ba3ji3の植物園5


   



 

ソメイヨシノは、母をエドヒガン、父を日本固有種のオオシマザクラの雑種とする自然交雑もしくは人為的な交配で生まれた日本産の栽培品種のサクラ。遺伝子研究の結果、ソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とする栽培品種のクローンであることが、1995年に明らかにされた。桜の時季になると、日本各地で様々な種類の桜が可憐な花を咲かせます。その種類は、野生種と栽培品種合わせて300種類以上ありますが、その中で最もよく目にするのが「ソメイヨシノ」という種類です。堤防、公園、街路など、都心部にも多くにこのソメイヨシノが植えられており、日本人にとって最も馴染みのある種類と言っていいでしょう。

 

ソメイヨシノ(染井吉野)の原産地は確定されていません。江戸時代(1603年~1868年)の中期に、江戸の染井村(現・東京都豊島区駒込)の植木職人らが売り出した「吉野桜」が始まりだと言われています。桜の名所である奈良県の吉野山から命名されたと考えられますが、のちの調査で吉野山の桜の多くはもともと日本に自生していた「ヤマザクラ」で吉野桜とは違うことがわかりました。そのため、染井村で売り出された吉野桜ということで、ソメイヨシノと名付けられたのです。1900年のことでした。ソメイヨシノは多くの人から愛され、その後もたくさんの学者が起源を調べました。時代ごとに所説生まれましたが、近年DNA分析が行われ、おそらく本州の南東部に位置する伊豆七島、伊豆半島及び房総半島を原産とする野生種のオオシマザクラにヤマザクラが少し交ざったものと、同じく野生種で関東地方に多く、春の彼岸(3月中旬)の頃に咲くエドヒガンから生まれたのではないかとされています。



過去には済州島のエイシュウザクラを起源だとする説があったのですが、今ではソメイヨシノは日本で生まれた桜だと位置づけられています。花は2~3cmの楕円形で、花弁5枚の一重咲きです。一総に3、4輪つき、咲き始めは淡いピンク色で、日が経つにつれて白くなります。花が散ったあとに緑の葉が出てきます。ソメイヨシノはそれまで多く植えられていたヤマザクラに比べて成長が早く、しかも花は大ぶりで密集して枝につきます。5年ほどで花見ができるほどの大きさになるため、明治以降、花の名所を作ろうと各地に植えられたのです。ソメイヨシノは、人の手によって挿し木や接ぎ木で増やされる、いわばクローンということで、その性質と美しさが代々引き継がれていきます。クローンのため、ソメイヨシノの品種は他にはありません。

 

ソメイヨシノの開花は、気温に大きく左右されます。気象庁が指定した観測対象の木が各地にあり、この木に5〜6輪以上の花が開いたら「開花」、80%以上のつぼみが開いたら「満開」として、これまでに積み上げられたデータと合わせてシュミレーションし、開花・満開予想日が気象庁から発表されます。日本地図の上で開花日が同じ地点を線で結んだものを「桜前線」と呼びます。日本列島の南部に位置する九州では3月中旬に開花日を迎え、下旬に満開日となります。桜前線は気温の高い南から北へ移動していくため、四国や本州は3月下旬に南から順に開花し、開花から約1週間ほどで満開を迎えます。本州の北部にあたる東北地方は4月、北海道では4月下旬に開花し見頃は5月頃です。開花の時期になるとニュースなどで実況が報告されるため、開花情報や天気予報と合わせて花見の日程を決める人が多いのです。

 

「桜」は、美しく花咲く木の代表格です。花弁が多く、ボリュームいっぱいに花咲く桜の木は、季節が訪れると花びらが何枚にも重なり見事に開花することから、「八重」という言葉も使われるようになったと言われています。つまり桜の花びらは、8枚の花びらが重っていると思えるほど、無数の花びらが桜の木全体を覆うのです。そして花びらが八重にまで重なる美しい花を咲かせる木だからこそ、いつしか「八重」に「桜」を合わせて「八重桜」という言葉が生まれたというのが、一般的な説明です。桜の花弁は、ごく一般的には5枚です。ところが花弁が6枚以上ある桜もあり、中には何十枚の花弁もある桜も存在します。そこで、それらの桜の木、全体をまとめて、花弁が6枚以上になるものを、「八重桜」と言います。よって、桜の中には花弁が100枚以上になるものもありますが、それらも「八重桜」と呼ばれています。多くの花弁が無数に重なっていることを、「八重桜」は指しています。



「シダレザクラ(枝垂桜)」は、枝が垂れる桜の総称です。一般的に品種としてのシダレザクラは、通常枝が上に伸びて成長するエドヒガンが下に垂れるものを指し、枝垂れ以外は、淡紅色で小輪の花を咲かせるエドヒガンの形質と同じです。品種としてのシダレザクラ以外にも、木が枝垂れている桜には濃い紅色で八重咲きの「ヤエベニシダレ」や、里桜類の枝垂れ性として菊咲きの「キクシダレ」などがあります。枝垂れ桜は糸桜とも言い、エドヒガンの枝が細く枝垂れるように垂れ下がったものを指します。枝垂れ桜の中でも花色が濃いものを紅枝垂れ、花が八重咲きのものを八重紅枝垂れと呼びます。

 

枝垂れ桜はソメイヨシノより少し早い、3月後半から咲き始めます。花は薄紅色から濃いピンク、一重咲きから八重咲きまであります。枝を大きく枝垂れさせるのが特徴で、花が咲いている優美な姿は思わず見とれてしまうほどです。枝垂れ桜は種からも発芽しますが、面白いことに親と同じ枝垂れる株は少ししか出てこないので、エドヒガンの幹に枝垂れ桜を接ぎ木をして作られています。しだれ桜の花言葉は、「ごまかし」、「優美」、「円熟した美人」です。桜というとやはりピンクの美しい様子が思いつきます。しだれ桜はソメイヨシノなどと異なり、垂れ下がる特徴があります。年を重ねて、こうべを垂らし、より美しく振舞う人のように見えたのではないでしょうか。このことからしだれ桜には「円熟した美人」という花言葉になりました。

 

枝垂れた枝からいっぱいに花を咲かせる様子はとても見事です。このことから「優美」という花言葉がつけられています。この2つの花言葉はしだれ桜の見た目の美しさを表現しています。しかし、「ごまかし」とは少し変わった花言葉です。こちらの由来についてご紹介します。しだれ桜はうつむいているようにも見える様子がまるで自分を偽っているように見えたことから、「ごまかし」というネガティブな花言葉がつけられたと考えられています。しだれ桜の別名であるイトザクラという名前は、枝が糸のように垂れていることからつけられた名前です。しだれ桜は歴史ある植物で、平安時代にはすでに日本で親しまれていたようで「しだり櫻」、「糸櫻」と記載された文献があるようです。



また、しだれ桜が枝垂れる由来は突然変異だとされています。植物のホルモンである「ジベレリン」が何かしらの理由で不足すると、枝の上部の組織がしっかりと形成できなくなります。そうすると枝が伸びるとその重力に耐えられなくなり、枝垂れたと考えられています。枝垂れるかどうかは遺伝的には劣性であるため、しだれ桜の子であっても、枝垂れるとは限りません。しだれ桜の花期は3月下旬から4月上旬で、ソメイヨシノよりも約1週間ほど早く咲く特徴があります。花の色はピンク、白、赤で、しだれ桜の品種によっても花の色は異なります。さらに、しだれ桜の特徴として寿命が長いことも挙げられます。福島県にある「三春滝桜」というしだれ桜は、樹齢1000年を超える老木として有名です。(福島県田村郡三春町にあるエドヒガン系の紅枝垂桜で、1922年(大正11年)に桜の木として初めて国の天然記念物の指定を受け、2022年で100周年を迎えた。日本三大桜のひとつに数えられている。樹齢は1000年以上と推定され、樹高は13.5メートル、枝張りは東西に25メートル南北20メートルに達する。)

 

ヤマザクラ(山桜)は山に生え、桜の花の開花日の標準にされるソメイヨシノ(園芸品種)とちがって、花と葉が同時に開きます。色は白や薄紅色で変化が多いです。花のときの若葉は、茶、黄緑、緑色などになります。葉は開くと長さ5~9cm、幅3~4cmで裏が白く、毛がありません。秋に赤く紅葉し、幹は高さ7mほどになります。樹皮はチョコレート色で、横に薄茶色のすじがたくさんあります。サクランボ(果実)は初夏に熟し、食べると苦いです。町や村に近い雑木林やアカマツ林によく見られます。公園のソメイヨシノの花が咲くころ、これらの林では花をつけたものが点々と見えます。花と葉が開いていて、花や葉に毛がなければ、ヤマザクラです。花は昔から人々に親しまれてきました。奈良の吉野山、京都の嵐山などは、ヤマザクラの名所です。太閤秀吉の花見で有名な醍醐寺(京都市)の桜もヤマザクラです。花見といえば、今では、ソメイヨシノが多いですが、昔はヤマザクラの花が楽しまれました。ソメイヨシノは明治のはじめに現れた園芸品種で、花が華やかなので、全国に広まりました。

 

材は、少し固くて、彫刻した場合には、その保存がよいので、家具や飾りものの材料となります。江戸時代には版画の版木としてもてはやされました。樹皮は家具などにはられるほか、せき止めの薬となります。サクランボを焼酎につけると果実酒ができます。また、サクラのなかまの葉や材にクマリンというよい香りの物質があり、くん製をつくる時のチップに使われます。伊豆にあるオオシマザクラは、葉を塩漬けにして桜餅を包むのに使われています。エドヒガン、フジザクラ、ミヤマザクラなどは、野生の桜ですが、園芸品種も多いです。ソメイヨシノ、フダンザクラ、カンザンなどはその例です。ヤマザクラは日本固有種で、山地に自生する野生のサクラのことをまとめてヤマザクラと呼んでいます。

 

4月に花期を迎えるヤマザクラは、樹高が20メートルを超えることもあり、サクラのなかでは高木に分類されます。大きなものでは30メートルに到達するものもあります。花は5枚花弁で一重咲きの淡いピンクの花を咲かせます。長寿なサクラで生長がゆっくりな特徴があり、発芽から開花まではとても時間がかかります。早くても5年、長い場合は10年以上かかるといわれていますので、庭にお迎えしたくてもすぐに花は楽しめないかもしれません。ヤマザクラの花言葉は「美麗」、「あなたに微笑む」、「純潔」です。ピンクの花が美しく「美麗」という花言葉になったのでしょう。やさしいピンク色の見た目から「あなたに微笑む」となったのかもしれません。サクラというとピンクを思い浮かべますが、ヤマザクラには白い花をつける品種もあるため「純潔」となったのではないでしょうか。



秋を代表する花、コスモスは、庭や公園、道端に咲いていて、私たちの暮らしの中でとても身近な花です。そんなコスモスを漢字で書くと「秋桜」だと信じている人は多いのではないでしょうか。今では当たり前のように使われていますが、それが、あの方の仕業だったとは、意外と歴史が浅かったのですね。そんなコスモスは今、見ごろを迎えていて、日本のあちらこちらでコスモス・フェスタが開催されています。今年はコスモスの花を眺めるとき、ふと、あの方の顔が浮かんでしまうかもしれませんね。秋に対する日本人の思いは、時代と共に変わってきています。収穫と結びついた奈良時代には、秋は明るく華麗に詠われました。平安時代になると、秋空の変わりやすさや雨を憂い、滅びに向かう季節の哀愁や寂しさが詠われるようになりました。秋晴れの澄み切った爽やかさに関心が寄せられるようになったのは、近世の俳諧や近代詩にとり上げられるようになった頃といわれています。

 

秋を代表するコスモスは渡来植物ですが、今ではすっかり日本の花となっています。繊細な茎と葉の感触は、花がなくとも印象的で、枝の先端に咲く端正な花が秋風に揺れる風情は、日本人の心に共感を呼んだのかもしれません。一見弱々しく見えますが、強風で茎が倒れても、そこから根を伸ばし、さらに成長して咲き乱れる強さも秘めています。コスモスの原産はメキシコが中心で、その野生の仲間は北米アリゾナから南米ボリビアにかけて30種近く生育しています。日本では花壇などに植えられる観賞花です。キク科の一年草で、茎はまばらに直立し、高さ1~2mになります。葉は対生し、秋に茎上部に直径6㎝程度の白色または淡紅色、時に深紅色の美しい花が次々に開きます。短日植物の代表で、日が短くなる秋に開花するのが特徴です。しかし、最近はコスモスの品種改良が進み、日の長さに関係なく、一年中咲く種類が普及しています。季節感が薄れてきたとはいえ、やはりコスモスは秋がふさわしいといえます。

 

コスモスを世界に広めたのは、1789年にスペインから派遣された植物調査隊のセルバンテスです。彼はマドリードの植物園長ガバニレス神父にダリアとコスモスの種子を送りました。「コスモス」と命名したのは、このガバニレス神父です。その後、ヨーロッパではダリアが広く栽培されるようになりましたが、コスモスは普及しませんでした。そのため、ダリアの品種改良は進みましたが、コスモスが顧みられることはあまりありませんでした。日本へのコスモスの渡来には2説あります。1つは東京美術学校講師ラグーザが明治12年頃に故国イタリアから持参したという説です。もう1つは明治29年頃に渡来したという説です。いずれにしても、明治中頃に渡来したことは間違いありません。明治42年に文部省(今の文部科学省)が栽培法と一緒に全国の小学校に種子を配布したのが、日本にコスモスが急速に普及した原因といわれています。

 

以来、日本の在来種の花より華やかさが感じられる姿から、コスモスが小説や詩歌に詠まれることが多くなりました。一般的にはコスモスといえば種としての「大波斯菊(オオハルシャギク)」を指すことが多く、学名はCosmos bipinnatus。属名はギリシア語の「美しい」に由来し、種小名は葉の形態から名づけられました。コスモスの別名は少なく、「秋桜」などがあります。読んで字のごとく、秋に桜のような花が咲くことに由来しています。花言葉は、コスモス全般は「乙女の真情」、白花は「優美」、赤花は「愛情」です。コスモスの花は、ピンクや白に加えて濃赤、黄やオレンジ色、複色が登場し、年々カラフルになっています。至って丈夫で、日当たりと風通しがよい場所ならば、あまり土質を選ばずに育ちます。日本の秋の風物詩となっているコスモスは、コスモス・ビピンナツスという種類です。道路脇や休耕地で、ピンクやまれに白い花を咲かせて群生するのが見られます。

 

秋に咲く花といえば、秋桜(コスモス)が思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。明治12年に日本に入ってきた秋桜は、今では日本の秋の花としてなじみ深い花になりました。品種改良により、変わった色や形の秋桜もたくさん誕生しています。例えば、花びらが筒状に巻かれた形の「シーシェル」や、花全体がカップのように丸みを帯びた「カップケーキ」、チョコレート色の「ショコラ」「ノエルルージュ」などの多くの品種があります。秋桜の種は4月ごろから販売され始め、夏が来る前に種を蒔けば、3ヶ月後には花を咲かせてくれます。間引きなど多少の手間はかかりますが、丈夫で育てやすく、ガーデニング初心者の方にもおすすめの花です。「コスモス」という名前は、ギリシャ語で「秩序」「飾り」「美しい」という意味を持つ「cosmos」「kosmos」が由来です。秋桜が整然と咲く様子から、スペイン人神父がこの名前をつけたのだそうです。

 

このスペイン人神父は17世紀末ごろに原産地のメキシコからヨーロッパへ秋桜を伝えた人でもあります。英語の「cosmos」には花のコスモス以外に「宇宙」という意味もあります。これは、紀元前6世紀に活躍したギリシャの哲学者ピタゴラスが名付け親です。ピタゴラスは宇宙を秩序あるものだとみなしていたことから、宇宙を「kosmos」と命名しました。花の秋桜と宇宙はまったく無関係なようですが、実は同じ名前を持っているのです。秋桜は明治12年に日本に入ってきたと先述しましたが、それにはラグーザというイタリア人彫刻家が関係しています。ラグーザは明治9年に西洋美術を教えるため、政府のお雇い外国人として来日します。そこで運命的に出会ったのが、日本画を学んでいた少女、清原玉です。ラグーザは、16歳の玉に西洋の絵の技法を教え、当時日本になかった秋桜の花をプレゼントしました。絵のデッサンの題材にするために贈られた秋桜ですが、花園を運営していた玉の父親は希少な西洋の花をたいへん喜んだそうです。

 

西洋人の恋人になることは、洋妾(ようしょう)と呼ばれてしまう時代でしたが、玉の父はラグーザとの交際を否定することはしませんでした。ラグーザと玉は親しくなり、玉が19歳の時に日本で結婚式を挙げ、イタリアへと渡りました。玉はイタリアの美術学校で絵を教え、画家としても活躍しました。日本女性らしい奥ゆかしさから義父に気に入られ、コレラが流行したときには地域の人々を助ける活動を積極的に行いました。結婚してから一度も日本に帰ることはなかったのですが、夫のラグーザの死をきっかけに51年ぶりに帰国。晩年も日本で絵を描き続け、昭和14年に79歳でこの世を去りました。秋桜の花言葉である「乙女の真心」「調和」「謙虚」は、不思議とラグーザ玉の人生にもあてはまるようです。



美しいピンクの大輪の花を咲かせるフヨウは、夏を代表する花木として親しまれています。日本の南部では野生化していますが、もともとは中国原産であると推測されています。また、室町時代に観賞されていた記録があることから、古くから栽培されていたことがわかります。近縁種にムクゲ(Hibiscus syriacus)がありますが、一般的には雌しべの先が上向きに曲がっているのがフヨウ、まっすぐなものがムクゲと区別できます。フヨウの園芸品種は多くありませんが、ピンク以外にも、白花や八重咲きが販売され、草本のアメリカフヨウとの交配種もあります。フヨウ属にはハイビスカス(H. rosa-sinensis)やムクゲなどが含まれますが、フヨウは半耐寒性のため、関東地方以西の暖地なら庭植えで栽培できます。

 

寒地では晩秋に地上部が枯れてしまいますが、マルチングなどで根を保護し枯死しなければ、春から枝を伸ばしながら花芽を分化させて開花します。日本(四国・九州・沖縄)、台湾、中国、済洲島などを原産とする、やや寒さに弱い半耐寒性の樹木です。幹は直立してよく枝分かれし、夏から秋にかけて最大直径15cmほどの花を咲かせます。花色は品種によって白~ピンクまで色幅(濃淡)があります。花は朝開いて夕方にはしぼむ一日花で、ひとつの花自体は短命ですが最盛期は暑さにめげず毎日新しい花を途切れなく咲かせてくれます。花後には果実ができて晩秋から冬にかけて黄褐色に熟し、冬は落葉します。果実のはぜた姿は「枯れフヨウ」と呼ばれます。

 

咲き始めは白色で時間が経過するにつれてピンクがかってきて夕方しぼむ頃には濃いピンク色になる八重咲きのスイフヨウ(酔芙蓉)などの変種が知られています。これは徐々に赤みがかってくる花色の変化を酔っぱらっていくのに例えて付けられた名前です。古くには芙蓉の樹皮は下駄の鼻緒や和紙の補強剤、縄などに加工されて身近な生活用品として使われていました。また、アオイ科フヨウ属には本種以外にもムクゲ、ハイビスカス、アメリカフヨウ(クサフヨウ)などの仲間がよく知られています。種小名のムタビリスは「変わりやすい」という意味で、時間の経過とともに花色の変化する種があるところから来ています。



フヨウ(芙蓉)とムクゲ(木槿)は同じはアオイ科フヨウ属の樹木で、花の咲く時期や姿形も何となく似通っているので間違うことがよくあります。フヨウはよく枝分かれして上だけでなく横にも枝がよくはりこんもりと茂るのに対してムクゲはすらっと直立した樹形になります。また葉や花もフヨウの方がムクゲよりも明らかに大きいので、案外ちゃんと見れば見分けが付きます。フヨウ(芙蓉)は、暑い夏の盛りにピンクや白の大輪の花を咲かせるアオイ科の落葉低木です。10~15cm程度の大輪の花が8月~10月に開花します。桜のように開花期間が1週間程度の花木も多い中で、フヨウ(芙蓉)は夏の間、長くたくさんの花が開花します。ひとつひとつの花は一日花で、朝に開花し夕方にはしぼみます。

 

古来からフヨウ(芙蓉)の花の優しい花姿は、しとやかで美しい女性の例えに用いられ、花言葉の「繊細な美」「しとやかな恋人」はそのことにちなみます。花とともに目立つのがフヨウ(芙蓉)の葉です。とても大きな葉で手のひらのような形をしています。葉の色は明るい緑色で、木全体としての樹形は放射状に広がるように伸びるので柔らかな雰囲気があります。フヨウ(芙蓉)は冬前に落葉して越冬します。花の後に実る果実をつけた姿は風情があり、立ち枯れた状態は枯芙蓉と呼ばれ冬の季語となっています。見た目がとても似ている同じアオイ科のフヨウ(芙蓉)とムクゲ(木槿)。一番簡単な見分け方は葉の形です。

 

ムクゲ(木槿)の葉の大きさは、小さめで形は鋸歯で切れ込みが入っています。一方、フヨウ(芙蓉)は、大きな葉で手のひらのような形をしています。また、開花が始まる時期も違い、ムクゲ(木槿)は梅雨の頃から開花しますが、フヨウ(芙蓉)の花は早くても7月下旬ころ、盛りは8月以降です。芙蓉の花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」です。古くから芙蓉の花の美しさから、美しい女性を「芙蓉の顔(かんばせ)」と例えるほど、女性の美を称える花として知られています。また、あまり知られていませんが「変幻」という花言葉もあり、これは朝咲いて夕方にはしぼむまでに、少しずつ花色が変化する品種の特性に由来しています。芙蓉の花言葉に特に怖い意味はありません。むしろ女性の美しさや恋人の優しさを表現する言葉が多いのが特徴です。



「変幻」という花言葉は、その日のうちに花の色や形が変化することから、「移り気」や「不安定」といったニュアンスも含まれているかもしれません。しかし基本的には、ポジティブなイメージの花言葉といえるでしょう。芙蓉は、アオイ科フヨウ属の落葉性低木で、10〜15cmほどの大輪の花を咲かせます。芙蓉の花は一日花ですが、開花時期の7〜10月にかけて次々と花を咲かせ楽しませてくれます。また、葉は手のひらのような形の大きな葉をしているのが特徴的です。芙蓉の名は中国で「美しい蓮の花」を「芙蓉」と呼ぶことに由来しているとされています。平安時代から芙蓉の名で親しまれ、美しい女性の形容としても用いられてきました。芙蓉には、その美しく大輪の花から連想された、やわらかな美しさや上品さを表す花言葉を持っています。大切な女性や恋人への贈り物として、芙蓉の花束やアレンジメントは贈るのにぴったりですよ。芙蓉の花言葉にちなんだメッセージを添えて、ぜひプレゼントしてみてはいかがでしょうか。

 

花を咲かせるためには、日当たりのよい場所に植えつけます。水はけがよければ特に土質を選びませんが、夏の時期の乾燥を極端に嫌うので、腐植質に富んだ保水力のある土壌が適しています。半耐寒性のため、冬に寒風が当たらない場所に植えつけましょう。水やりは、特に必要ありません。夏に、極端に乾燥していれば水やりします。一般の花木には、夏に肥料は施しませんが、フヨウは7月から9月に緩効性化成肥料を、少なめの基本量の1/3程度を追肥すると、花つきがよくなります。また、暖地では12月から1月に、寒肥として固形油かすなどの有機質肥料を施します。春から秋まで葉を食害するハマキムシや、幹に侵入するカミキリムシの幼虫が発生するので、見つけしだい退治します。3月下旬から5月に植えつけや植え替えを行います。根鉢より一回り大きな植え穴を掘り、腐葉土や完熟堆肥などを混合したものを穴の底に施してから、株を植えつけます。根鉢のまわりに十分に水を注ぎ、棒などでつついて根と植え土をなじませます。

 

花芽は、本年枝につくので、植えつけ時に短く剪定してもかまいません。フヨウはさし木で、簡単にふやすことができます。冬でも地上部に茎が残る暖地では、新芽が出る前の3月下旬から4月に前年枝をさすと、容易に発根します。また、新梢が堅くなりかける5月から6月、あるいは9月下旬から10月までにさし木することもできます。長さ15cmほどで枝を切り取り、先端の葉4~6枚を残して、赤玉土小粒やさし木用土を使ってさします。たっぷりと水やりして、風が当たらない日陰で乾かさないように管理すると、約1か月で発根します。フヨウは、春に伸びた枝に花芽をつくるので、剪定は冬の落葉期の間に、樹形を見ながら行います。このとき、混みすぎた枝は基部から切り除き、株の中にも日光が当たるようにすると、株全体に花を咲かせることができます。萌芽がよいので、刈り込むこともできます。冬に茎の上部が枯れ込む地域では、表土から15~20cmの高さまで切り戻し、マルチングやこもなどをかぶせて防寒します。



春の花といえば桜が代表格ですが、同じ時期に咲く菜の花も忘れてはなりません。河川沿いの桜並木が満開の花を咲かせると、下の土手には菜の花が一面に咲いていて、淡いピンクの桜と黄色の菜の花が競艶する風景が日本のあちこちで見られます。しかし正確に言うと、菜の花という花は存在しないのです。菜の花というと、緑色の茎と葉、黄色の花蕾(からい)を持ち、おひたしにして食べるとおいしい植物を思い浮かべます。「多くの人はあれが菜の花だと思っているでしょうが、菜の花という特定の植物は存在しません。菜の花というのは『アブラナ科アブラナ属の花』の総称です。つまり、アブラナ科アブラナ属であるキャベツやハクサイ、ブロッコリー、コマツナなども菜の花を咲かせるのです。菜の花は、十字形に黄色い4枚の花びらを咲かせるため、十字花植物とも呼ばれます。景観では桜の淡いピンクと黄色の菜の花のコントラストが印象的ですが、土手一面に咲いているのは基本的に『セイヨウアブラナ』『アブラナ』『セイヨウカラシナ』のいずれかです。

 

『アブラナ』は日本在来種で、江戸時代まで油を搾るために栽培されていました。花は、がくがあまり開かず、花びらとがくの間隔が狭いのが特徴です。『セイヨウアブラナ』は外来種で明治初期に導入されました。含油率が高いので、搾油用として全国に普及しました。花は、がくが大きく開き、花びらから離れています前述の通り、アブラナ科アブラナ属すべての花のことをいいます。菜花は、アブラナ科アブラナ属のうち、主として花や葉茎を食するものを指します。具体的にはナタネ、カブ、キャベツ、コマツナ、ハクサイ、チンゲンサイ、ブロッコリー、カラシナ、ザーサイなどです(食用以外は、観賞用や搾油用)。コマツナ、ハクサイ、チンゲンサイなど、葉を若いうちに食べることが多いため、花が咲くイメージが湧かないものも多くありますが、そのまま育てていくと『とう』に黄色い花が咲いて、その花蕾を食用にすることもできます。

 

毎年春になると、桜と同じ時期に黄色い花を楽しませてくれる菜の花は、目で見て楽しむだけでなく、おひたしやパスタで味わってみてはいかがでしょうか。日本は北から南に長く伸びる島なので、季節の感じ方は地域で大きく違います。関東ではそろそろ桜の咲く季節でも東北ではまだ雪が降っていたり、花の開花を取り上げたニュースも、南から北に上昇していきます。特に菜の花やタンポポ・サクラなどは、身の周りですぐに見つけることができて誰でも知っているので、「春の花」として馴染み深い種類と言えます。そんな春の花の一つが「菜の花」です。一面黄色い花で覆われた菜の花畑は、日本の春の風物詩となっています。でも、厳密には「菜の花」という名前の植物はありません。「菜の花」は文字どおり菜っ葉の花のことを指す言葉で、アブラナ科の野菜の花の総称です。アブラナ科の野菜にはハクサイ・ダイコン・キャベツ・コマツナ・ブロッコリーなどがありますから、これらの花はみんな「菜の花」ということになります。



ただ、普段ハクサイの花を「菜の花」と呼ぶことはあまりありません。一般的に「菜の花」と呼ばれるのは、セイヨウカラシナとセイヨウアブラナの花です。春の川の土手、畑の中で花を咲かせているのは、だいたいこのどちらかです。名前からもわかるように、どちらも明治以降に海外から日本に入ってきた種類です。セイヨウアブラナは菜種油を取るため、セイヨウカラシナは食用のために栽培が盛んになり、それが川の土手などにも自然に広がっていったと思われます。また、全国で春の花として人気があるので、観光用や畑の肥料にと重視され、いろいろなところで保護され、栽培されてきたのも増えた要因になっています。日本には、在来種の「アブラナ」も生息しています。昔から野菜として、また油を採るために栽培されてきました。現在は、植物油の原料として栽培されているのはほとんどセイヨウアブラナで、在来種のアブラナは野菜として生産されることが多くなっています。在来種のアブラナとセイヨウアブラナを見分けるのは大変難しく、群生しているのを遠目で見ると、ほとんど分かりません。

 

タネであれば、在来種のタネは真っ黒でセイヨウアブラナは赤茶色という違いがありますが、花が咲いている状態ならば、ぐっと花に近づいて萼(がく:花びらの付け根の外側の部分)を見ると分かります。在来種は萼がすぼまってあまり開かないのに対し、セイヨウアブラナは萼が大きく開き、花びらから離れるほどです。皆さんも身近で菜の花を見つけたら、それが在来種なのかセイヨウアブラナなのか、調べてみてください。暖かくなった季節の散歩で目にする菜の花は、セイヨウアブラナとセイヨウカラシナ、そして数は少ないけど在来種のアブラナ、だいたいこの3種類ということになります。アブラナとカラシナの決定的な違いは葉の付け根で、葉の付け根に茎を巻くように葉が出るものはアブラナ、葉柄(ようへい:葉身と茎を接続している小さな柄状の部分)を介して葉が出ているのがカラシナです。また、花を比べるとカラシナの方が小さく数も少ないようです。道端や川の土手、草っぱらなどに生えているこれらの菜の花は食べることができる種類です。

 

アブラナは花の部分を、カラシナは葉の部分も食べられますので、塩で茹でておひたしなどで楽しむことができます。いただく際はよく洗ってからにしましょう。ただし、決して畑で栽培されているものは採らないようにしてください。「菜の花」は、アブラナ科の野菜の花芽のことです。アブラナ科の野菜とは、ハクサイ、カブ、ダイコン、コマツナ、ミズナ、チンゲンサイ、キャベツなどです。冬野菜の多くは、同じアブラナ科の仲間なんです。冬野菜たちは、春が近づき暖かくなってくると、花茎を伸ばし、花を咲かせ子孫を残す準備を始めます。花茎のことを「董(とう)」といい、これが伸びてくることを「とう立ち」と言います。野菜はとう立ちが始まるとそちらに全てのエネルギーを注ぐため、ダイコンやカブなどの根の部分はスカスカに(これを「ス」といいます)、葉野菜の葉の部分は固くなってきてしまいます。そのかわり、エネルギーの集中している菜の花は柔らかく甘く、とてもおいしいです!「菜の花」は、春に色鮮やかな黄色の花を咲かせる、アブラナの花のこと。西アジア原産のアブラナ科の越年草で、高さは1mほど。主に田んぼのあぜ道や川沿いに咲きます。



まだ肌寒い2月頃から5月にかけて咲き、一面に花を咲かせる「菜の花畑」は観光名所にもなっています。「菜の花」には、細長いさやがついており、中には黒い小さな種子が入っています。この種子を圧搾することでできるのが黄褐色の菜種油です。食用油の他、潤滑油や工業用油としても使用されます。おひたしとして食用とされているのは「花菜」という白菜の一種で、アブラナ科の仲間です。古い時代に中国から渡来し、「在来ナタネ」と呼ばれ、食用として栽培されましたが、のちに採油用として脚光を浴びると、各地で栽培面積が急増しました。また、菜の花の咲く頃に降る雨を「菜種梅雨」といいます。俳諧では春の風物として愛され、江戸時代の俳人 与謝蕪村は「菜の花や月は東に日は西に」と詠んだことは有名です。当初は「菜種の花」「菜大根の花」などと呼ばれていたそうです。春になると黄色い可憐な花を咲かせる「菜の花」は、一体どんな花言葉がつけられているのでしょうか? 一緒にみていきましょう。

 

「菜の花」の代表的な花言葉は、明るさ・快活。青空の下黄色い花が一面に広がるさまは、人の心を明るくさせ、元気がもらえるようです。「菜の花」の黄色は、元気の源ビタミンカラー。まさに、明るさ・快活という言葉がぴったりです。「菜の花」には、小さな幸せという花言葉も。一面が真っ黄色に見える「菜の花畑」ですが、近づいてよくみてみると、一つ一つの小さな花が集まって一本の「菜の花」となっていることが分かります。この小さな花の姿から小さな幸せという花言葉がつけられたそうです。「白い菜の花」があることは知っていますか? 実は大根の花のことなのですが、見た目が「菜の花」にそっくりなのです。花言葉はまさに、純白。大根の色の白さが由来だそう。また、適応力は、大根がいろいろな料理に使われ、味がよく染み込むことから名付けられたといわれています。「菜の花」には、「セイヨウアブラナ」や「セイヨウカラシナ」「オランダガラシ」などの品種があります。それぞれの特徴をチェックしてみましょう。

 

セイヨウアブラナは、アブラナとキャベツとの自然交雑から生まれたもの。北ヨーロッパから中央アジアが原産とされています。葉は濃い緑色で、アブラナ(在来ナタネ)よりもやや厚く、花の色も「菜の花」より緑色を帯びていることが特徴です。明治時代に日本に導入されて以来、アブラナ(在来ナタネ)に変わり採油用に栽培された品種です。大半が北海道で栽培されています。セイヨウカラシナは、ヨーロッパ原産。近年では、関西地方の河川敷を中心に大繁殖している品種です。草丈は大型のもので150cmに達し、一面に咲くと見事な景色を楽しめます。若葉や花序はカラシナ特有の辛みがあり、漬物にするのがおすすめです。オランダガラシも、ヨーロッパ原産。栽培品はクレソンと名付けられ、サラダや肉料理の添えものとしてお馴染みです。明治時代の初めに外国の野菜として導入され、現在では日本全国の河川に広く帰化し、野生化しています。初夏になると小さな白い花を咲かせますよ。カラクサガラシも、ヨーロッパ原産の一年草。日本では、温暖な地域の道端や庭などに生えています。