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瀬波温泉は、明治37年に石油試掘中にお湯が沸き出したのが始まりで、県内でも豊富な湧出量を誇ります。この温泉の魅力は、何といっても日本海に沈む夕日を眺めながら、ゆったりとお湯につかること。海水浴場もすぐ近くにあり、夏の瀬波温泉は家族連れにもぴったりです。新鮮な海の幸をたっぷりと食しながら、心温まる…思い出づくりに最高です。冬の日本海の寒さとともに、海の幸はその旨さを増し、鍋をつつきながらの地酒は最高です。冬の瀬波温泉は、まるで墨絵のよう。冷え切った体を、温泉で温めながらの雪見酒。 温泉情緒を満喫できます。趣の異なる露天風呂付客室「風美亭」と「風の庭」。三つの貸切露天とプライベートな空間が充実しています。夕食は、新鮮な海の幸を中心に、アワビや村上牛のプランと炙り焼きがオススメです。はぎのやは、伝統に磨かれた細やかなサービスを心がける、瀬波温泉のくつろぎの宿です。







月岡温泉は、よく入浴剤と勘違いされるほど美しいエメラルドグリーン。月岡温泉の水の色には、7つの顔があるといわれています。普段は鮮やかなエメラルドグリーンの色をしています。そうかと思えば乳白色に変わったり…。実は、季節やその日の天気や気象条件によって微妙に色が変化するのです。昔の人はよく温泉の色を見て、翌日の天気を予想したそうです。「硫化水素イオン含有量」は全国1位、「総硫黄量(硫黄成分濃度)」は全国2位を誇る硫黄泉です。そして、月岡温泉は硫黄泉には珍しい「アルカリ性」の性質を有しています。酸性の硫黄泉は、湯内の硫黄成分が揮発しやすく匂いがキツい為、効能が高いように感じてしまいますが実際は逆ですアルカリ性の硫黄泉では、硫黄成分は陰イオンとして湯内に溶け込み空気中に逃げない為、その効能を十分にご体感いただけると言われています。月岡温泉ではアルカリ性と高濃度硫黄成分の相乗効果で、高い効能を得ることが出来ます。「高橋館」は、月岡温泉街(新湯)の中央にある木造の純和風の温泉旅館です。 玄関先に大きな石灯籠と松の木があり、松が屋根を突き破っているのが目印です。建物は横幅は狭いものの、縦に細長く、奥行きはかなりの長さです



相川金銀山は、16世紀末から20世紀末まで国内最大の金産出量を誇った鉱山で、江戸時代から明治時代半ばにかけては、国が管理し、産出された金は全て貨幣として利用され、長期間にわたり、国の財政を支え続けました。明治時代に機械化され、大規模な生産が行われるようになりましたが、古い時代の遺跡が破壊されずに残り、長期間にわたる金生産技術の歴史を示す多くの資産が残っています。相川金銀山は、鶴子銀山の山師たちが新しい鉱脈を求めて相川の山に分け入って発見したといわれています。江戸時代を通じて金はおよそ40トン、銀はおよそ1,800トン採れ、日本最大の金銀山でした。相川で金銀が採れるようになると、島外から多くの人々がやって来たため、海辺に十数軒の家しかなかった相川の人口は、一時期5万人にまで増えたといわれています。佐渡金山温泉郷 かぶせ温泉 相川やまきホテルは、目の前の日本海に沈む夕日と、その夕日に照らされた佐渡金山、日本海の海の幸、山の幸をふんだんに使用した料理とぬくもりの温泉宿です。



「日本観光地百選」にも上位入賞した景勝地、阿賀野川ラインのほとりに7軒の旅館・ホテルが立ち並んでいます。眼下には静かに流れ行く雄大な大河、背後には秀麗な菅名岳などの山並みをひかえる渓谷美が見事です。湯量豊富なエメラルドグリーンに輝く美肌の湯は、宿泊客はもちろん、湯めぐりや日帰り入浴を楽しむ観光客も多数訪れます。春には桜が咲き誇り、夏には咲花温泉水中花火大会なども開催しています。心休まる川岸の温泉地として、自然と温泉を楽しむ人々に親しまれています。その昔、湯の花が咲いていた所から名付けられた咲花温泉です。景勝・阿賀野川ラインのほとりにあり、豊富な湯量を誇る新潟県下有数の名湯です。咲花温泉の先駆者たちがおよそ50年ほど前に植えた桜を大切に守り続けています。碧水荘は、悠々と流れる大河、阿賀野川の碧水に佇む様に建つ宿です。



村杉温泉共同浴場周辺には、3つの源泉が集まっています。中でも、2001年に発見された3号井は、国内最大級の204.7マッヘ、ラジウム泉にしては驚異的な毎分483リットルの湧出量を誇ります。通常の温泉の平均湧出量が源泉1本で毎分約100リットルのところ、放射能泉の場合は毎分20~50リットルで、 ある有名温泉研究者が、「国宝級!」と感嘆したのもうなづける話です。村の中心部の砂礫層は、3万~1.8万年前に発生した村杉土石流の堆積物。この砂礫層の中を流れる伏流水に、湯脈からラドンを含む水が混じったため、放射能が高く、旅館の井戸水から20マッヘを超すラドンが検出されている例もあります。温泉に入るだけでなく、井戸から汲んだ伏流水を飲んだり、庭を散歩するだけで伏流水から立ち上るラドンを吸い込むことができるわけです。長生館の温泉は国内有数のラジウム温泉であり、新潟県内随一の大庭園や鎮守の森の隠れ湯が名物です。







塩の卸問屋として江戸時代に創業した「塩屋 橘」は、明治以降は旅館として、昭和には食堂として津川を見守り続けてきました。津川の町屋を再現したという趣あるそば店は25年前にオープン。津川の川港としての歴史を伝えるため「塩屋」を名乗り続けています。ご主人が「邪道中の邪道」と表現するのが、25年前の開店当初から販売しているという『かき揚げおろしそば』。おろしそばの上に乗っているのは、高さ10cm以上の巨大なかき揚げです。こちらのお店、美味しいだけでなく、巨大なかき揚げを乗せたデカ盛り風のおろしそばを提供していることでも有名で、本格派な外観とのギャップから異彩を放っています。ここ阿賀町津川は、現在は新潟県となっていますが、江戸時代は会津藩の領地でした。そして、会津からの陸路、新潟までは阿賀野川を利用しての水運と、物流の中継地点(川港)として栄えたそうです。会津からは、会津塗、木材等、新潟からは塩や海産物が運ばれていたのだとか。



「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。有名な書き出しで始まる川端康成の「雪国」。JR上越線で水上方面から新潟へ向かうと、湯沢へつながる清水トンネルへさしかかります。トンネルを抜ける瞬間、明るくなった視界に広がるのは川端康成が描いた真っ白な“雪国”の世界゛です。1076年には温泉があったと伝えられており、明治時代には4件の湯治宿があったとか。 現在も川端康成が執筆した部屋が保存され、公開されています(雪国の宿 高半)。山間に田んぼが広がる里山の風景も旅情を誘う湯沢は、日本一といわれる魚沼産コシヒカリの産地です。おいしいお米と地酒に昔からの温泉地です。空の湯、山の湯、里の湯あわせてふたばの湯。 山の湯と里の湯を「やまんぼちゃ」と称しています。 ふたばの湯は越後湯沢温泉ホテル双葉の館内温泉施設です。







その昔、数々の文豪が常宿としていた宿が今でも残り、江戸時代の風景を残す風情豊かな温泉街です。最近では一生涯「義と愛」を貫いた直江兼続をメインとしたNHKドラマ、「天地人」でも改めて脚光を浴びました。岩室温泉は新潟県のほぼ中央、北陸街道と中山道を結ぶ北国街道に位置し、弥彦神社の北・多宝山の東側に広がる温泉地です。「新潟市の奥座敷」として、また越後の一宮「弥彦神社」の参拝の拠点として、古くから利用されてきました。弥彦スカイラインで弥彦山の頂上に登ると、日本海に浮かぶ佐渡と、反対側には見渡す限り広がる越後平野を望む事が出来ます。岩室温泉の特徴として「黒湯」であることが挙げられます。「黒湯」となるのは、硫黄と鉄が結合し、「硫化鉄」になることに起因します。その細やかで黒い微粒子が湯口や湯船に付着するため足裏などが黒くなることもあります。富士屋は、岩室温泉唯一の「自家源泉の宿」です。こんこんと湧き出る温泉は、時間や外気温度と共に色が変化する神秘のお湯としても人気です。



新潟市から南へ車で約90分。日本海に沿って走る国道8号近く、松林に囲まれた鵜の浜海岸沿いに広がる温泉地です。温泉の歴史は浅いですが、その昔、「鵜の池」の近くに鵜の長者が住んでいたという縁起の良い伝説から「鵜の浜」と名付けられました。日本海の水平線に沈む夕日と、沖に浮かぶ佐渡ヶ島。さらには、白鳥が飛来することでも有名な6つの湖沼群や300年以上も湧き続ける清水「どんどの池」など、神秘的な自然美を楽しめるスポットが点在しています。また、この地に伝わる人魚伝説(佐渡ヶ島の娘と雁子浜の若者との悲恋物語)は、小川未明作の「赤いろうそくと人魚」のモデルともいわれています。鵜の浜温泉にある全室オーシャンビュー客室のロイヤルホテル小林は、日本海から直送される新鮮な海鮮料理と天然の良質な源泉掛流し温泉が自慢の旅館です。



糸魚川市と妙高市の境界にある焼山(標高2400m)は、フォッサマグナ最北端ほに位置する活火山であり、気象庁によって24時間体制で観測が行われている、日本列島でも危険な活火山です。秋田県にも焼山という活火山があり、混同されないために、新潟焼山、秋田焼山とそれぞれ呼んで区別することがあります。焼山は、約3000年前(縄文時代)に誕生した非常に若い火山であり、過去かこの大噴火では、火砕流が日本海まで到達しています。このマグマ噴火(大噴火)は100年~400年間隔で起こっており、現在は、最終のマグマ噴火(1773年、江戸時代の安永年間)からおよそ250年が経過しています。マグマ噴火とマグマ噴火の間には、10年~数十年間隔で水蒸気すいじょうき噴火が起こっています。焼山温泉清風館の大きな岩がお迎えする大浴場は、まるで成分が体に沁み込むかのような雰囲気です。ph7.5というアルカリ性の湯は古い角質を落とし、お肌がすべすべになり、体の芯から温まると評判です。おかげ様で地元の方々には、創業当時より長年日帰りの湯を愉しんでいただいてきました。



「姫川」という美しい名を持つヒスイ色の渓谷も、一度機嫌を損ねれば“暴れ川”へと変貌します。白馬から新潟方面へJR大糸線を北上すると、姫川を挟んだ川岸に、姫川温泉がひっそり佇んでいます。最大の魅力は、なんといっても周囲に広がる雄大な大自然です。温泉地にありがちな華美なネオンなどは一切なく、夜になれば空に満天の星がきらめき、月明かりが煌々と辺り一帯を照らし出します。清浄に澄み渡る空気と心を洗うような美しい自然に囲まれ、日常を忘れて安らぐには最適の環境と言えます。温泉街一角の山肌に、余った湯が湯けむりを立ち昇らせながら流れ落ちる姿に本物の温泉を確信します。姫川のヒスイを配した露天風呂で、ローカル電車が橋を渡るのどかな光景に出会った時、自然の厳しさと温もりが体の奥から込み上げてきます。ホテル國富翠泉閣(すいせんかく)は、昭和37年に開業しましたが、平成7年7月の土砂崩れと水害でほぼ全壊しました。平成10年4月に長野県側の右岸から新潟県側の左岸に移り、4階建ての近代的なホテルへと変身しました。