川俣湖は、鬼怒川が川俣ダムによってせき止められた栃木県最大の人造湖です。昭和41年(1966)に川俣ダムの完成によってできた人造湖です。湖底には落人集落といわれた川俣本村が沈んでいます。湖畔には遊歩道もあり、エメラルドグリーンの湖面や四季折々の自然の風景を楽しむことができます。面積は2.6平方キロメートルという大きさを誇ります。
川俣ダムは、鬼怒川改修工事の一環として計画され、昭和41年に完成した鬼怒川の最も上流に位置するダムです。洪水による下流河川のはんらんを防ぐための洪水調節、農業用水の供給、発電のためにつくられた、アーチ式コンクリートダムです。ダムサイトは、瀬戸合峡と呼ばれる奥鬼怒の景勝地であり、新緑・紅葉の季節の景観は素晴らしく、多くの観光客でにぎわっています。
川俣大橋は昭和37年(1962年)に川俣ダム建設に伴い作られた橋梁で、日光市内の旧栗山村を縦断する主要地方道川俣温泉川治線の川俣湖に架設されており、栃木県管理道路で唯一自動車が通行できる吊橋です。本橋梁の形式は、架設地点の地質が強固な花崗岩であり地形が左右岸とも急峻であることから、160mの橋梁を一径間で建設することとし、吊橋とランガートラス橋の2型式の比較検討を行い、経済性や美観等を総合的に検討した結果、吊橋が採用されました。本橋周辺の地名は「川俣」と呼ばれておりますが由来として、鬼怒川上流の山深い里が川の又になっている所に生まれたところから川俣になったといわれています。建設されて以降、約60年が経過しましたが、本橋梁は奥鬼怒温泉地区や川俣温泉地区などの地域住民の生活を支えるとともに、周辺にある「鬼怒沼」「間欠泉」「瀬戸合峡」などの美しい自然への観光資源への連絡橋として、今後もその活躍を続けることを期待されています。
栃木県道23号川俣温泉川治線は、栃木県日光市内の県道(主要地方道)です。本道路は、日光市栗山地区の中心部や奥鬼怒の川俣温泉と国道121号を結ぶ道路です。全線にわたり鬼怒川と並行しています。終点付近は川治ダム上を通り、葛老トンネルを通過し五十里湖畔で国道121号に接続するルートと、川治第一 - 第三トンネルを通過し、野岩鉄道川治温泉駅南側で国道121号に接続するルートの2つがあります。
本家伴久は日光・湯西川温泉の美しい渓谷にたたずむ、平家の流れを継承する湯西川温泉発祥の創業1666年の宿です。清流に手の届くような、源泉かけ流し露天風呂や貸切露天風呂では、大自然との一体感で心身が癒され開放されます。夕食処に向かう「かずら橋」を渡ると、日本の古き良き時代にタイムトリップ。(当地「源平の和睦式」の際に両家の子孫が共に渡り、八百年の時を超えて架け橋となった良縁の橋です。)
鬼怒川の上流に位置する瀬戸合峡は、凝灰岩が浸食されることによって生まれた峡谷で、深度100メートルにも及ぶ切り立った岸壁が約2kmにわたり広がっています。県道23号線の旧道は、眼下に瀬戸合峡を見ながら縫うように走って行きます。峡谷内にある川俣ダム正面の岸壁に架けられた吊橋「渡らっしゃい吊橋」からの眺望は絶景で、断崖を真近の感じることができます。紅葉の名所としても知られています。吊橋の近くには「天使の鐘」があり、鐘を鳴らすと幸せが訪れると言われ、写真スポットとしても人気があります。
ダム駐車場を出発し、川俣ダム・瀬戸合峡・瀬戸合峡遊歩道のあずまや・渡らっしゃい吊橋からダム駐車場に戻ってくるまでは、約1時間程度のハイキングコースとなっていて、途中401段の階段がある起伏が多いコースになっています。ダム駐車場を出発し、川俣ダム・平家塚・上人の池霊泉・二本松広場・川俣湖温泉無料湯くみ場・日帰り温泉「上人一休の湯」からダム駐車場に戻ってくるまでは、約1時間20分。湖畔の景色を楽しめます。
いろは坂は、日光市街と中禅寺湖・奥日光を結ぶ観光道路です。下り専用の第一いろは坂と上り専用の第二いろは坂の二つの坂を合計すると48か所もの急カーブがあることから「いろは48文字」にたとえてこの名がつきました。カーブごとに「い」「ろ」「は」・・・の看板が表示される急坂が続き、標高差は440m。特に第二いろは坂(上り専用)途中の明智平展望台からの眺めは抜群で、第一いろは坂を望むこともできます。秋には日光で最も紅葉の美しいスポットとしても知られ、絶景のドライブコースのため、大渋滞となるほどの人気です。通常上るのに20分ほどの道路ですが、渋滞時は2~3時間かかることが多々ありますので、紅葉シーズン中は余裕をもってお出かけすることをオススメします。
日本の道100選にも名を連ねる「いろは坂」。毎年紅葉シーズンになると、全国各地から多くの人がドライブで訪れる場所です。下り専用の「第一いろは坂」と上り専用の「第二いろは坂」で合わせて48のカーブがあることから、「いろは48音」になぞらえてこの名前がつけられたとされています。道の全長は15.8km、標高差は440mもあります。
いろは坂の起源は山岳信仰によるものです。782年、勝道上人が初めて二荒山(男体山)山頂を極め開山してから、信仰の道として利用されるようになりました。日光に東照宮が造られた江戸時代には遊山客も多く通るようになります。昭和になって車が通行するようになると、栃木県が1952年から日光市と奥日光を結ぶ幹線道路として大規模な改修を行い、その2年後の1954年10月に完成。現在では日光でもっとも紅葉の美しいスポットとして人気を集めています。
奥日光の入り口に位置する中禅寺湖は、周囲約25km、最大水深163mで、およそ2万年前に男体山の噴火による溶岩で渓谷がせき止められ、原形ができたといわれています。四季折々に美しい姿を見せることから、明治から昭和初期にかけては外国人の避暑地として賑わいました。その美しい光景は、現代にも受け継がれています。男体山のふもとに広がるのどかな湖畔からは季節によって様々な表情を楽しめますが、特に初夏のツツジ、秋の紅葉が見事です。また、遊覧船に乗って水上からの景色を楽しむのもオススメです。紅葉シーズンには「紅葉廻り」コースも運行されます。
日光の火山が活発に活動していた頃に、男体山の噴火によって出来たせき止め湖です。中禅寺湖の大きさは、東西約6.5キロメートル、南北約1.8キロメートル、周囲約25キロメートル、最大深度163メートル、海抜高度は、1,269メートルで日本一(人造湖を含まない面積4平方キロメートル以上の湖)です。湖一帯は山岳信仰の聖地として開け、長い間女人禁制でした。周辺には歴史を伝える遺跡や伝説も数多く残っています。
「日光杉並木街道」は、日光街道・例幣使街道・会津西街道の3つの街道に渡り、全長37kmもの道の両側に約1万2000本もの杉の木が鬱蒼とそびえ立つ並木道です。徳川家の忠臣・松平正綱が20年余りの年月をかけて20万本以上もの杉を植樹し、家康公の33回忌の年に日光東照宮の参道並木として寄進しました。現在日本で唯一、『特別史跡』と『特別天然記念物』の二重指定を受けており、1992年には「世界一長い並木道」としてギネスブックに認定されています。(※認定された長さは、35.4km日光街道を宇都宮方面に向かう森友地区付近には、杉に桜の木が寄生し共生している大変珍しい「桜杉」や、杉の根元に空洞があり大人4人ほどが入れる「並木ホテル」と名付けられた杉の木もあります。
日本を代表する世界遺産「日光の社寺」。その中でももっとも有名な「日光東照宮」は徳川家康がまつられた神社で、現在の社殿群は、そのほとんどが寛永13年3代将軍家光による「寛永の大造替」で建て替えられたもの。境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が並び、その豪華絢爛な美しさは圧巻です。全国各地から集められた名工により、建物には漆や極彩色がほどこされ、柱などには数多くの彫刻が飾られています。
日光東照宮は、元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年(1636)に造替されたものです。
日光東照宮の見所のひとつといえば「五重塔」です。この五重塔の第一層の壁には、塔をぐるりと回るように十二支の彫刻がほどこされています。正面の右からスタートした動物たちは、反時計回りに塔のまわりを並んでいるのですが、ふつうの順番とはすこし違っています。干支といえば、子→丑→寅→卯…という順ですよね?五重塔の干支は不思議なことに、寅→卯→辰→巳…というふうに寅から始まるんです。これは一説によると、徳川家康が「寅」、秀忠が「卯」、家光が「辰」と、三人の将軍の干支が偶然に並んでいたため、徳川家に敬意をはらって五重塔もそのように彫刻したといわれています。五重塔へ足を向けた際はぜひ、まわりを一周して東西南北に3匹ずつ並ぶ十二支たちを眺めてみてください。
日光東照宮をたずねると、さまざまな動物を見ることができます。それは、建物に彫られた動物たち! 彼らは動くことはありませんが、ユニークな表情やポーズで私たちの目を楽しませてくれます。いちばん有名なのは、なんといっても「三猿」です。ことわざの「見ざる、言わざる、聞かざる」をご存知の方も多いはず。その文字どおり、三匹の猿がそれぞれ耳と口と目をふさいでいる姿はどこか愛嬌があり、まるで猿たちが喜劇を演じているようなユーモアが感じられます。
そして「眠り猫」もまた有名な動物彫刻です。お寺や神社にとって猫の彫刻は珍しくありませんが、眠っている猫というのは東照宮の眠り猫だけなんです。でもよく見ると前足をしっかりと踏ん張っています。実はこの猫、家康のお墓の近くに彫られています。つまり眠ったフリをしていても、家康を守るためにいつでも飛びかかれるよう準備しているんです。
世界遺産でも有名な日光東照宮 薬師堂には「鳴龍」の間があります。こちらでは、龍の顔の下で拍子木をたたくと、通常のカーン、カーンという音がキーン、キーンという音で響いて聞こえてきます。日光東照宮自体は一部消失や増築がありますが、徳川家康没後に建築が進められていきましたので約400年前の建築物になります。はてさてこの不思議な現象は、天井部分にしかけられた「むくり」という凹凸物になります。普通の天井は平たんな為、音が一定に反射しますが、天井に凹凸をつけることで不規則に跳ね返りが起こります。そして、音には周波数という長さの違う波がありますが、この波がぶつかることで特有の音・残響時間が発生します(もしくは打ち消しあう)。この現象の解明は1965年の研究によって解明されております。
日光東照宮をたずねた際は、ぜひ「叶杉」に願い事をしてみてください。樹齢600年にもおよぶ叶杉は、東照宮の奥宮にあります。東照宮をおとずれても奥宮まで足を伸ばす人は少ないとか。なぜなら、207段のなが~い階段を登らなければ、そこまでたどり着けないんです!立派な宝塔に負けじと立つ叶杉は日光でも有数のパワースポット。中が空洞になった木のほこらに祈願をすると、願いが叶うといわれています。