四方山見物25

 



 

伊香保御関所(口留番所)案内板によると「伊香保温泉から吾妻郡へ向う出口に百姓関を設け、地元から関守を選び、警固に当て樵夫、草かり、農耕作人の外は一切関所手形がなければ通行ができませんでした。これは伊香保温泉に出入りする湯治客が対象で、江戸からの子宝の湯と喧伝されて婦人客が多かったので「入鉄砲に出女」の詮議がきびしく取締られ尼さん、少女、前髪立ちの若者まで不審の者を捕まえれば、ご褒美まで与える仕組みになっておりました。」とあります。

 

伊香保御関所は寛永8年(1631)に三国街道(中山道の高崎城下から北陸街道の寺泊港までの街道)の裏往還である伊香保街道(佐渡奉行街道の大久保宿から伊香保温泉までの街道)が開削されると幕府の命により設置され、当時の関所の建物は間口5間、梁間3間、萱葺だったとされます。明治5年(1872)宿駅制度廃止令が発令されると伊香保御関所も前後して排されたと思われます。現在は資料館として外観が復元され敷地内には門柱の礎石や取り調べ石、お辞儀石が保存されています。

 



湯治場として有名な伊香保の歴史は古く、たくさんの温泉客でにぎわってきました。そのシンボルとして知られているのが天をめざしてどこまでものびているような石段です。今ではその数365段!そこには歴史を感じさせる風情が漂っています。石段は伊香保のシンボルです。石段をはさんでお土産物屋や饅頭屋、遊戯場が並び温泉情緒もたっぷりの佇まいで観光客の旅情をそそります。400年前にさかのぼる伊香保温泉の始まり、このときに石段は作られました。今の石段は昭和55年から5年をかけて大改修されたもので、みかげ石が敷かれています。



 

 

古くから親しまれている伊香保温泉では、2010年に石段を新設して365段になりました。広場や温泉水が流れる「湯滝」なども設けられ、今までよりもいっそう親しみやすい伊香保の名物となりました。この石段には「温泉街が1年365日、にぎわうようになってほしい」という繁栄の願いが込められています。石段街には200年以上昔に大家と呼ばれる12の温泉宿があり、干支はそれぞれの家紋のような意味合いを持っていました。現在は、その宿のあった場所に十二支の印が石段にしるされています。石段街をのんびりとお散歩がてら、自分の干支を探してはいかがでしょうか。



 

伊香保神社は、富岡の貫前神社、赤城の赤城神社とともに、上野国三ノ宮として親しまれた由緒ある神社。祭神は大己貴命と少彦名命で、温泉・医療の神様。石段をはさんだ両側にはお土産店や遊戯場、饅頭店などが並び、温泉街の風情が感じられる魅力あふれる人気スポットです。そしてこの365段もある石段を上りきった頂上にあるのが伊香保神社である。伊香保神社の現在の御祭神は大己貴命と少彦名命であり、現在の地に移ってから祀られたといわれています。また大己貴命は国造りの神、農業・商業・縁結びの神であり、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、子授などのご利益があるといわれます。さらに少彦名命は穀物・酒造・医療・神であり、国土安寧、産業発展、縁結び、安産などのご利益があるといわれています。

 



群馬県吾妻郡中之条町にある温泉です。長笹川の川底から温泉が湧き出しており、自然豊かな地域です。この温泉地の魅力は「川の湯」と呼ばれる巨大露天風呂で、川がせき止められ、30m四方もある雄大な露天風呂が作られている。自然の中の温泉なので、自由入浴。24時間、無料で温泉を楽しむことができます。更衣室がないため、はじめから水着を着用して来る人が多いです。「川の湯」の脇には小さな湯小屋があり、なかには半露天の小さな浴槽が設けられています。ただしここでの水着の着用は禁止です。名前の由来は、川底から湧出している温泉で温められた石に腰を下ろして痔を治したこと、すなわち尻を焼いたことだという事です。

 

 

日向見薬師堂は、永延3(989)年のころ、源頼光の家来、碓氷貞光が越後から木の根峠を越えて日向見で夜を明かすことにして、谷川の音に心を静めて一晩中お経を読んでいました。夢の中に現れた一人の童子から「あなたの読経の真心に感心し四万の病気を治す温泉を与えよう、われはこの山神である。」と神のお告げを聞き、目を覚ますと枕元に温泉が湧き出ていたという伝説が あります。このめでたいしるしに感じ、お堂を建てて本尊の薬師如来の像をまつりました。この薬師様は病気を治す為に温泉に来る人から「湯前薬師」と敬われ昔から沢山のお参りがありました。

 

現在の堂は慶⾧ 3 年(1598 年)に当時の領主「真田信幸(信之)」の武運長久を祈願して建立されました。また、天井に描かれた龍は複数の小さな足があり、一説では「ムカデ」から想像されたとされています。ムカデは武神である毘沙門天の使いであるうえ、前進しかせず不退転として武将に好まれていました。明治 45(1912)年に国宝に指定されましたが、昭和 25(1950)年の法律改正によって国指定重要文化財となりました。県内最古の木造建築でもあり、関東地方では数少ない貴重な建物です。現在、薬師堂にはしゃもじが奉納されていますが、これは「救われる」という意味と「食べる物に困らない」という願いが込められています。



 

四万川は、群馬県吾妻郡中之条町大字四万の新潟県との境にある三国山脈に源を発しています。南に流れ四万川ダム、中之条ダムを経て、下沢渡で上沢渡川を合わせています。東南へ流路を変え、中之条町大字中之条町と東吾妻町大字原町の境界で吾妻川に合流します。

 



四万川ダムは、群馬県吾妻郡中之条町四万地先、利根川水系四万川に建設された重力式コンクリートダムです。堤高の89.5メートルは群馬県が運営するダムとしては最も高いダムです。国土交通省の地域に開かれたダムに指定されており、西洋の城を想起させるデザインが施されています。

 

四万川沿川の洪水被害の軽減、中之条町、太田市など東毛地域の水道用水の確保、発電を目的として建設された四万川ダムは、四万温泉街の直上流に位置し、上信越高原国立公園内にあるため、工事にあたっては周辺環境に非常に配慮したダムです。また、地域の創意工夫を活かすとともに、ダムを地域に一層開放していくために、平成6年度に「地域に開かれたダム」の指定を受け、ダム湖周辺の環境整備などを地元と協力して実施しました。ダムが地元にとって魅力ある施設となり、地域の活性化に貢献することが期待されています。



四万湖は、周囲5キロメートルほどの人造湖で、県営中之条発電所の貯水池(中之条ダム)です。 湖水の色は、見る人の心を引き込むような不思議な色で、光の加減や時間帯によって1日のうち何度となく変化します。これは、裏磐梯の五色沼と並び称されています。

 

四万温泉の一番奥に位置する奥四万湖は一周4㎞、四万川ダムによりつくられたダム湖です。ここに湛えられる水はとても神秘的な不思議な青い色をしています。最近では『四万ブルー』として着目されています。綺麗な水ほど青色を反射するといわれ水が透明な証拠になります。この水の美しさに加え、鉱物などの成分が混ざり青く見えるとも言われています。この四万ブルー、場所や季節、天気、時間帯によって色々な表情をみせます。 特に青がキレイなのは、雪解け水の流れ込む4月から5月で、より一層綺麗な色をご覧いただけます。 晴れて湖面に日が射している日の午前中もおすすめです。湖の周りは一方通行で、車で一周でき、せせらぎ公園や見晴台などが整備されています。 JR 東日本「大人の休日倶楽部」CM にて女優の吉永小百合さんも体験していたような、湖面でのカヌーも楽しめます。奥四万湖の紅葉は10月中旬~11月上旬頃です。



草津温泉は古くから人々に愛され、人々を癒してきた名湯。日本武尊や行基、源頼朝の開湯伝説をもち、日本最大の湯量と優れた治癒効能を誇るだけに、戦国時代には多くの武将が湯治に訪れ、又江戸時代には、文人、歌人をはじめ、年間1万人を超える来浴者が往来し、「草津千軒江戸構え」と詠われるほどの賑いをみせました。徳川八代将軍吉宗も草津の湯を江戸城まで運ばせて入浴したと言われ古くから栄えた温泉町です。

 



 

自然湧出量は日本一を誇り毎分32,300リットル以上、1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しています!草津の旅館や温泉施設で「源泉かけ流し」ができるのはこのおかげ。”源泉の湯”を心ゆくまで堪能してください。さらに驚くべきは、その泉質!日本有数の酸性度で、pH値はナント2.1(湯畑源泉)。雑菌などの殺菌作用は抜群です。草津温泉は古くからたくさんの人々の心と体を癒し続けてきた名湯です。温泉街の中心に位置する湯畑は、草津温泉のシンボル。毎分4000リットルの温泉が湧き出ていていつも湯けむりを舞い上げています。湯畑の周りは瓦を敷きつめた歩道、石柵、白根山をかたどった「白根山ベンチ」など湯上がりの散策が楽しめる公園となっています。

 



 

 



草津温泉の源泉は熱く、約50℃近いものがほとんどで、そのまま入浴することはとてもできません。しかし温度を下げるために水を入れたのでは、温泉の効能が薄れてしまいます。そこで、熱い源泉の中に約180cmの板を入れて湯をもみ、入浴できるまでの一定の温度に下げる「湯もみ」が考え出されました。また、「湯もみ」をすることにより、温度を下げるだけでなく、湯を柔らかくする効果や入浴前の準備運動にもなります。

 

草津には江戸時代より、湯を冷ます「湯もみ」や、高温の湯をなるべく動かさぬよう皆で同時に入り、同時に上がるという集団入浴法がありました。その後明治に入ると、湯長の号令で時間を区切って入浴する「伝統湯」という入浴法が確立されました。 「伝統湯」では、入浴前に湯もみを行い、のぼせを防ぐために、手桶で頭に30杯以上の湯をかぶります。その後、湯長の号令で一斉に入湯し、3分間。同じく号令で一斉に上がる。これを1日4回繰り返します。 この「湯もみ」を行う際、調子を取るため歌われるのが「草津湯もみ唄」で、特に草津節が有名です。「伝統湯」は、最盛期には6か所の浴場で行われており、「熱乃湯」では昭和32年まで行われておりました。現在は「千代の湯」で行われております。

 



湯畑源泉を見下ろす高台にある真言宗豊山派の古刹は、僧行基によって開山されたと伝えています。本堂のほか薬師堂、釈迦堂、不動堂、稲荷社、鐘楼、湯善堂などがあります。寺宝には関白近衛龍山公直筆の法楽の和歌一巻、温泉来由記、日月堂縁起があり、釈迦堂の本尊は奈良東大寺の大仏の骨木をもって制作されたと伝えています。境内には宝篋印塔(安永2年(1773年)湯本紋左衛門が当時あった井堀観音堂境内に建立したもの)、釈迦堂本尊(元禄16年8月医師外嶋玄賀宗静の発願、湯本弥五右衛門が施主で建立し、釈迦如来は奈良東大寺公慶上人作)、芭蕉の句碑、近衛龍山公和歌(大正15年(1857年)准三宮前関白太政大臣近衛前久龍山公が草津温泉入浴の際、和歌を薬師に納めたもの)、入浴逝者の塔、魚籃観音のほか、湯善堂など多くの文化財、記念碑があります。



 

白根火山ロープウェイは、群馬県吾妻郡草津町にかつて存在した草津観光公社のロープウェイです。白根火山ゴンドラとも呼ばれていました。当ロープウェイは草津国際スキー場のスキー利用者専用のリフトとして建設され、1960年(昭和35年)に完成しました。その後、当ロープウェイが2度架け替えられました。名称はロープウェイとなっていましたが搬器はゴンドラリフトでした。グリーンシーズンも観光用として基本的に通年運行していました。草津国際スキー場中ほどに位置する山麓駅と、逢ノ峰と本白根山の間に位置する山頂駅とを結んでいました。山麓駅は殺生河原付近にあり、国道292号に隣接しています。山頂駅は標高2,027mにあり、山頂駅からは弓池近隣の白根レストハウスまで白根山シャトルバス(無料)が運行されていました。「わんこ入園料」を別途支払うことで、ペット犬を一緒に乗せることができました。



 

 

2018年1月23日、草津白根山の本白根山が噴火し、噴石の直撃により山頂駅の屋根に穴が開いたほか、ゴンドラの窓ガラスが割れるなどの被害を受けました。施設の一部が立入禁止区域に含まれており、火口のうち一つはロープウェイから100メートル程度の至近距離にあるため、草津町の黒岩信忠町長は「警戒区域から外すことは難しく、どこかで重い決断をすることになる」と廃止も視野に検討する考えを示した。



 

そして同年2月9日、再開することなく廃止とする旨が発表されました。山頂駅には各種観測機器が設置されているため、廃止後も存置される予定となっています。群馬県の「白根火山ロープウェイ」、かつて観光として賑わったこのロープウェイも2018年の草津白根山の噴火によって廃止に。現在乗車することはできません。



 



 

 





鬼押・万座ハイウェーは、『浅間・白根・志賀さわやか街道』に属し、長野県と群馬県をつないでいる、上信越高原国立公園を縦走する自動車専用道路です。浅間山の麓を走る鬼押ハイウェーは長野県軽井沢町と群馬県嬬恋村三原を結ぶ全長約16kmの道路です。また、白根山の麓を走る万座ハイウェーは群馬県嬬恋村と万座温泉を結ぶ全長20kmの道路です。春の新緑、夏の涼、秋の紅葉、冬の雪景色と四季を感じながら走れます。

 



高原野菜のキャベツ栽培で有名な嬬恋から万座温泉に向う有料道路。軽井沢(峰の茶屋)から嬬恋までの鬼押出ハイウェーと合わせて浅間白根火山ルートと呼ばれています。万座温泉からつづら折りを登ると志賀草津道路につながり、志賀高原と草津温泉のいずれにも行くことができます。料金所は6時から係員が配置される。志賀草津道路の草津側が火山警戒でバイクが通行禁止の場合でも、この道を利用すれば国道最高地点方面に行くことができます。