてのように凛とした富士山と精進湖は、太古から気の遠くなるような時間をかけて作られてきた景色のなかで、ボートの釣り人がのんびり、濃く蒼い湖水に糸をたらしていました。



起源までたどれば、十万年、二十万年とも言われる歴史のなかで、富士山は幾度となく大小の噴火をくりかえして、今の優美な姿と、とりまく大自然景観を形成してきたと云います。 今から千年以上前には、富士山の北側のすそ野に「剗の海」と呼ばれる大きな一つの湖が広り、五千年前には、さらに巨大な「古剗の海」がありました。なんとも壮大な富士山の記憶です。まず「古剗の海」から「本栖湖」が溶岩の流入により分かれたと考えられています。そして千年昔の平安時代、864年(貞観6年)には、歴史に残る貞観大噴火が起きます。噴出した大量の溶岩流は「せのうみ」にも流れこみ、そのほとんどを埋め、現在の「精進湖」と「西湖」に分かれたといわれています。

 

その一つの検証として、三つの湖は、ほぼおなじ標高にあり、今も水位が連動していて、地下でつながっていると推測されています。このあたりに大量の雨が降り三湖の水位が上昇すると、精進湖近くに幻の湖が出現します。俗に富士六湖と呼ばれる「赤池」で、この現象も湖の地下が一つに通じてること を証明するものとみられています。その湖たちは、富士山の生い立ちのスケールを物語る存在であり、富士山とは、いわばひとつの命です。そのため精進湖は、西湖、本栖湖とともに、「富士山域」という構成資産の一部として世界遺産に登録されました。残る山中湖、河口湖も個別に構成資産となりました。



みな同じ富士山につながる存在であっても、五湖の個性はまったくそれぞれです。精進湖は、一番小さく、三番目に深く、プランクトンなどを豊富に含んだ栄養湖という特徴をもっています。精進湖という名前の由来は、むかし、富士山を信仰する参詣者が、まず裾野の湖で沐浴し、“精進潔斎”をしたからという説が有力とされています。それでいえば、五湖すべてが、“精進”のための聖なる水場だったのです。実は、「富士五湖」という呼称が定着したのは最近のことで、大正時代末期までは「富士八海」と呼ぶのが一般的だったと云います。現在の五湖に、「四尾連湖」「泉水」「 明見湖」などを加えて、縁起もよい八海としてくくられていました。太古のむかし、富士山は火の神であり、豊富に命の水を抱く水の神さまでもあって、この八つの湖にも、それぞれ龍神の名前もついていたらしいです。 信仰の面からも、裾野の湖は、富士山と同様に重要な存在だったといえます。 そこで、山頂への登拝修行だけでなく、「内八海巡り」という、特別な修行が生まれました。最初は、富士山に登拝する前の汚れをはらう禊ぎが目的だったのが、富士山の水神である八つの湖をすべて巡ること自体が、富士山の信仰、とされるようになったと云います。

 

かつて現在の忍野村は湖でした。富士山の噴火活動を何度も経て、徐々に富士裾野と御坂山系との狭間を水触・掘削排水され長い期間の後、ついに湖は涸れました。しかし、富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。その代表な湧水池が現在の『忍野八海』です。また、忍野八海は富士講の開祖である角行の修業した内八海、外八海に加え富士登拝を行う富士講信者の巡礼地(富士山根元八湖霊場)となりました。八つの池には法華経の教えに基づき八大竜王が祀られ、石碑に和歌が刻まれました。また八つの池は占星術により北極星と北斗七星の形を表しています。

 

忍野八海は「形状・水質・水量・保全状況・景観・仏教思想(富士信仰)など」の観点から昭和9年(1934年)に国の天然記念物、昭和60年(1985年)に環境庁から名水百選、平成6年(1994年)に県新富岳百景選定地、平成25年(2013年)6月には世界文化遺産に登録されました。忍野八海の水は、どこまでも透き通り、深みを覗くと驚くほど青いです。富士山に降った雨雪が20年以上かけて大地にしみ込み、湧き出し、八つの小さな海をつくりました。いにしえから清浄かつ霊力のある水として、禊(みそぎ)と信仰の対象であった聖なる湧水です。実は忍野村全体が、かつては宇津湖と呼ばれる巨大な湖だでした。延暦19年(西暦800年)の富士山大噴火で宇津湖は溶岩に二分され、忍野湖と山中湖となりました。その後忍野湖は徐々に水を涸らし、その湖底にあった盆地が今の忍野村です。



そして宇津湖の名残が、忍野八海といわれています。富士山信仰の開祖・長谷川角行によって江戸時代には江戸八百八講といわれるほど盛況を極めた富士講の霊場として、忍野八海は重要な場所でした。しかし、それも江戸末期にはすたれ、それを嘆いた大我講の開祖・友右衛門が、八海にそれぞれ八大竜王を祭り、竜王名と和歌を刻んだ石碑を建立しました。その昔、忍野湖は富士山の噴火活動を何度も経て、徐々に富士 裾野と御坂山系との狭間を水触、掘削排水され長い期間の後、ついに湖は涸れました。しかし。富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。その代表的な湧水池が「忍野八海」です。富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水層という溶岩の間で数十年の歳月をかけてろ過され、澄み切った水となりました。

 

美しく神秘的であり、移り変わる四季に彩られた富士を水面に映しこんだ姿は訪れた人々に水本来の姿と護るべき美しさをそっと訴えているようにも感じられます。忍野八海は「形状、水質、水量、保全状況、景観、仏教思想(富士信仰)など」の観点から、昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定され、昭和60年(1985年)に、環境庁から全国名水百選に選定されました。また、平成6年(1993年)には、県富嶽百景選定地にも指定されました。

 





榛の木林資料館は 18世紀後半に建てられた現存する忍野村最古の茅葺き民家渡邉家を開放した資料館です。館内には、当時そのままの家具や家財道具、蚕の養殖場、徳川時代の 武具、重要書類などが展示されています。また、敷地内には、忍野八海の1つ、【底抜池】や、鯉の池、ニジマスの触れる池などが存在します。天気の良い日、紅葉の季節、雪景色なども絶景です。玄関を入ると、 弓型の梁の露出した高い天井と太い大黒柱が目にきます。 それぞれ12畳半の一の座敷、 二の座敷、 10畳間の三の座敷があり、 渡辺家で代々使われてきた長持、 タンスや生活用具、 古文書類、 「関の兼光」 などの刀剣類、 鎧、 兜などが展示してあります。

 

玄関から続く土間の奥の天井には、 在地領主の流れをくむ証ともいえる駕籠が吊され、 さらに奥の階段を上ると、 柱や梁が露出した2階。 もとは養蚕に使われた部屋で、 ここには養蚕、 機織り、 農業などに使われた農機具類約300点が展示してあります。なかでも三の座敷の床の間にある 「後北条氏の朱印状」 は、 天正10年(1582)に武田家が滅んだ後、 甲斐の国を手中にしようとした北条氏直が、 渡辺庄左衛門尉あてに郡内領での総決起を強く促したという朱印状は必見です。

 

 

『青木ヶ原樹海』と聞くと、多くの方が悪いイメージを抱きます。なぜでしょう?メディアなどで面白おかしく、過剰に悪いイメージを洗脳させるが如く情報発信してきました。実際に樹海に行き、怖い思いをされた方はどのくらいいるのでしょうか?おそらくどこから入ったかも解らない先入観・固定概念だけで、悪く思っているのではないでしょうか?皆さんがイメージする樹海は、「マイナスの生命力」を持たれていると思いますが、反対に樹海ほど「生命力」を「知る・見る・感じる」ができる場所はほかにはないです。樹海の持つ強烈な生きるたくましさを体験すれば、 ご自身の生命力もアップ出来ます。



西暦864年の貞観噴火(富士山の側火山である長尾山で発生)により、膨大な溶岩を流し森林地帯を飲み込み焼き尽くし、それでも収まらず富士山の北西にあった広大な湖「セの海」に流れ込みました。「セの海」に溶岩が流れ込んだ結果、現在の精進湖・西湖に別れさせました。(面白いことに湖の標高は900mで同じ。)溶岩の流れた溶岩地帯が青木ヶ原樹海の始まり。溶岩地帯は、すべてを焼き尽くされ何もない場所になりました。冷え固まった溶岩しかない土地に、年月をかけて苔が生えては枯れて生えては枯れて・・・を繰り返し少しの土ができ、その土に草が生えて枯れて・・・を繰り返し少しの土ができ、ようやく木がギリギリ育つことのできる環境ができました。木が芽吹きだした時期は、今から300年ほど前からだといわれています。現在の青木ヶ原樹海は、冷え固まった溶岩の上に生えた苔から始まり、1200年の年月をかけてできています。

 

現在の青木ヶ原樹海をパッと想像すると「緑豊かな森」をイメージすることができますが、普通の山や公園に生えている樹とは異なり、過酷な条件で育っています。公園の樹などは土の中に根を深く張り、豊かな土壌から栄養分や水を得たり、大きくなっても倒れなくなります。しかし、先に説明した通り青木ヶ原樹海は、溶岩地帯の「少しの土」で形成されています。木が育つためには水(雨水)が必要可決ですが、樹海の多孔質な溶岩(軽石をイメージ)と薄い土壌しかないので、浸透性が高く雨水を蓄えることができません。では、どうやって水を得ているか?それは「苔」です。生育に必要な水を地表に保つために「苔」のもつ保水力を頼りに育っています。(苔は別名「森のゆりかご」と呼ばれています。)

 

また、青木葉原樹海は地面が溶岩でできているために根を深く張ることができません。地を這うように根がむき出しで横に伸びており安定しおらず、大きく育つことができない。強風が吹くと自重を支えることができなくて倒れてしまいます。倒れた樹は、倒れながら「頑張って生きよう」として倒れたまま上へ上え伸びる気もあれば、そのまま朽ちてしまう樹もあります。ただ、朽ちてしまう樹も単に朽ちるだけではなく、自らを栄養分となり新しい木の芽を芽吹かせます。これを「倒木更新」といい、青木ヶ原樹海の中ではいたるところで「倒木更新」が見ることができます。

 

 

広大な朝霧高原にある富士ミルクランドは、のどかな牧草地帯に囲まれた癒しのスポットです。地元朝霧高原の牛乳を使用し、チーズやヨーグルト、ジェラートやソフトクリームを自社製造販売しています。富士山チーズケーキ、ロールケーキなどのお菓子、又、地元農家の新鮮野菜、こだわりの品を販売しています。動物とふれあえるえさやり、乳しぼり、乗馬など、自然を満喫でき、月別のイベントも充実。レストラン&カフェ、そば処などの食事が楽しめ、広いロッジの宿泊施設もあります。東名富士ICから西富士道路を進み、北上すること約30分。大迫力の富士山を目の前に望む農業体験施設「富士ミルクランド」に到着します。バターやアイスの手作り体験をはじめとして、周辺農場と連携した酪農体験も可能(要予約)です。動物(ヤギや羊など)との触れ合い広場もあります。地元朝霧高原の牛乳で作るジェラートやソフトクリーム、静岡県内の食材を使用した料理を味わえるレストランが併設されており、マルシェや月別イベントもあるなど、家族の思い出づくりに訪れたいスポットです。

 

雄大さと美しさを兼ね備える富士山は、『芸術の源泉』として、日本人のみならず海外の芸術家にもインスピレーションを与えてきました。絵画、文学、詩歌、演劇の題材となり、数多くの芸術作品を生み出しました。 古くは8世紀に編まれた日本最古の和歌集「万葉集」にも富士山を詠んだ和歌が見られ、「竹取物語」「伊勢物語」などの古典作品、俳句や漢詩にも題材として取り上げられてきました。平安時代以降は絵画の世界にも登場しはじめ、江戸時代には葛飾北斎の「冨獄三十六景」や歌川広重の「東海道五拾三次」などの富士山を描いた浮世絵が人気になります。それらは海外にも輸出され、ゴッホやモネなどの西洋芸術家に衝撃を与えました。近代では、横山大観の「群青富士」で扉風絵として描かれたり、夏目激石や太宰治の文学作品の題材となるなど、富士山の『芸術の源泉』としての価値は今もなお薄れることはありません。



日本最高峰 富士山は、標高3,776mの山、日本を代表する独立峰です。その稜線の雄大な美しさから、古の時代よりさまざまな文化の源として人々の生活に息づいてきました。 富士山の誕生は、2、300万年前〜500万年前。 海底火山の噴火を発端として、4回にわたる大噴火により、駿河湾まで豊かに伸びる傾斜面の成層火山として成り立ちました。 頂に近くなるほど傾斜が増して美しい円錐形を描く様は、日本一の美しさを誇り、今も昔も人々に愛されています。 富士宮市は、富士山西南麓に広がる地域です。富士山の麓から、山頂まで、高低差日本一の市でもあります。富士宮口登山道は、標高2400mで、五合目の中では最も高いところにあります。 ほぼ市内全域から様々な富士山の姿を楽しむことができます。 市街地の南麓からは、最高峰地点の剣ヶ峰を山頂の中央に配し、流れる稜線の右に宝永山を抱く優美な姿。朝霧高原などの西麓からは、大沢崩れを中央に猛々しい富士山の姿を楽しむことができます。

 

富士山が未来に受け継ぐべき世界の宝として世界文化遺産に登録されて、平成30年6月22日で5周年を迎えました!日本が誇る富士山は世界中の人々を魅了し、連日たくさんの人が富士山を訪れています。絵画や文学の題材となってきた美しい姿や雄大な自然はもちろん、ここにしかない独自の文化など、富士山には知れば知るほど惹かれてしまう魅力がいっぱい‼今年の夏休みは家族そろって“富士山を満喫する旅”に出かけてみませんか?夏休みの自由研究のヒントや、富士山の歴史や文化を感じられるおすすめの散策スポットなど、富士山をもっと知って、歩いて、感じて、まるごと楽しむ情報を3回にわたって紹介します。第1回目は、世界文化遺産である富士山の興味深い歴史や独自の文化について紹介します。

 

ユネスコが登録する世界遺産は「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」に分かれていて、富士山は平成25年6月22日に「文化遺産」に登録されました。自然遺産では?と思う人もいるかもしれませんが、富士山は日本人の自然に対する考え方や日本文化に大きな影響を与えてきた歴史があり、そうした観点から文化遺産に登録されました。したがって、登録の正式名称も「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」なのです。火焔を噴き上げる富士山は、麓に暮らす人々にとって恐れの対象でした。人々は祈りを捧げ、富士の神の怒りが鎮まることを願いました。やがて噴火がおさまると、列島随一の高山は山中に分け入る修験者の修行の場となりました。さらに神仏が住まう山として、多くの人々が登拝(とはい)するようになっていったのです。



また雄大で美しい富士山は、日本のみならず全世界の芸術家たちに、大きな影響を与えています。最古の歌集『万葉集』をはじめ、『竹取物語』や『伊勢物語』などにも取り上げられたほか、江戸時代には浮世絵師の葛飾北斎や歌川広重によってさまざまな姿が描かれました。それらの絵は海外にも伝わり、ゴッホやモネなどの西洋の芸術家に大きな影響を与えたと言われています。近代では夏目漱石や太宰治の文学作品の題材にもなるなど、富士山は時代を超えて多くの芸術家を魅了し、インスピレーションを与えています。富士山に対する信仰、富士山に題材を得た芸術は、富士山の山体だけで生まれたものではありません。「世界遺産富士山」は山麓に分布する湖水や神社などを含め、25の構成資産から成り立っています。

 

日本にはその昔から山を神聖なものとして崇拝する山岳信仰があります。日本一高くそびえる富士山に対する信仰は、その代表的なものといってよいでしょう。富士信仰は富士山が噴火を繰り返していた頃、激しく噴き上げる火に人々は怒る神の姿を重ね、崇拝するようになったのが始まりといわれています。噴火が鎮まってからは、富士山頂は仏が神の形となって現れる場所と考えられ、富士山の持つ験力(げんりょく)や霊力を得ようと山に足を踏み入れ、山頂を目指して修行をする者が出てきました。室町時代後半には修行する者だけでなく一般庶民も登るようになり、富士山の神仏のご加護を受けようと登る富士登拝(とはい)は次第に大衆化されていきました。



戦国時代になると、富士信仰は「富士を拝み、富士山霊に帰依し心願を唱え、報恩感謝する」というわかりやすい教えにまとめられ、庶民の信仰として広まっていきました。そして江戸時代には、「江戸八百八講」と言われるくらい、たくさんの江戸庶民が講を組んで富士山を目指しました。「富士講」は富士山に登るだけでなく、山麓の霊地への巡礼や水行などの修行も行いました。巡礼には山頂を一周する「御八葉(おはちよう)めぐり」や中腹を一周する「御中渡(おちゅうど)めぐり」、麓に点在する湖を巡る「内八海巡り」があります。現在、御中道めぐりは一部危険区域があるため通行不可の所があり一周はできません。

 

江戸時代は修験道の伝統として、女性は霊山などへの入山を禁止されていました。富士山も明治5年(1872年)の太政官布告によって禁が解かれるまで、女人禁制でした。ただ、60年に一度の庚申の年だけは四合五勺までの登山が許されていました。富士山の麓、富士河口湖町にある山梨県立富士山世界遺産センターは、富士山の歴史や文化についてわかりやすく紹介している施設です。展示の並ぶ南館の中心には富士山を1,000分の1のスケールで再現したオブジェ(冨嶽三六○)があり、季節や時間によってさまざまな表情を見せる富士山の姿を照明や音で演出しています。雪景色や朝焼けなど次々と変わる様は迫力があり、見入ってしまうほどの美しさです。

 

富士山が世界文化遺産に登録されるまでの歩みも学べ、施設をめぐると富士山の世界遺産としての価値がよくわかります。また「ふじめぐり」というスマートフォンやタブレットに対応した展示ガイドアプリもあり、ダウンロードすると松岡修造さんのナビゲーションで見学コースを紹介してくれます。このアプリは施設外でも使用でき、世界遺産「富士山」の構成要素のエリアでは、自動的に写真や文字解説(7言語対応)が表示され、日本語の音声案内も流れます。見るだけでなく、聞いたり、触ったりとさまざまな体験を通して、どなたでもお楽しみいただける新時代の展示施設です。富士山の世界文化遺産への登録が決まった6月22日は、南館も無料で観覧いただけます。



世界文化遺産への登録が決まった6月22日には、毎年センター中庭でマルシェを開催!!キッチンカーや特産品のお店などがたくさん並びます。富士山世界遺産センターの北館2階には、目の前に広がる大きな富士山を眺めながらゆっくりとお茶やお食事を楽しめる「Lava Café」があります。真っ黒なパンにボリュームあるソーセージを挟んだ「溶岩ドッグ」や、地元の老舗和菓子屋が作っている溶岩にしか見えない砂糖が添えられた「溶岩コーヒー」、30,000分の1スケールの富士山をかたどった超メガ盛りカレー「MEGA Mt. Fuji CURRY 」など、目でも楽しめる、ここでしか味わえないオリジナルメニューが揃っています。どれもインスタ映え間違いなし!江戸時代後期に活躍した浮世絵師の葛飾北斎は「冨嶽三十六景」と題する一連の作品で列島各地から見た富士山を描きました。当初は文字どおり「36景」でしたが、好評を博したため10枚追加され「46景」となりました。富士山世界遺産センターの富士山ライブラリーや「富士山百画」のコーナーでは、この絵について詳しく調べることができます。現在でも絵柄の富士山を望める場所もあります。実際の場所に行って、浮世絵とくらべてみてもよいでしょう。

 

富士山頂には1999年まで不思議な形の白いドームがあったのを知っていますか?3,776mもある山頂にどうやってドームを作ったのか?そのドームはどんな役割があったのか?富士吉田市にある富士山レーダードーム館(山梨県立富士山世界遺産センターから車で約15分)で調べることができます。ドーム館では山頂の気温と風も体験できます。日本一の高さ(標高3,776メートル)を持つ活火山、富士山。2013年6月、第37回世界遺産委員会において、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の名称のもと世界文化遺産に登録されました。その背景には、 富士山が『信仰の対象』であるとともに、『芸術の源泉』として、日本人の 自然観や日本文化に大きな影響を与えてきた歴史があります。 かっては噴火を繰り返す山として畏れられていた富士山は、富士講と呼ばれる信仰集団や浮世絵の登場などにより、日本人にとって身近な存在となりました。人と自然が信仰と芸術を通して共生する姿は、富士山が持つ大きな特徴と言えるでしょう。そうした歴史・文化にゆかりのある25カ所から成る富士山を、ユネスコ世界遺産委員会は未来に受け継ぐべき世界の宝として認めたのです。

 

日本一高くそびえる富士山は日本人にとって神聖な存在です。古くから『信仰の対象』として、日本人の自然観に大きな影響を与えてきました。古来、火山活動を繰り返す富士山は、山麓から山頂を仰ぎ見て崇拝する「遥拝」の対象となってきました。やがて噴火が鎮まると、日本古来の山岳信仰と外来の仏教が習合した「修験道」の道場として、多くの修行者(修験者)が山頂への「登拝」を行う場所となります。さらに時代が進むと、道者と呼ばれる一般の人々が、修験者に導かれて山頂を目指すようになりました。そして、17世紀以降は「富士講」と呼ばれる富士山信仰が隆盛します。数多くの富士講信者が登拝するとともに、山麓の霊地を巡る「巡拝」を行うようになり、登山者を支援する御師住宅など施設の整備も進みました。現在も夏の登山時期になると、御来光を拝んだり、噴火口周囲を一周するお鉢巡りなどをしたりするために、山頂を目指す人々で賑わっています。