四方山見物34

 



熱海温泉は、その知名度に恥じない"歴史"と"湯量"を誇る温泉郷です。 また、42度以上の高温泉がその約9割を占め、平均温度は約63度と、源泉総数が500を超える温泉場としては、全国屈指の高温泉リゾートです。明治24年(1891)に熱海村は熱海町となり、昭和12年4月10日多賀村と合併して熱海市が誕生しました。また、「熱海」と書いて、「あたみ」と読むこの地名の由来は、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになったと言われています。



山の上からは海に離島が浮かぶ美しい風景が、海岸からは山の斜面にリゾートホテルや旅館が立ち並ぶ、「熱海」ならではの景観も特徴のひとつです。 日本有数の温泉地として古くから栄えているため、温泉宿が多く、昭和の面影を残す街並みやレトロな喫茶店なども点在しています。熱海市は、山と海に囲まれた自然豊かな地域です。 海岸線に沿ってリゾート地が広がっており、海を一望できる場所も多く、海の波や潮風からも熱海を満喫できます。 漁業も盛んで、いつでもおいしい魚介類を楽しめるでしょう。

 

熱海駅から徒歩で約15分で行ける熱海海岸は、青い海と白い砂浜、外国の高級リゾートに似た雰囲気のビーチです。夏は海水浴場として、シーズン通して砂浜を散歩することができ、家族ずれの人気の場所になっています。熱海の海岸は、「♪熱海の海岸 散歩する 貫一、お宮の二人連れ…」。そう、明治時代に書かれた尾崎紅葉の小説「金色夜叉」で知られる熱海の海岸です。その海岸も今では「熱海サンビーチ」と呼ばれています。

 

明治時代に大ヒットした小説『金色夜叉』。熱海を舞台としたこの物語は、昭和に入ってからも何度も映像化され、熱海の地を一躍有名にしました。そんな金色夜叉のハイライト、熱海海岸での別れのシーンを再現した銅像が、熱海中心部の海岸付近に設置されています。そのかたわらに立つ立派な大きな松は「お宮の松」と呼ばれ、親しまれています。熱海駅から海に向かって歩くこと約15分。温泉旅館やホテルが立ち並ぶ国道135号線沿いに、日本髪の女性と学ランに身を包んだ男性の銅像が立っています。この像は明治時代の小説『金色夜叉』の代表的なシーンを再現したもので、舘野弘青が制作しました。主人公の間貫一(はざまかんいち)にはお宮という許嫁がいましたが、お宮がダイヤモンドの指輪に目がくらんで富豪の富山唯継に嫁いでしまいます。このことに腹を立てた貫一が、熱海海岸でお宮を問い詰め、復讐を誓うという場面を表したのがこの銅像です。



「来年の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる」という貫一のセリフが有名ですね。この物語は完結する前に作者の尾崎紅葉が亡くなってしまったため、弟子の小栗風葉が完結させました。金色夜叉のヒットは、そして物語の舞台になったことで、熱海の名は一躍世間に広まったのです。その後、昭和に入ってからもこの作品は映画化やドラマ化され、今でも幅広く愛されています。貫一お宮の銅像のすぐ隣には立派な松の木が生えており、「お宮の松」の愛称で親しまれています。この松はもともと「羽衣の松」という名前でした。ですが小栗風葉が松の木のそばに金色夜叉の句碑を立てたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれるようになったそうです。そんなお宮の松ですが、実は現在の松は二代目なのです。初代の松は現在の国道135号線が通る場所に生えており、その両脇を人馬が行き交っていました。しかし自動車が普及すると、道路の真ん中に生えていたお宮の松は排ガスの影響で枯れてしまいます。

 

その後地元のホテルの寄贈により二代目お宮の松が植えられることになり、1986年には熱海ロータリークラブにより、二代目お宮の松の隣に貫一・お宮の銅像が立てられたのでした。初代の松は現在切り株となって、二代目の松の隣に飾られています。初代お宮の松が植えられていた場所は現在アスファルトが敷かれ、車道になっています。ですが、松が生えていた場所の路面には「初代のお宮の松跡」と刻印された小さなプレートが埋め込まれていますよ。大きさはタテ15cm・ヨコ25cm。重さ28kg・長さ30センチもの杭を付けて、動かないように路面に固定されています。場所は、二代目お宮の松の横断歩道のそば。銅像を見に来たら、ぜひこのプレートも探してみてください。その際には車にじゅうぶん注意しましょう。熱海が舞台となった小説『金色夜叉』から生まれた観光スポット「お宮の松」。すぐ目の前は熱海を代表するサンビーチで、記念撮影にも最適なスポットです。

 

温暖な気候に恵まれた伊東ではみかん狩りが楽しめます。自分の手で収穫したみかんはフレッシュで美味しいと評判!みかん畑は起伏に富んだ海岸線に広がっているため、獲れたてのみかんを海を見ながら食べられるのは魅力的!10月~1月頃までは温州みかん、2月~6月頃までは甘夏みかんなど、時期によって収穫できる種類は異なります。伊東で生まれた童謡「みかんの花咲く丘」で歌われるのどかな風景を眺めながらみかん狩りを楽しんでみませんか?



雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる
雨は真珠か 夜明けの霧か それともわたしの 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ 

 

約4000年前、大室山が噴火した時に流れ出した溶岩によってできた「城ヶ崎海岸」は、全長約9kmのピクニカルコースと自然研究路を散策するのがおすすめです。特に全長48m×高さ約23mの「門脇つり橋」はスリル満点の絶景スポットです。360度のパノラマ風景が楽しめる「門脇埼灯台」の展望台からは伊豆七島や天城連山を望むことができます。雄大な景色のほかにも、6月にはアジサイ、7月にはハマカンゾウやスカシユリ、秋にはイソギクやツワブキなどの可愛い花々が楽しめます。

 

伊東市街の南、富戸から八幡野にかけて連なる9kmのリアス式海岸。海中に流れ出た溶岩が波に浸食されて数十メートルの断崖を形成しています。海岸には80ヵ所あまりの岬と20あまりの岩礁が点在し、原生林の続く台地には日本一のヤマモモ群生地があるほか、ヒメユズリハの群生地やノウサギ、岩ツバメなどの動植物をみることもできます。ピクニカルコースや自然研究路などの自然のまま生かした遊歩道が整備されています。



太古の伊豆の火山活動を物語る、溶岩の雄々しき断崖の果て。かつて南海の火山島だった伊豆半島が、フィリピン海プレートとともに膨大な時間の流れの中を次第に北上し、日本列島に衝突して伊豆半島となったことは、現在ではよく知られるようになりました。伊豆ジオパークを代表する景観の一つとなっている伊東市の城ヶ崎海岸も、約4000年前の火山活動によって形成されたもの。

 

大室山付近の火口から流れ出した大量の溶岩が相模湾まで流れ下り、その末端が荒々しい岩場の断崖として屹立しています。海水で冷やされた溶岩に見られる、柱状節理も見事。数千年前の太古の時間がそのまま岩塊化したような景観は、悠久の大地の中にうごめく巨大な力を想像させてくれます。

 

相模湾に流れ込んだ溶岩が複雑な地形となった城ヶ崎海岸一帯。その北部の門脇埼付近は、溶岩流の構造や地形形成のメカニズムを見る格好のポイントで、つり橋からは溶岩が冷えてゆく際に生じる柱状節理や、すでに冷えて固くなった表層を破壊しつつ溶岩が流れた経過も見てとることができます。宇根は、富戸海岸の溶岩地形を遠望できるほか、江戸城のために用意されたという築城石で知られ、また城ヶ埼海岸南部にはテーブル状溶岩のいがいが根などの見どころがあります。



門脇つり橋は、ぼら納屋・海洋公園間の全長約3kmのピクニカルコース(ハイキングコース)の中間点にあります、高さ23m・長さ45mの海のつり橋です。門脇灯台は、昭和35年3月に建設されましたが、平成7年3月に展望台付きの灯台に改築されました。地上17mの展望台からは、遠く伊豆七島や天城連山の峰々を望むことができます。「かどかけ」と門脇岬の間は、現在は休火山となっている伊豆高原の大室山が4000年前の火山活動で、溶岩が海岸まで流れ、表面の冷却した部分を残して海面に流れ出して行った跡で、台地のうしろに大きなくぼ地を残しています。

 

門脇灯台にのぼれば、海岸の雄大な景観と城ヶ崎を作った大室山の遠景を一望できます。起伏に富んだ海岸線にかかるつり橋からは、溶岩が冷えて収縮する際にできる柱のような形をした岩「柱状節理」も観察できます。溶岩の表面は赤みを帯びたぎざぎざした岩で覆われています。これは、溶岩が流れる際に先に冷え固まった表面の「殻」が、後から流れてきた溶岩に砕かれてできたもので、「クリンカー」と呼ばれる構造です。赤みを帯びているのは空気に触れていた溶岩の表面部分が酸化して酸化鉄ができたためです。岬付近はぎざぎざしたクリンカーに表面を覆われていますが、そうした厳しい環境にも適応した植物も多く見られますので、季節の植物も見どころです。

 

神奈川県・三浦半島の城ケ島から相模灘を照らす灯台。その起源は江戸時代前期の烽火台にまでさかのぼり、明治初期に日本で5番目の西洋式灯台として初点灯されました。景勝地としても知られ、快晴の日は、伊豆大島や富士山なども一望できます。伊東市富戸の定番観光スポット「城ヶ崎海岸」を代表する見どころのひとつで、展望台つきの白い灯は、高さは地上24.9mで、第1展望台は地上17m、第2展望台は地上4mの位置にある。記念撮影スポットとして人気があるほか、晴れた日には遠くに伊豆七島や天城連山まで見渡せる絶好のビュースポットとなっています。断崖絶壁のスリルが味わえる城ヶ崎の名所「門脇吊橋」のすぐそばにあります。



静岡県伊東市富戸、城ヶ崎海岸の門脇崎に建つ灯台が、門脇埼灯台です。城ヶ崎ピクニカルコース途中で、灯台の北側には門脇つり橋(海の吊り橋)があり、城ヶ崎海岸のハイライトになっています。現在の灯台は平成7年完成で(初点灯は昭和35年3月)、展望台(無料)を兼ねた灯台となっています。

 

門脇埼灯台から、半四郎落としに架かる門脇つり橋(海の吊り橋)を渡った、柱状節理の発達した岬に立つのが、『城ヶ崎ブルース』歌碑です。実は、作詞の星野哲郎(日本作詩家協会名誉会長)は、伊豆の温泉地に旅をすることが多く、伊東、網代のスナックで、コースターやナプキンによく詞を書いていたんだとか。そんな雰囲気で生まれたのが『城ヶ崎ブルース』で、遠笠山(伊豆市菅引)という伊豆東部火山群の山の名が歌詞に織り込まれているのも、伊豆に詳しかったからです。



 

そもそも橋(または橋梁)というものは、海や川、谷などをまたいで架けられるもので、2つの地点を通行しやすいように効率よく繋いだものです。橋の上は眺望がよかったり開放感が得られたりと、ドライブでは人気のスポットであるといえます。では、この2つの地点の高低差が大きい場合はどうするのでしょうか。まっすぐ繋ぐと急勾配になってしまう場合はあえて距離を伸ばして、走りやすい勾配にする必要があります。そうして誕生したのがループ橋です。



こうしたループ橋は高速道路のジャンクションやインターチェンジなどでもよく見られるので、けして珍しいものではありません。ところが同じ場所を2周もするとなると話が違います。南伊豆の河津町にある「河津七滝ループ橋」は美しい2層ループを持つ全国でも有数の珍しいループ橋です。

 

正式名称は七滝高架橋といい1981(昭和56)年に完成しました。以前は山の斜面を走る道路がありましたがマグニチュード7.0という地震で崩落しました。その教訓を生かして採用されたのが2層ループです。高低差は45mもありループの半径は40mです。取付道路も含めた橋全体の長さは1064mほどもあります。完成当時は多くの人が橋を見るために訪れたといい、今でも河津の名所のひとつにも数えられています。

 

ループ部分の制限速度は40km/hになっています。駐停車禁止で歩道もないので、橋を歩いて渡ることはできません。速度を守ってぐるぐる回る体験を楽しんでみましょう。ゆっくりと眺めるならループの中心部にある駐車場が適しています。少し歩くと橋の構造がきれいに見える場所があるので記念写真撮影などを楽しめます。駐車場は、国道414号線ループ橋の南側から「河津七滝」の案内に従って進んだところにあります。



見れば見るほどどうやって造ったのか知りたくなります。現在駐車場になっているループの中央に巨大なクレーンを立てて、分割した橋梁を吊り上げながら下から順に造っていったと云います。3年がかりの大工事で、完成後には優れた橋梁などに贈られる「土木学会田中賞」を受賞しています。



河津には数々の滝が存在します。その中でも特に有名どころになっている七つの滝を「河津七滝」と呼んでいます。河津七滝は片道約1時間かけて巡ることが出来る全長850mの遊歩道があり、46mの吊り橋や伊豆の踊り子像が2ヶ所あります。落差22mの釜滝には滝のしぶきが当たるほど近い展望デッキがあります。

 

河津七滝温泉、大滝温泉は伊豆の天城山ふもと河津町の河津川上流の渓谷に佇む静かな 温泉街。河津では滝のことを「水が垂れる」 という意味で垂水と呼んでいました。「 ななたき 」ではなく「 ななだる 」と 呼んでいます。河津七滝温泉には温泉の他に川端康成著「伊豆の踊り子」の舞台でも有名で 七つの雄大な滝の他、旧天城トンネル等見所が沢山ある観光地でもあります。また近年では1月下旬より3月上旬にピンク色に咲き誇る「河津桜まつり」も開催され多くのお花見客でにぎわいます。春はバラと菖蒲、夏は海、秋は紅葉、冬は河津桜・・・と通年遊べる観光地です。

 

河津七滝は、その名の通り7つの滝があります。滝を「タル」と呼ぶのは、平安時代から続いている貴重な民俗語で、水が垂れるという意味の「垂水(たるみ)」がそのルーツです。遊歩道を約1時間かけて7つの滝を見ることができます。秋には、「天城路もみじまつり」が開催されます。河津七滝観光協会では、各加盟店にて無料で車椅子の貸出をしております。初景滝へ車椅子で行く事が出来ます。



河津地方では滝のことを「水が垂れる」と表し、「滝」のことを「だる」と読んでいます。約1.5キロほどの間に大滝、出合滝、かに滝、初景滝、蛇滝、海老滝、そして釜滝の七つの滝が連続する場所が河津七滝です。森と渓流を楽しみながら、滝めぐりができる観光名所として季節を問わず多くの人が訪れています。日本で最も降水量が多い場所は、実は天城山です。2021年は、全国で唯一年間降雨量が5000ミリを超えた場所として話題になりました。その天城山に降り注いだ雨が染み出し大きな流れとなったのが河津川で、その大量の水が伊豆独特の急峻な地形を流れ、滝となって現れたのが河津七滝です。



 

川端康成の「伊豆の踊子」で知られる峠です。東の天城連山と西の猫越火山連峰の鞍部に位置し、その真下に旧天城トンネルが通じています。一帯は天城国有林のスギ・ヒノキ・ツガなどが生い茂り、物語の舞台となつた頃の情緒をよく残しています。現在は天城トンネル有料道路が通り、快適に天城越えができますが、昔ながらにハイキングを楽しみに訪れる人も多いです。旧天城トンネルからは、踊り子ハイキングコースが浄蓮の滝や河津七滝へ伸びています。

 

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた」川端康成の名作『伊豆の踊子』の書き出しです。この小説の舞台となった天城峠は、静岡県伊豆の下田から三島に抜ける下田街道(現国道414 号)の河津町と天城湯ヶ島町との町境にあります。下田街道は、江戸時代末期に黒船来航と下田開港に伴って頻繁に利用されるようになったため、1893年から道路の改良が行われましたが、途中の天城越えが最大の難所となっていました。そのため、1900年に天城山隧道(旧天城トンネル)の建設が始まり、1905年に全長446m、幅員4.1mの重厚な石造りのトンネルが開通しました。



旧天城トンネルは大仁町で産出される吉田石を使った石巻工法によって建設されました。日本に現存する石造り道路トンネルの中でも、最大長を有する貴重な土木遺産です。さらに、坑門及びトンネル内部覆工の全体に及ぶ切石積みと、両坑門の要所に施された多彩な石材加工には、精妙な技術が存分に発揮され、技術的完成度が高いです。供用以来100 年の時を経て、今なお息づく明治の知恵と職人技には今更ながら驚かされています。天城路は1986年8月に「日本の道100選」に選ばれて、その天城路の象徴的存在である旧天城トンネルは、2001 年6 月にトンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されました。

 

土肥温泉街より南に8kmほど行った国道136号沿いの「恋人岬」バス停から、富士見遊歩道と木製デッキを進んだ先にあります。岬の先端にある展望デッキは180度以上のパノラマが拡がり、富士山や駿河湾を一望できます。展望デッキにある、愛の鐘「ラブコールベル」を3回鳴らしながら愛しい人の名を呼ぶと愛が実るといわれており、伊豆の恋愛パワースポットとして、恋人達や観光客で賑わいます。ここで鐘を鳴らして、遊歩道入口にあるステラハウスで恋人宣言証明書を発行してもらいめでたく結婚にゴールインすると、祝電または記念品が届くなど数々の特典が付与されます。





堂ヶ島やその周辺の海岸線は、伊豆の火山活動で生まれた起伏に富んだ海岸線が、雄大で美しい景観を形作っています。堂ヶ島から出港する観光船クルーズ「堂ヶ島マリン」でその全貌が見渡せます。国の天然記念物、天窓洞も海上からはこの観光船でしか行けません。一番遊覧時間が短く、手軽なコースは「洞くつめぐり遊覧船」です。所要時間は20分ほどで、天窓洞だけでも見たいという人におすすめです。安全でひとりでも乗船できますので、一人旅から女子旅、家族連など、多くの人におすすめできる観光船です。

 

昭和10年、天然記念物に指定された天窓洞は、凝灰岩でできている海触洞くつです。入口が東口、南口、西口と3つあり、特に南口から入る洞くつは巾も広く長さは147m にも達し、中央は天井が丸く抜け落ちて天窓をなし、洞くつ内に光が射しこんでます。季節・時間・天候により水の色が様々に変化し、何度見ても感動します。

 

堂ヶ島の沖に浮かぶ4つの島が「三四郎島」です。高島、沖ノ瀬島、中ノ島、象島(伝兵衛島)の4つの島が海岸から一直線に並んでおり、見る角度によっては3つの島に見えることから三四郎島と呼ばれるようになりました。一番海岸に近い象島(伝兵衛島は、干潮時に砂州があらわれ、海岸から歩いて渡れることで知られています。満潮時は小舟が通行できるほどの深さがありますが、大きく潮が引いたときには最大で幅30mの砂の道になります。島までの距離は200mほどで、1時間ほど足をぬらさずに渡れます。

 

干潮に砂州が現れる現象をトンボロ現象といいます。潮位が30cm以下の場合はトンボロ現象が現れ、50cm以上だと残念ながら渡れません。また悪天候の場合も通行禁止になります。静岡県の天然記念物にも指定されているので、堂ヶ島に立ち寄った際は、ぜひ現象を狙ってみてはいかがでしょうか。また、干潮時の潮位30cm以下になると「トンボロ現象」を見ることができます。これは、堂ヶ島の沖合に浮かぶ三四郎島との間に現れる、幅約30cmの「海の道」のこと。トンボロ現象でできた「潮だまり」には、エビやナマコ、うみうしなど、たくさんの海の生き物がいます!足を怪我しないよう、スポーツサンダルやマリンシューズなどを履いて観察してみましょう。満潮時には完全に海水で覆われてしまいます。ちょうどトンボロ現象が起こるタイミングに出会ったら、ぜひ歩いて三四郎島へ渡ってみてください。
※海の道が現れるのは約2〜3時間の間なので、道が細くなってきたらすぐに引き返しましょう。

 

静岡県西伊豆には、透き通った青い海や、洞窟、島々などバラエティに富んだ神秘的な風景が広がっています。中でも人気なのが、遊覧船で青の洞窟の中に入ると見える「天窓洞」。天窓洞からの光に吸い込まれていくような、神秘的な感動を味わえます。その後、島の周辺の遊歩道を散策するのも、景色の楽しみ方のひとつです。



「青の洞窟」という言葉を聞いたことがありますか?この言葉は、太陽の光が海底に反射して、海の青さが強調された光景を表しています。イタリアの「青の洞窟」に代表されるように、この現象は世界でも至る所で見られるものです。西伊豆は海岸沿いに位置し、常に強い波が打ち付けているため侵食されてできた洞窟がたくさんあります。それが美しい景観を作り出し、世界中の人々を魅了しています。東京駅からだと新幹線で1時間半ほどとアクセスも良好です。洞窟へは遊覧船やクルーズで近づくことができます。いくつかのルートから選ぶことができますが、いずれも洞窟内とその周辺を回ります。それぞれ、天候や時間帯によって見どころが異なります。

 

「堂ヶ島天窓洞」は堂ヶ島を代表する名所です。柔らかい凝灰岩でできた岩を波が浸食して洞窟になったもので、中へは遊覧船で入ることができます。真ん中が丸く天窓のように開いており、そこから注ぐ太陽の光が海水に差し込み、青く光る様子はとても幻想的です。まさしく「青の洞窟」。洞窟への入り口は何カ所かあり、中は蜂の巣のような構造です。遊覧船は真ん中にある天窓のところまで入ります。青く光る魅惑的な風景を思う存分堪能できるでしょう。



天窓洞へは陸上を歩いて行けます。岩山の遊歩道(「堂ヶ島遊歩道」)を歩いていると、途中に丸い大きな穴があり海面が見えます。これが天窓洞の天窓の部分で、洞窟の中を遊覧船が行き交っています。遊歩道からは残念ながら洞窟の中へは入れません。また堂ヶ島天窓は1935年(昭和10年)に国の天然記念物に指定されているほど美しいので、その自然が生み出した素晴らしい景観を海から、陸から楽しんでください。

 

クルーズの後は、島沿いの遊歩道を散策するのも堂ヶ島を楽しむおすすめの方法です。何と言っても陸と海の異なる角度から天窓洞を見られるところが魅力です。階段を上っていくと、天窓洞を地上から見られるポイントに着きます。こちらからは、自分たちが乗っていた船が走っていく姿を見ることができますよ。徒歩の場合は自分のペースで進めるので、至る所で写真を撮るチャンスもあります。

 

「下田海中水族館」は、天然の大水槽である下田湾の入江を利用した水族館です。園内では、イルカショーを始め、アシカ、アザラシなどのさまざまなショーが開催されています。また、入江に係留された「アクアドームペリー号」という水族船では、伊豆の海を再現した水量600トンもの船内にある大水槽で、50種1万点の伊豆近海の生物を展示しています。

 

下田海中水族館に入ると、カメ池に暮らすウミガメ達がお出迎えをしてくれます。世界には約8種類のウミガメがいるとされていますが、下田海中水族館で飼育しているウミガメはそのうち「アカウミガメ」と「アオウミガメ」の2種類です。アカウミガメは毎年5~8月ごろ、下田周辺の砂浜へ産卵のためにやってきます。カメは砂浜に穴を掘って地熱で卵を温め、卵がかえるまでおよそ2カ月かかります。また、1回の産卵で90~130個もの卵を産みます。



「下田海中水族館」のショータイムは、何度見ても見るたびにひと味違う。天然の大水槽である下田湾の入江を利用して開催されるイルカショー「ワンダーオーシャン」は、「下田海中水族館」ならではの海を使って繰り広げられる豪快なイルカショーで、海抜0mの視線から至近距離でショーを見ることができます。ダイナミックな大ジャンプと水しぶきが魅力のショーは、いつ何度見ても飽きないし、わくわくさせてくれます。

 

全面がガラス張りとなっている水量500トンのマリンスタジアムプールでは、カマイルカやアシカたちの自慢の技を見ることができます。カマイルカは、存分にその高い能力を発揮し、切れ味抜群の大ジャンプや回転技などで観客を沸かせます。アシカショーでは、コミカルな動きとともに回転ジャンプなどを披露する陸上種目が繰り広げられ、これが実に楽しませてくれます。そして、人と動物との信頼関係がないと成り立たないであろう水中ダンスは、世界でも大変珍しく、感動すること間違いなしの必見のショーです。



イルカとの触れ合いといえば、イルカショーや餌やりなどが一般的ですが、「下田海中水族館」は一線を画しています。同じイルカショーでも遠くから見るものとは違い、入り江に棲むイルカが観覧者の頭上を飛び越えるという企画もあるのです。それが「下田海中水族館」のショーのメインでもあります、自然の海の中で行われる海上イルカショー「ワンダーオーシャン」です。バンドウイルカが自然の海をのびのびと泳ぎまわるエリアで開催されるため、イルカたちを間近に見ることができます。

 

ショーステージの両側に、箱型の浮き船になっているショー観覧専用席「アメージング・シート(有料)」を設置。海抜0mの視線から至近距離で、イルカたちの表情や仕草を感じることができます。目の前を超高速で駆け抜け、大ジャンプするイルカたちからは水しぶきが飛び散り、頭上を飛び越えるサプライズプレゼントも体験できます。イルカを身近に感じ、そしてより愛しく感じさせてくれるオリジナルな企画です。下田海中水族館では、ただ水槽を眺めたりショーを見たりするだけではありません。シーカヤックでイルカと触れ合える”ふれあいの海”があり、好奇心が旺盛なバンドウイルカがカヤックを追いかけたり、並走したりしてくれます。また、カヤックに乗ったまま海上ステージのイルカショーが見られるため、迫力満点です。

 

下田港は、静岡県下田市にある港湾です。駿河湾に面しており、伊豆半島の付け根にあります。港の面積は約120ヘクタールで、水深は最大12メートルです。港内には、防波堤が整備されており、船舶の避難場所となっています。また、港には、旅客ターミナルや貨物ターミナルがあり、伊豆半島と伊豆諸島を結ぶ旅客船や貨物船などが発着しています。下田港は、古くから港として利用されており、江戸時代には、黒船来航の舞台となりました。明治時代以降は、外国貿易の拠点として発展し、大正時代には、造船所が建設されました。昭和時代に入ると、下田港は、観光港として整備され、現在では、多くの観光客が訪れています。



下田港は、古くから天然の良港として知られていました。江戸時代には、徳川家康の命により、伊豆半島の先端に位置する下田港が整備され、海外との交易拠点となりました。1853年にペリー提督が来航した際には、下田港がその拠点となりました。また、1858年には日米修好通商条約が締結され、下田港は開港場となりました。開港後は、外国船の寄港が増加し、下田港は国際貿易の拠点として栄えました。しかし、明治時代になると、横浜港や神戸港などの近代的な港湾が整備され、下田港の重要性は低下しました。その後、下田港は、主に国内貿易の拠点として利用されるようになりました。近年では、下田港は観光地としても人気を集めています。特に、毎年4月に開催される「下田ペリー祭」は、多くの観光客が訪れます。また、下田港には、ペリー提督来航記念碑や、黒船来航資料館などの史跡があり、多くの観光客が訪れています。